:: その日のこと 2017.05.01 (Mon) 23:07 ・中学生の湊の話 その日、ひとりの友達が学校を休んだ。 大したことじゃない。季節の変わり目で風邪を引いてしまっただけのこと。前日の夕方から少し咳き込んでいたから、特に不思議にも思わなかった。どうせ自分にはうつらないだろうし。 あまり体が丈夫ではなさそうだと前々から感じていたが、熱が出ているらしいと担任が告げればそれなりに心配もする。ただ、その心配はあくまで人並みに、あぁかわいそうだな、明日には来られるかな、と思うだけ。自分の弟が寝込むほうがよっぽど深刻になる。 でもまぁ、ほら、あいつあーいう奴だから。俺と違って他に友達いないから。プリントとか届けるなら、適任は俺かなって。女の子からの視線も意識しつつ挙手したら、先生もほっとしてた。 別に嫌われてるわけじゃないんだよな。なんていうか、取っつきにくい。はいはいって流せる人じゃなきゃ、話もろくにできない。いやまぁ、プリントは家族に渡すんだから、あいつに会うわけじゃないのにね。もう少しみんな、わかってやればいいんだけど。…その前に、あいつが人と関わろうとしなきゃ無理か。 ちょうど部活もなかったし、封筒を受け取ってすぐ学校を出た。昨日告白してくれた子とちらっと目が合ったけど、ばいばいって手を振って門をくぐった。もう少し愛想よくしてもよかったかな。 体力作りのついでに、あいつの家まで遠回りして走ることにした。最近は夕方になると気温が急に下がるから、この温度差でやられたのかな。 『小宮くん…ずっと好きだったの。付き合ってくれないかな…?』 こんなこと言うと上から目線だと謗られそうだけど、なかなかかわいい子だった。バスケ部で頑張ってて、成績もまぁよくて、クラスでも明るくて。みんなに好かれる…と言うと語弊があるけど、一部を除いてはおそらくみな、その子に良い印象を抱いていた。俺も例外じゃない。こんな子に好かれるとは光栄だなぁ、なんて照れたりした。 じゃあなんで受け入れなかったのかって。別に、その子を好いてる友達に遠慮したとかそういうことはない。ただ、気になることがあった。 『ありがとう。あの…俺のどこが好きとか、訊いてもいいかな?』 思えば俺が調子に乗ったのがいけなかった。そんなの訊くなよ、と冷静になった今では思う。でもその子は嬉しそうに俺の長所を褒めてくれた。かっこいい。運動神経がいい。優しい。…優しい? 『優しいよ。この前だって……が……だったし、……ってこともあったし…』 この辺りは正直覚えていない。 『それに、桜井くんと仲良くしてあげてるじゃない』 『……え?』 ぱち、と瞬きをして、俺は驚いた。 ――仲良く『してあげてる』ってなんだ? 『友達なら当たり前だから…』 『でも、私にはできないよ。怖いもん』 『そう……か。まぁ…』 むっとしてばかりだから、女の子からはそう見えるのかもしれない。一応納得してみせたけど、なんだか胸の中がざわざわした。 あーいう奴とか、俺以外に友達がいないだとか。散々言ってきたけど、俺は決して友達に『なってあげた』わけじゃないし、仲良く『してあげた』覚えもない。きっかけが何であろうと、友達になった以上は対等だし、どっちが偉いも何もないだろ、と思っている。むしろ、あいつが好き放題言ってくれたほうがこっちも遠慮しないで済む。俺が望んだのは、そういう『仲良し』なんだよ。 振るにはもったいなかったかな、とやや未練が残るけど、付き合うならやっぱり自分が好きになれる人がいいから、これでよかったんだ。急いで彼女を作る必要もまだない。きっとそのうち、俺にだって大切な人はできるはず。 門の前で竹箒を持ったおばあさんに、小さく頭を下げる。この人は桜井綾子さん。あいつとは似ても似つかない、優しくて穏やかな人だ。 用件を告げると、嬉しそうに茶の間へ招いてくれた。あいつの初めての友達だからやたらと気に入られてるのはわかるけど、 もっと普通にしてくれていいんだよ、とも思う。まぁ、親の気持ちになってみればわからなくはないし、お茶菓子もおいしいから甘えちゃうけど。 封筒を渡して、お茶と菓子をしっかり味わってから俺は階段を上がっていった。熱も下がってきたから、ぜひ会って行ってと綾さんにお願いされたからだ。もともとそのつもりだったから、見舞いの許可がもらえてよかった。 二階の部屋のドアを軽くノックする。眠り込んでなければ、俺が来てるのはとっくにわかってるはずだ。きぃ、と細い隙間ができて、胡乱な目がこちらを覗いてきた。なんで見舞いに来たのに睨まれなきゃいけないんだろ。遠慮なくずかずか上がり込むと、したたかに脛を蹴られた。なんだよ元気じゃんか。 「ってぇ」 「勝手に入ってくるな」 パジャマに半纏を羽織った病人スタイルで、今し方まで寝てただろうベッドに腰を下ろして俺を睨んだ。俺も文句を垂れつつ適当にその辺へ座る。 「別にいーだろ。男同士だぞ」 「入っていいとは一言も言ってない」 うーん、相変わらずだ。でもこの遠慮のない応酬、俺は嫌いじゃない。ほんとに嫌ならドアも開けてないだろうし、こいつなりに歓迎してくれる気持ちはあるってことで。 「綾さんは熱下がったって言ってたけど、明日には来れそうか?」 「…テスト前にこれ以上休めない」 あ、元気なのね。そりゃよかった。 いつも良いとは言えない顔色も、まぁ悪くはない。電気ヒーターにくっついてるあたり、まだ寒いんだろうけど。俺はにやにやしながら尋ねてみる。 「あれ、もしかして風邪じゃなくて知恵熱だったんじゃね?試験前に頑張りすぎて……」 えらい勢いで教科書が飛んできた。ただでさえスカスカな脳細胞が一気に殺られた気がする。これ以上挑発するのはこいつの体調にも俺の頭にも良くない。やめよう。 「ほい」 「…なんだ」 「見舞いの品。ありきたりだけど」 来る途中にあったコンビニのレジ袋をそのまま突き出す。怪訝な顔で中身を覗いてくるから、そんな怪しいものはないぞと言いたくなった。 「甘いもん嫌いなのは知ってるけどさ。給食でも似たようなの食ってたし、そういうのなら平気かと思って」 デザートコーナーの隅に並んでいたミックスフルーツのゼリー。缶詰は高いし食べにくいからこっちにした。俺ならゼリーよりプリンが食べたい。 がさがさと音を立てながらゼリーとスプーンを取り出して、交互にそれらを見やってから、恐る恐るって感じでこっちを覗き込んでくる。なんだ、毒なんて入ってないぞ。 「……お前が買ってきたのか」 「そりゃ」 「……何で」 何で? 「何でって…だから見舞いって言っただろ」 手ぶらで来るのもおかしいわけじゃないけど、土産のひとつもあったほうが様にはなるし。…何より、こいつ病気になったらろくに喉通らなそうだし。 「……ふぅん」 ふぅん、て。初めて聞いた相槌だな、なんて呑気に顔を上げたら今度こそ驚かされた。 安っぽいプラスチックのスプーンとカップを両手で包んだまま。顔を背けて、あいつはぎゅっと目をつむっていた。眼鏡のフレームが邪魔で、よくは見えなかったけど。 「え……なに、俺なんかした?」 「………」 「?」 久しぶりに会話が成り立たなくなった。最近はぽんぽんとキャッチボールができて嬉しかったんだけどな。 「……、りがと……」 「ん?なんだって…」 「っ……もう帰れ!」 !? 「ちょ、え……いだだっ」 前髪がごっそり抜けるレベルでひっつかまれ、ドアから蹴り出されるその間約五秒。俺の目にどうにか焼きついたのは、真っ赤な耳と揺れる瞳。 「……熱、上がったか…?」 ――本当の意味に気づいたのは、帰宅してしばらく経った頃。明日を思うと妙にわくわくした。考えてみれば、この辺りから俺はちょっと変だった。まだ無意識だったけど。 ↑main ×
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