:: 家族:糸
2015.04.12 (Sun) 03:53

・小春が過去へトリップする話


「こたつさいこー。んむ…」

もぞもぞとこたつ布団を頭から被り、小春は座布団に頭を預けて寝転がっていた。めったに昼寝をしない小春だが、今日はずっと友達のサッカーチームの助っ人として借り出されていたため、皆が買い物に行っている間にこうして疲れを癒しているのだ。夕飯前には母が起こしてくれるだろう。何分もしないうちに、小春はすぅっと夢の世界へ誘われた。



「ん…?」

ふっと意識が舞い降り、小春は改めて周りを見渡す。確か自分はこたつで寝入ったはずだが、ここはどう見ても路地だ。こんなにもはっきり夢だと認識できる夢も珍しい。

「ここ、どこだ?」

青空の広がるいい天気の下、のんびり犬の散歩をしている老人や電線に並ぶカラスが見える。小さな歩幅で少し歩いてみると、前方から息を乱した青年が勢いよく角を曲がってきた。小春は慌てて横に避けたが、青年は気にする様子もなく走り去って行こうとする。むっとした小春は青年を見やり、すぐにはっとした。

「ぱぱ!」

年齢は今よりずっと若いが、その青年の容姿は父とそっくりだ。以前見せてもらった昔の写真を思い浮かべ、小春は確信した。

「ぱぱ、まって!」

あらん限りの声で叫んでも、何故か父には届かない。後を追うために、小春も今来た道を急いで引き返した。子供の自分では追いつかないだろうと思いきや、父は少しも走らないうちに止まってくれた。目的地に着いたのだろうか。

「遅くなってごめん! 優太が食器割っちゃって、一緒に後片づけしてたから…」

手のひらをぱんっと合わせ、父は必死で誰かに謝っている。あまり大きくないのでわからなかったが、さっき小春がいたこの場所は駅らしい。待ち合わせとして使われたのだろう。

「そこまで急いで来ることもなかっただろ…」

(あ…!)

父の陰になり小春からは窺えなかった人物も、声を聞けばピンとくる。若かりし頃の母だ。どうせ自分の姿は見えないのだからと近くに寄れば、普段よりはいくらか着飾った母の姿があった。

「だって、遥のこと待たせたくなかったし…あっ、とりあえず入ろ! 電車着いちゃう」

父は急いで時計を確認すると、母の手を引いて駅の中へ促す。繋がれた手を見つめ、母はほんのりと頬を赤らめていた。

(もしかして…ぱぱとまま、でーとなのかな)

父が切符を買っている間、小春は駅構内の壁にかけられたカレンダーを見やった。西暦からして、父と母の年齢は高校生あたりだろうか。ホームに出てからは、父があれこれと楽しげに今日の予定を提案している。

「ほら、前にルシが行ってたレストラン、遥行きたいって言ってただろ?」

「それは…。混むからいい…」

「でも、せっかくだから行くだけ行ってみようよ。時間、お昼からちょっとずらせば大丈夫だって」

ふんわりと巻かれた母の髪を撫でる父は幸せそうだ。母と一緒にいられるだけで十分、というのが目一杯に伝わってくる。照れたようにうつむいた母は、やがて小さく頷き口を開いた。

「あ…あ、りがと…う」

「……どう致しまして」

柔らかく微笑んだ父は、膝の上の手をそっと握った。

(ん?)

周りの風景がぼんやりと霞み、歪んでいく。その間から見えた別の背景が、徐々に空間を広げ始めた。


見たこともない、いかにも高級そうなレストラン。二人が先程話題に出していた、カジュアルなものではなさそうだ。
スーツ姿の父と、落ち着いた黒いワンピースを纏う母。カトラリーと食器を乗せたテーブルを挟み、二人は座っている。とうに成人を迎えたのだろう、時が流れたことを知った。

「いいのか。こんな場所、高いんじゃ…」

不安げにきょろきょろと周りを振り返り、母はこっそりと囁く。くすっと笑った父が、優雅に赤ワインを口にした。

「大丈夫だって。たまにはこういうとこもいいかなって思っただけ。きっと一生に一度なんだろうし」

小春の知る限りでは、父も母も庶民的な生活が好ましいと感じているはずだ。結婚記念日のデートはともかく、外食を頻繁にするようなことはない。服はよくあるチェーン店で、食材はチラシをチェックしてからスーパーに赴く、立派な庶民である。今日は父の言う通り、いわば記念のような食事なのだろう。

「ねぇ遥」

父はフォークをいったん置き、改まった声をかける。母もその様子に首を傾げ、膝の上に両手を重ねた。

「俺たち…付き合ってからもう十年になるんだね」

(じゅうねん…)

小春はその年月を反芻して驚く。この時点での父と母は、自分が生きてきた時間よりも多くを共にしているのだ。

「いろんなことがあったよな。ケンカしたり、別れようとしたり…お互いが負担になったこともあったけど、その何十倍、何百倍も、俺は遥がいてくれてよかったって思えた。本当に幸せだった」

母はそっと肩を震わせ、膝の手をきつく握る。まるで何かをこらえているようだ。

「──だから、」

父は懐からおもむろに箱を取り出す。テーブルに置かれたそれを、父がゆっくりと開いて見せた。母の瞳が大きくなる。小さな台座には、シンプルなシルバーリングが嵌っていた。

「俺はこれからも、遥と一緒にいたい。遥の一番近くで生きていきたい。だから──俺と、結婚して下さい」

「ぱぱ…」

男から見ても憧れるくらい、父は堂々としていた。その表情は愛する人への気持ちに溢れ、静かに答えを待ち続けている。不意に、母の手にひとしずく、水の粒が落ちる。母は泣いていた。

「遥っ…」

驚いた父は慌てて立ち上がる。母はハンカチで目元を押さえ、泣きじゃくりながら尋ねた。

「ほ…んとに、いいのか…」

「…もちろん。遥じゃなきゃだめなんだよ」

座る母の横に跪き、父はその手を取って口づける。母は赤くなった目を父に向けた。

「愛してるよ、遥。ずっと、俺のそばにいてほしい」

とろりと瞳が溶け、雫が頬を静かに伝う。それでも母は、この上なく幸せそうな、きれいな笑顔で頷いた。

「……はい」


やがて時は流れる。華やかな結婚式。新居への引っ越し。走馬灯のように時間に追われ、小春は道を進んでいく。ようやく開けた場所は病院だった。

「ぱぱ…?」

廊下のベンチに腰掛けた父は、驚くほど落ち着きがなかった。隣の自販機を覗いてみたり、きちんと座り直してみたり。何度となく意味のない行動を繰り返している。小春はそっと隣に腰を下ろした。

「頼むぞ。頼むから…」

父は誰にともなく祈りを捧げている。やがて、目の前の病室から泣き声と思しき叫びが聞こえた。産声とも知らない小春は逆に慌ててしまう。湊もはっと顔を上げた。

「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」

病室から出てきた医師が笑いかけると、父は早口で礼をまくし立てながら中へ向かう。ベッドにはぐったりとした母が横たわっていた。

「まま! まま、だいじょうぶ? どうしたの?」

小春の不安げな声は届かない。代わりに、父が同じような台詞を投げかけている。

「遥、大丈夫かっ? 疲れたか?」

母はなんとか頷き、父を安心させるように微笑んでみせた。父もほっと胸をなで下ろし、ありがとう、ありがとうと声をかけている。そして、泣き声の元である隣の小さなベッドを見やった。

「お前が小春か。よしよし、元気でいいぞ。ははっ」

(えっ!)

父の言葉に小春は飛び上がる。もしかして、これは自分が生まれた時の記憶なのか。背伸びをしてベッドを覗き込めば、しわくちゃな自分が手足をばたつかせながら泣き喚いている。期待していた分、ちょっと絶望した。

(おれ、いけめんじゃない…)

てっきり母似の凛々しい顔つきかと思いきや、赤子はただの類人猿だった。しばらく立ち直れない気がする。
だがそれも最初のうちだけで、母の乳を吸い、父にあやされ、祖父母と対面した時には既に人間の姿になっていた。小春はふぅと息をつく。

「まぁまぁ、遥ちゃんによく似て! かわいいわぁ、小春」

(おばあちゃん…)

父方の祖母はうっとりしながら小春を抱きかかえ、至福の表情を浮かべている。祖父もすっかり頬を緩ませ、どこからかベビー服を引っ張り出してきた。

「男は格好よくないとな。ほら、じいじが買ってきたぞ〜」

「父さん、いつの間に…」

祖父の手際の良さに父が苦笑すると、母もつられて微笑む。そこで時は流れた。

最後の記憶は、見慣れた我が家の寝室だった。少し成長した自分は、父の隣に寝そべり、足をばたつかせている。

「ぱぱぁ。まま、まだかえってこないの?」

いつも四人で寝るはずの布団には、父と自分しかいない。小春はすぐにわかった。これは、妹が誕生する少し前の記憶だ。

「すぐ戻ってくるよ。新しい家族を連れて、な」

父の言葉に、今より幼い自分がぱぁっと顔を輝かせた。

「おれ、おにーちゃんになるのか。へへっ」

「そうだぞ。妹の面倒見るんだから、しっかりしないとな、お兄ちゃん」

五日後。母は無事に出産を終え、迎えに来た父と子と、新たに生を受けた女の子と共に、我が家へと帰ってきた。



「──ふあ!」

ぱっと目を覚ました小春は慌てて辺りを見回した。見慣れた我が家のリビングだ。キッチンでいい匂いを漂わせている父が、ひょこりと顔を覗かせた。

「小春、起きたのか? ぐっすり眠ってたぞ」

「そうよ。もうごはんなのに、おにーちゃんぜんぜんおきないんだもん」

腰に手をあてた妹が、ぷっと頬を膨らませる。すぐ隣で仕事をしていた母は、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。

「疲れたんだろう。今日は早く寝たほうがいい」

「うん……あのさ」

長い長い夢の内容を話そうと、小春は口を開く。三人はきょとんとしていた。

「……ううん、やっぱなんでもなーいっ」

こたつからぴょいっと飛び出し、小春はキッチンに駆けていく。所詮は食い意地か、と妹は呆れてため息をついた。

「ねー、ぱぱ」

「ん、なんだ?」

じゅうじゅう音を立てるフライパンを揺すり、父は昔と変わらない、優しい眼差しを向けてくる。それがなんだか無性に嬉しくて、小春は笑った。

「かぞくって、ずっとつながってるんだね」

父と母は、お決まりの赤い糸で。父と自分は青い糸、母と妹は黄色い糸。
連綿と受け継がれる不思議な出会いを、小春はこれからも家族と呼ぶだろう。


***
実は生まれた理由なんて、誰かと繋がってるってだけで十分なんじゃないでしょうか(´・ω・)


prev|↑Log|next

↑main
×
- ナノ -