:: うさはるの嫉妬A
2015.01.11 (Sun) 16:20

(なんで俺は、あいつを突き放すような真似を…)

ぐるぐると考えを巡らせても一向にわからない。自分は何が嫌だったのか。そこを突き詰めてみないと、答えは出ないのだろうか。

(あいつが、他の家に…女の家に行くから…)

ぎゅっと毛布の端っこを握りしめて、はるかは目を閉じる。そうだ、あの時から自分はおかしかった。他人の家を訪れると聞いた時はまだ、胸が少し痛んだくらいだったのに。出迎えたのが女性だとわかった途端に、言いようのない不安と怒りがこみ上げてきたのだ。

(…あいつ、もしかして彼女と……)

眦にじわりと雫が浮かんできたその時、家の戸が開く音がした。はるかは慌てて寝たふりをしたが、かつかつと歩み酔ってきたみなとに毛布を剥がされ、午後の明るさに一瞬目が眩む。

「っ…やめろ!」

体を起こすと同時に、みなとにきつく抱きしめられる。もがくはるかをものともせず、みなとはそっと囁いてきた。

「よかった…。脚、まだ治ってないし…ちゃんと家にたどり着いてて、ほっとした」

安堵に満ちた声を間近で聞くと、どきんと胸が高鳴るのがわかる。さっきまで感じていた痛みはどこへ消えたのだろう。

「ごめんな、ひとりで帰らせて。チーズ渡したら、すぐ帰るって約束したのに」

「そ…んなの、別に……」

約束といったって、はるかが一方的に決めたことだ。律儀に守らなくても、みなとは彼女の家で葡萄酒をご馳走になってくればよかった。それなのに、こうして自分を追ってきてくれるなんて。ゆっくりと頬を伝う涙に気づいたみなとが、驚きに目をみはった。

「はるか? 脚、痛むのか?」

包帯が巻いてある足首をそっと撫で、まるで自分が怪我をしたかのように、みなとは苦しそうな表情を見せる。それがもどかしくてたまらなくて、はるかは涙をこぼすしかない。

(違う。そんな顔、しなくていい…)

だって。怪我はもう、とっくに治っているのだから。

「冷やしたほうがいいかな。ちょっと待ってろよ」

腰を上げたみなとは台所に赴き、タオルを冷やすために水で絞っていく。その背中を一瞥し、すっかり腫れの引いた己の脚をはるかは見つめた。

(治ったなんて言ったら、ここを出ていかなきゃいけなくなる)

本来、動物は人間と共存するべきではない。この森の中でも動物はみな人間を警戒し、人間もまた、食料となる動物を殺している。みなとだって一応は猟師なのだから、動物の肉や毛皮を手に入れて生活してきたはずだ。そう考えるとお互いのためにも、ここで一緒に暮らしているのはよくない。もともとの約束は、はるかの怪我が治るまで、という期限つきのものだったのだから。

(なのに……)

はるかは手の甲で涙をぬぐうが、すぐにぽたりと膝へ落ちてしまう。

──どうして、こんなにも離れたくないのだろう。

「ほら、これで冷やそう?」

氷水の入った袋を足首に押しあて、湊は優しく髪を撫でてくれる。脚が痛むと思っているのか、しきりに背をさすったり、はるかをなだめようとしていた。

(…もう、こいつを騙したくない…)

今までも、今日も、みなとにはたくさん迷惑をかけてしまった。そのお詫びにもならないだろうが、せめて別れは自分から切り出したい。

「……そこは、痛くない」

「え?」

遠慮がちに降りてきた声を聞き、みなとははるかを見上げた。

「痛くないの? じゃあ…」

「っ…そうだ」

すっくと立ち上がり、はるかはわざとなじるような台詞を吐き出す。嫌われてしまえば、きっとみなとだって自分を放り出してくれるだろう。

「あ…あんな怪我、いつまでも痛みが引かないわけないだろ。うさぎに騙される馬鹿な人間の家なんか、もう出て行ってやる…っ」

これでいい。
これで、みなとは自分から解放される。いちいち世話も焼かなくていいし、あわよくば彼女と幸せになれる。
どうせ身ひとつで来たのだからと、振り返りもせずに木のドアへ闊歩していく。

「っ…! は、なせ…」

後ろからぎゅっと腕が絡みつき、背中に感じた温もりに胸が締めつけられる。やっと振り切ったみなとへの気持ちが、再びじわじわと溢れてしまう。

「まだ話は終わってない。脚が治ってるなら、はるかはなんで泣いてるの?」

ひどく穏やかな声が耳元で囁かれる。それだけで、がくがくとみっともなく脚が震えてしまった。

「そ、なの…」

「俺のせいなのか? だから、ここが嫌になって出て行くの?」

(なんで、そう……)

そんな尋ね方をされたら、出て行かなくてもいいのだと期待してしまうではないか。みなとのことを思えば、離れたほうがいいはずなのに。

「お願い。はるかが嫌がることは絶対しないし、おいしい食事もちゃんと作るから。だから…俺と、ここに住んでほしい」

みなとらしくもない、すがりつくような言葉だ。絡む力もそれに応じて強まり、はるかは目をみはった。ぎゅ、と丸めた手を置いた胸が、激しく震えているのがわかる。

「──いいのか。あの、女は…」

「え? あ、もしかして…さっき会った人のことか?」

みなとの台詞が嬉しくて泣いてしまいそうなのに、心に刺さった小さな棘は素直になることを許さない。そっと頷くと、くるりと体を向かい合わせにされた。じっとこちらを見つめてくる黒い瞳は、驚いたように幾度も瞬く。


「もしかして、はるか…やきもち妬いてたの?」

「は……?」

久しく聞いていない、というより初めて聞いたに等しいその単語は、何とも理解し難いものだ。首を傾げたはるかに、みなとは優しく説明を聞かせる。

「やきもち──嫉妬っていうのは、自分の好きな人が他の人に構ってばかりで嫌だなって思う気持ちだよ。例えば…はるかが、他の誰かに甘えたり頼ったりしたら、俺は嫌だし悔しい。そういうこと」

つまりは、誰かに対する独占欲が飛躍したものということだろうか。そういうものだと思えばはるかにも理解できる。けれど。

「そっ…んなわけない。なんで、お前なんかを…」

ここで素直に嫉妬だと認めてしまったら、みなとへの気持ちを自覚したも当然だ。それはまだ、恋も愛も知り得ないはるかにとっては恐怖と言ってもよかった。これがもし、同じうさぎの、異なる性別を持った相手なら、状況は違うのかもしれないが。

「泣かないで」

「な、いてない…っ」

ぐしぐしと懸命に、手の甲で涙を拭う。嫉妬を認められないプライドも、底知れない恋の深さに臆する心も、ただただ悔しくてたまらなかった。
ふっとみなとは微笑むと、はるかを優しく抱き寄せる。そして手を握り、涙で濡れた頬へ口づけた。

「なっ……!?」

これにはさすがのはるかも驚くほかない。たった一瞬で、涙がぴたりと止まった。

「好きだよ、はるか。愛してるんだ」

もう一度、みなとは白く柔らかい頬に唇を寄せる。じんと心に響いたその言葉に、はるかはやっと、自分の思いを告げようと口を開いた。


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