:: アイドル湊×大学生遥E
2014.12.05 (Fri) 03:28

『続いては、リクエスト曲「この空の向こうに」です。では──』

「おっと」

ラジオをボタンひとつで切り替えると、スピーカーからは壮大なクラシックが流れ始める。街路樹を眺めていた遥は振り向き、そっと首を傾げた。

「なんだ」

テレビを見ていても、チャンネルを忙しなく変えるような性格ではない。普通のラジオだったように思えたが、何か聞きたくないことでもあったのだろうか。訝しむ遥に、ハンドルを右に切りながら湊は笑った。

「今のリクエスト曲、俺の歌だったからさ」

「は?」

「恥ずかしいじゃん。カラオケならともかく、こんなところで聴かせるのは」

そういえばCDも出していたんだったと思い当たり、遥は意外そうに湊を見つめる。さっきは普通にエンタメコーナーを眺めていたし、写真集も送ると言っていたので仕事ぶりを見られるのは平気かと思っていたが、やはり多少の羞恥はあるらしい。いつも余裕なところしか見ていないせいか、なんだかほっとしてしまった。

「で…、どこに行く気だ」

朝食を終えた後、湊に連れられて地下の駐車場に向かい、二人は車に乗り込んだ。遥はもちろん助手席だ。行き先を告げられないまま、車は街のほうへと向かっていた。

「んー、あんまり考えてなかったけど、とりあえず服買おうかな」

「服なんか…買わなくてもあるだろ」

番組用の衣装だのスーツだの、ウォークインクローゼットにこれでもかというほど収まっているのにまだ買い足したいのだろうか。ため息をつきかけた遥に、湊は苦笑して首を横に振った。

「まさか。俺のじゃなくて遥の服だよ」

「はぁ?」

「夏物は時期だし、秋物もそろそろ出始めてる頃だろうから。遥にはかわいい格好してほしいし」

眉を寄せた遥をよそに、湊は上機嫌でとある店の駐車場に車を入れる。話の流れからして服屋であるのは明らかだが、ユニクロだのしまむらだの、どう見ても遥の服を買うに相応しい場所ではない。なのに湊はスムーズに駐車を済ませるなり、遥の手を引いて入店してしまう。

「おい! 変装…っ」

「大丈夫。ここの人たちは口が固いからね」

どうやら芸能人御用達の店のひとつらしい。湊が入口の店員に目配せすると、彼女はさっと礼をして下がっていく。そして奥からはデザイナーと思しき女性が直々に挨拶に出向いた。

「これはこれは、小宮様。本日はどのようなご用事でいらっしゃいますか?」

「この子の服を見立てて頂けますか。なるべく、普段から着られるものを」

そっと遥の背を押し、湊は淀みなく女性へ希望を述べる。戸惑う遥ににっこりと笑いかけ、女性は上品に頷いた。

「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」

服が飾られたマネキンの間を縫って、二人は女性の後に続いた。広々とした試着室に案内され、女性は次から次へと鏡に面した遥の体に服をあてていく。

「こちらはいかがでしょう? 風通しがよく、涼感素材を使用しており…」

「こちらは秋物の新作となっておりまして、落ち着いたグレーにアクセントとして銀を入れ…」

さながら着せ替え人形の如く服を取り替え、女性は笑顔を崩さないまま絶え間なく説明を続ける。そこへたびたび湊が相槌を打ち、今度はボトム、果ては靴に切り替わる。およそ十五分ほど後に、湊がいくつかの服を選択した。しかし。

「では、これとこれと…あぁ、やっぱり全部下さい」

「はぁ!?」

「ありがとうございます。では、あちらでお会計のほうを…」

深く頭を垂れる女性をよそに、試着室から出た遥は急いで湊の腕を掴む。

「全部なんかいるわけないだろ! だいたい、そんな金…」

「お金は心配しなくていいって。こういう時にしかプレゼントできないんだから、受け取ってよ」

それに、と湊は女性へクレジットカードを手渡してからにんまりと笑う。

「全部似合ってたし、かわいかったから選べなかったんだ」

「ばっ、何言って……っ」

二人きりならともかく、デザイナーの女性の前でこんなことを言ったら絶対に怪しまれる。頬を染めた遥が慌てて女性を窺うと、相変わらず完璧な笑顔を向けられた。

「ええ、本当に」

「でしょう。やっぱりここにお願いしてよかった」

何が"でしょう"だ、と遥が足を踏みつければ、その仕返しにか、"ひどいなー"と言って遥の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。その様子を見た女性に再び微笑まれ、もう二度とここには来ないと誓った遥だった。



「もー。遥ったらまだむくれてる」

車に戻り、シートベルトをカチリと押し込んで湊が笑う。遥はむすっとした表情で湊を睨んだ。

「人前で…かわいいとか言うな」

「わかったよ。二人きりの時だけいっぱい言う」

苦笑混じりでエンジンをかけた湊に、そういうことではない、と遥は唇を尖らせる。だがすぐに寄越された情報誌に一瞬で目が移り、遥はまじまじとある記事を見つめた。

「これ…」

「前に、行きたいって言ってただろ?」

季節が夏ということで、特集が組まれていたのは水にまつわる名所の数々だった。そのひとつに、かわいらしいイルカのキャラクターが描かれた記事が載っている。イルカショーで有名なとある水族館だ。

「せっかくだし、これから行ってみない? そこのレストラン、なかなかおいしいらしいよ」

温帯、亜熱帯など様々な場所に生息する海洋生物はもちろん、子供が楽しめるタッチングプールや深海トンネル、湊の言うレストランまで併設されている。
以前にテレビCMを見た際、遥が行ってみたいと言っていたのを湊は覚えていたのだろう。遥はちょっぴり嬉しい気持ちになった。

「どう?」

その尋ねにこくんと頷けば、湊も嬉しそうに笑って車を出す。買ってもらった服のお返しには遠く及ばないだろうが、湊にしてあげられることをなんでもいいから見つけようと、遥はそっと心に誓った。

「水族館なんていつぶりかなぁ」

高速道路へ車を進め、湊はぽつりと呟く。そういえばしばらく行っていなかった気がする、と遥もふと思った。

「最後に行ったのは母さんと優太と──あ、弟な。中学の時だった気がする。そもそも、誰かとそういう気軽な場所に遊びに行くなんて何年ぶりかな」

「友達とか…いるだろ」

湊の性格なら、芸能一般問わず、男女問わず友人ができそうだ。遥が口を挟むと、うーん、と湊は困ったように微笑んだ。

「確かにそうなんだけど、ありがたいことに最近はスケジュールもろくに空かないしね。付き合いで行くことはあるから大勢ならともかく、こうやって限られた人とドライブするのは久々だよ」

そんなものなのか、と遥は頷く。きらびやかな世界に住む人々の考えはわからないが、確かにそういう場所では狭く深く、よりは広く浅く人と付き合っていくのがセオリーなのかもしれない。

「どんな人と出かけても、遥以外を助手席に乗せる気はないけどな」

ね?と悪戯っぽく流し目を送られ、遥は慌てて窓の外を向く。
なんだか今日はずっと口説かれてばかりだ。言い返すこともできない遥をなだめるように、席の端からエアコンの涼しげな風が吹いてきた。


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