:: アイドル湊×大学生遥C
2014.09.19 (Fri) 03:44

「…るか。はーるかっ」

「……!」

ぽんぽんと肩を叩かれ、遥はふと我に返る。湊が心配そうに顔を覗き込んできた。

「大丈夫か? ご飯できたよ」

見れば、テーブルを埋め尽くさんばかりにたくさんのご馳走が並んでいる。そこでようやく、かなりの時間を回想に費やしていたのだと知った。

「…初めて、会った時を…思い出した」

「俺に?」

炊飯器を開けた湊が尋ね、遥は静かに頷く。

「初対面で、かわいいとか…体で払うとか…気持ち悪かった」

歯に衣着せぬ遥の物言いに、ひどいなぁ、と湊は冗談めかして言う。夫婦茶碗の小さいほうを遥の前に置き、向かいの椅子に腰掛けた。

「俺だって、誰にでもそんなこと言うわけじゃないのに。性別がどうでもいいと思うくらい、遥がタイプだっただけで」

「気持ち悪い」

照れ隠しの言葉を改めて放つと、湊は苦笑して手を合わせる。

「ま、そんな変態になびいてくれてよかったよ。頂きます」

「ん」

同じく両手を合わせ、遥も箸を取る。ほかほか炊きたてのご飯なんていつぶりだろう。朝は抜くかコンビニ、昼は常に学食、夜はスーパーで値引きされた弁当を買って食べている。炊飯器を使ったのはここ二年で何回あったか。こんなふうに、たくさんのおかずに囲まれるというのはそれだけで幸せなものだ。

「おいしい?」

大根おろしの乗った揚げ出し豆腐をひとくち食べ、遥はこくんと頷く。サラダも煮物も唐揚げも、手間と愛情がこれでもかというほど詰まっている。自分のためにここまで作ってくれたのかと思うと申し訳ない気持ちになるが、礼としてできそうなことが何もないのが歯痒い。けれど、おいしいと頷いただけで湊は嬉しそうに笑った。

「よかったー。遥とご飯食べられるって思うとさ、なんか張り切っちゃうんだよな」

「な、なんだそれ…」

視線を逸らし、ごくごくと麦茶を飲み干す。空になったコップに、湊がもう一度麦茶を注いでくれた。

「だって、三週間も会ってなかったじゃん。いい加減寂しくて、遥が試験期間じゃなかったらそっちに行こうかと思ったよ」

「来るな」

大型犬に甘えられているような気分だが、ここはしっかり釘を刺しておかねば。もし大学なんかに来られたら、軽い変装ではファンの女子学生たちに見抜かれてしまうかもしれない。それに、自分との関係を知られれば一大スキャンダルだ。

(嫌なわけじゃ、ない…けど)

相手は芸能人。我が侭が叶うような立場ではない。半ば強引に押し切られて付き合った関係であっても、こうして一緒に過ごすうちにだんだんと湊に惹かれていく自分がいた。好きという感情はまだわからないが、出会えてよかったと本当に思っている。だからこそ、絶対に迷惑はかけたくない。
眉根を寄せた遥とは対照的に、ふっ、と湊は表情を和らげた。

「優しいな。遥は」

「は……?」

「俺の仕事のこと、大事にしてくれてるんだろ? 世間にバレたら、いろいろと騒がれるから」

考えていたことをそのまま言い当てられ、遥は思わずかぶりを振ってしまう。

「ち、違う。そのままの、意味で…」

おずおずとを上目で見てみたが、湊はやはり何もかもわかったような顔で微笑んでいる。それがなんだか恥ずかしくて、遥は食事に集中することにした。



「はぁ……」

バスルームから出た遥は、バスタオルを頭から被って水滴を拭う。遠方から移動してきて少々汗をかいていたので、シャワーを浴びるとすっきりした。
髪や体をよく拭いてから、持参した部屋着を身に纏う。自分のものを持ってこないと、湊の服を着せられてしまうのだ。それはさすがに恥ずかしい。

「お帰り。はい」

リビングに入るなり氷の入ったレモン水を渡され、ひんやりしたグラスを受け取る。飲むと、火照った体を爽やかな酸味がすうっと冷やしていく。氷を残し、遥はグラスを湊に返した。

「今日は疲れただろ? 早めに寝たら?」

「こんな時間に寝られるか」

食事が終わってすぐに風呂へ追い立てられたため、まだ九時にもなっていない。それもそうかと湊は笑い、遥をベランダへと誘った。

「外、涼しいよ」

リビングのガラス戸からベランダに出ると、夏の夜でありながらも穏やかな風が涼を運んでくる。遠くを見渡すと都会の夜景が暗闇を彩っていて、ここは本来なら自分に不相応な場所なのだと改めて感じた。

「外なんか…出ていいのか。撮られたりしたら…」

「大丈夫だって。この辺は高い建物もないし、月も出てないから部屋の逆光で見えないよ、きっと」

周囲を警戒する遥の頭をぽんぽんと撫で、湊は不意に足元を指差した。

「そうだ。見て見て、これ」

促されて下を向くと、プランターに萎れかけたミニトマトが植えられていた。茎は長めで実もいくつかついているが、元気とは言い難い。

「やっぱ俺、植物とは仲良くできないみたいなんだ」

「………」

普通に水をやっていればまず枯れることはないと思うが、湊にはミニトマトの悲痛な声が聞こえないらしい。とりあえずカラカラに乾いた土へ水をやって、明日また様子を見てみることにする。昔、祖母と庭先で花の世話をしていたせいか、遥には不思議と植物の言いたいことがわかった。このミニトマトは聞くまでもなく、水を欲していたのだが。

リビングに戻り、エアコンの風が届くソファに並んで座る。柔らかい生地の背もたれに沈み込むと、もう立つのも億劫に思えてしまう。

「遥」

湊にぎゅっと抱き寄せられ、濡れてしっとりとした髪を優しく梳かれる。ソファよりは明らかに固いが、温もりが触れ合うこの感触は嫌いではない。と思ったらあっさりと温かさが離れてしまい、遥はむっとして湊を睨んだ。

「ドライヤー持ってくるから待ってて。…? なんか怒ってる?」

「別に」

もっと抱きしめていてほしかった、なんて誰が言えるだろう。ぷいっとそっぽを向いた遥に首を捻りつつも、湊はバスルームのほうからドライヤーを取ってきた。

「熱かったら言ってな」

温風が当てられ、ドライヤーを持つのとは逆の手がさらさらと髪をかき混ぜていく。湊の手はどこまでも優しくて、遥は目をつむってうっとりと酔いしれてしまう。耳や首筋をたどる指先が時折少しくすぐったい。

「はい、終わり」

再びエアコンの涼しい風を感じ、遥はうっすら目を開ける。湊がドライヤーのコードをくるくると巻いていた。

(眠い……)

体の熱が冷めると眠気を覚えるらしいが、まさにその通りだ。ソファもふかふかで、ついうとうとしてしまう。

「おねむ?」

「ちが…」

「その割には、目が開かないみたいだけど」

ここ最近は勉強で夜更かしをすることも多く、なんだかんだで疲労が溜まっていたようだ。ぽすんと胸にもたれてしまった遥の背を撫で、湊は苦笑する。

「遥にはまだ、大人の夜は早かったかな。よいしょっ」

「んっ!?」

体がふわりと浮き上がったことに驚いて目を開けると、湊は膝裏と肩を持って軽々と自分を抱き上げていた。



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