:: 創作と記憶媒体
2018.12.10 (Mon) 21:59

初めて自分のパソコンを持ったのは小学一年生の時だった。
父親のお下がりとして譲り受けたもので、もちろんオフラインだったがお馴染みのソリティアや四川省、ポーカーなんかのゲームも入っていたデスクトップ。父親の手書きのローマ字表を見ながら頑張って打っていた。たぶんwindows98。ぱそぴこドラえもんとかいうCD-ROMのゲームをよくやっていた。ロード時間がめっちゃ長かった。
二年経って、今度はノートパソコンをもらった。こちらはwindows me。ノート型のパソコンということで異様に舞い上がる私。最初のデスクトップは弟にあげたが奴はまるで興味を示さなかった。父親にパワポを習い、うへへとにやけながら使った覚えがある。この頃はもうパソコンが大好きだった。携帯がなかったので、変なところを押しちゃった時は父親の会社に電話をかけて取り次いでもらってソフトの閉じ方を聞いたりした。機械に疎いばあちゃんには怒られたが(たぶん故障を危惧してた)、父親は別に怒らなかった。もうローマ字表はいらなかった。
高学年の時、立ち寄った100円店でなんとフロッピーディスクが売っていた。フロッピー……実際に触ったことあるのって今だと何歳くらいまでなのか。とにかくなんかもうすごくびっくりした。だってパソコン用品なんてコジマとかヤマダで売ってるんだと思うじゃん。当時はまだ100円ショップもメジャーになり始めた頃だった。使う予定もないくせに即決で買った。三枚入りで105円、容量は一枚あたり驚異の1.4MB。スマホの写真なら一枚も入らない。
中学生になり、小説なんてとても言えないようなものをぽちぽちやり始めた。ノートに書くことがほとんどだったものの、件のフロッピーが使いたくてパソコンに打ってみた。この辺の話は一年くらい前の記事「ハンカチ」でも書いたが、当時のわたしがかんがえたさいきょうのえろしょうせつ、である。二度と見たくない。フロッピーディスクはピンク黄色青の三色あったので、たぶんピンクに入れてたんだろうと思う。思うっていうか、そのフロッピー自体は今もある。さっき部屋探したら普通にあった。DAISOって印字されてた。ただ、ご存じの通り今のパソコンには挿入口がないため、別途で読み込ませる機械とケーブルはあったはずなんだけど、どっかにいっちゃったんで今度探してみよう。中身が怖い。でも先を見越して全消去してあるかもしれない。うーん。父親からは初のUSBをもらった。その容量、256MB。すごい。フロッピーの何百倍。しかし依然、スマホの写真は百枚も入らない。
高校生になった。携帯という文明の利器を手に入れてしまったらもうパソコンには触らなかった。全然ってわけじゃないけど、ソリティアだってマインスイーパだってやりたくなる時あるけど、手軽に文字が打てる以上は携帯に軍配が上がった。フィルタリングこそあれど、何よりオンラインだし、みんなこぞってホームページだの魔法のiらんどだのパピレスだのやってたし。でもパソコンにだってそれなりにお世話になった。当時文芸部に所属していたので、毎月提出する小説はワードが基本だった。何故かフォントの大きさは絶対12にしてた。
大学生。初めての、自分だけの、オンラインの、ノートパソコン、windows7。同時購入したUSBは4GB。写真も音楽もどんとこい。店頭で見かけたのは128とか256とか。そこまでくるとむしろ何を入れる用なのか。大学生になってからは逆にパソコンを使い過ぎた。依存性までは行かないものの、できることがめちゃくちゃ増えたのであらゆることをやるようになった。面白いものを見るとすぐ作る側に回りたくなるため、ゲームも動画も小説も3Dモデルもいろいろやった。作曲はびっくりするくらい全然向かなかった。ひとつふたつは作ったけど、ほとんど頭が働かなかった。
ちなみに大学の研究で使っていた外付けHDDは2TBだった。ついにGBを突破した。

余談。昨日、高校の頃から書いていたサイトにログインして読んでみたが、文章がいかにアレでも、根本にある性癖そのものは今と全然変わってなかった。何年も経ってるから結構変わってる気がしたのに、なんだろう…知識という幅が広がっただけで、方向性は完全にそのままというのが判明した。今も昔も敬語受が好きすぎる。

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