「ごちそうさ…」 「ちょっと待て」 ある日の晩御飯だった。いつものようにご飯を炊き、いつものようにおかずを作り、いつものように幸次郎は残さず食べる、…はずだった。しかし、いそいそと立ち上がった彼の眼前の皿には、緑色がまだ残っていて。 「幸次郎、なんだいそれ」 「…あー…、えっ…とな。その………、か、皮だ」 「皮?なんの?」 「………に、肉の、」 「あほう!」 いくらピーマンの肉詰めだからといって、ピーマンを剥いたら牛肉が出てくるわけでは決してない。目を合わせないように努めているらしい彼を見つめていると、額に汗をかいていた。もしや、これは。 「…幸次郎、好き嫌い?」 「…な!だ、断じてそんなことはないぞ!俺の前には死角はない!」 「はーん、そうかい?じゃあ、残さず食べなよ。片付けるから」 「そ、れは…」 だらだらと青ざめた顔の幸次郎。泡を吹いて、倒れそうな雰囲気すらあった。 「…もう、嫌いなら嫌いといえばいいのに、」 「そ、そしたら食べなくてもいいのか?」 「うーん、それはどうかなぁ…」 わざと言葉を濁し、ちらりと様子を見る。すると彼は意を決したように拳を握りしめるのだ。 「よ、よし…なまえ。俺、告白するよ、」 ふいに試合中に見せる、あの真面目な顔になり、私の両手を掴んで胸の前に持ってきた。それだけでもどきりとしたというのに、あろうことか彼は私の右手を心臓部に置いた。しかも服の上からではない、皮膚の上からだ。私は、彼が自分のシャツをすりあげるところまでは見ていた。けれど、その…彼の…胸、というか、なんというか…まぁ要するにセクシーな部分が目の前に現れたとき、目をそらしてしまった。 「せ、セクハラだ…」 「ん?…なぜだ?嘘を付いていないという証拠になるだろ?俺の心音を聴いててくれ」 「そんな高度な…」 うん…まぁ、うんと頷いてみたものの、流石に恥ずかしい。少し手をずらそうと力を入れると、彼が呻いた。 「ちょ、ちょっと!?変な声出さないでよ!」 「あ、…す、すまない。驚いて…、なまえが…意外と積極的だから…」 「違うわ!」 彼の顎に頭突きをすると、ぐはっという声が響いた。なんだかデジャヴだった。 「本当にいいのか?」 「大丈夫だから、ホント。目で分かるから、目で」 「そうなのか?やはり凄いな、なまえ!」 どうして彼はこんなにも、嘘に敏感なのだろう。私の目を見つめる彼は、とても真剣だった。 「じゃあ聞いてくれ。…俺はな、なまえ。…ぴ、ピーマンが、苦手、なん、だ」 「………」 「………」 「………そう」 暫くの沈黙の後、私が答えると、彼は不思議そうに首を傾げた。それだけ?といった面持ちだ。 「なまえ、終わりか?」 「…え?…うん。他に、何が?」 「いや、怒られるかなって…」 「怒りはしないけれど…」 ただ残念だなって…。少しだけ、悲しい気持ちになったのは嘘ではない。今までたくさんの料理を作ってきた。もちろんピーマンだって何度も使ってきた。その度に、彼が嫌な思いをしてきたんだなぁって考えると、ちょっと冷静にはいられなかった。母親ならば、彼に無理にでも食べさせるだろう。栄養、健康、これからの未来。好き嫌いなんて、よくない。…でも私は、母ではない。彼に無理をしてまで嫌な思いをして欲しいなんて、思わない。なんだか悲しくなってきて、彼に申し訳なくて。ぽろりと何かが零れたら、彼は凄まじく慌てた。 「な、なんだ、なまえ!ど、どうした?」 「あ、あれ…?何でもないのになぁ。はは…」 本当だ。なぜかは分からないが、涙が出た。心がえぐられるみたいに、苦しかった。母親のように生活してきたけれど、やはり私は母にはなりきれないようだ。 「すまない、なまえ。俺のせいだよな」 「やー、なんだろ。違うんだよなぁ…、変なの…」 「すまない…」 眉を垂れて、申し訳なさそうに俯く彼は、下唇を噛み締めていた。目線の先には敵であるピーマンの姿。泡を吹きそうなくらい嫌いなはずなのに。 「おっ俺、たたた、食べてみるよ」 「………え?」 「なまえに、作って、も、もらったんだ。おおお、おいしくない、はずが、ない」 がたんと椅子に座り、睨み合う二人(?)。次の瞬間には幸次郎の口の中に、ピーマンがほうり込まれた。 「こっ幸次郎、大丈夫なの?」 もむもむと口を動かしてはいるが、今にも吐き出しそうだ。うっと迫り上げてくるものに堪えている。 「…ん、…んぐ…」 暫く噛んだ後、ついに彼は飲み込んだ。そして、次の瞬間には、 吐いた。 そのまんま、気分を悪くして寝込んだ幸次郎は、うわごとのようにすまんとばかり、呟く。そんなにも嫌いだったのに、頑張って食べようとしてくれた。そう思ったら涙が出てきて、どうしてこんなにも愛おしいんだろうと、疑問が浮かんで。でもそんな感情は、すぐに弾けて、消えた。きっと、それを認めてしまったら、今の私たちはなくなってしまうんでしょう?私は、なんなのかな。彼はどう思っているのかな。泣きつかれて目をつむると、朝だった。幸次郎は私の手を握りしめて、眠っていた。 その日のうちに、幸次郎がよく吐いてしまうことを知り合いの先生に相談した。そしたら、 「んー…、そうだな。二日酔いなら詳しいんだけどな、ははは」 と返された。その時はいらっとしてしまったけれど、午後になってわざわざ先生が家まで来た。嘔吐についてのサイトや本を印刷したものに、先生なりのポイントがまとめてあって。 「…先生これ、」 「先生はな、お前が俺なんかに相談してくれたことが、誇りだぞ」 わしわしと頭を撫でられたら、少し照れた。ただ試合中に知り合って、仲良くなっただけの先生だというのに、いい先生だなと思った。感謝の気持ちを込めて、二階堂先生を見送った。 |