「さよなら、豪炎寺くん」 「………、さよなら」 若干の間を置いて、彼は答えた。同時にぺこりと頭を下げ、再び進行方向に歩を進める。私は、部活動を終えたはずの彼が、裏門に何の用事があるのだろう(たまに部活をサボろうと、裏門から帰る生徒を見かける)と不思議に感じながらも、また仕事に戻った。はたしてこの花壇の整備という業務は、私の担当なのだろうか。かなしきかな、抗えぬ縦社会の残酷さにため息をつき、力ずくで雑草を抜いた。 「ねぇ、風丸くん」 「はい?」 「豪炎寺くんは放課後、どこへ行くのかな…」 毎日毎日、同じように生えてくる雑草を抜きながら、生徒である風丸くんに聞いた。すると彼は、私と同じように雑草を抜きながら、眉をしかめる。 「…俺の口からじゃあ、なんとも」 「えっ、なぜ?」 「個人情報というか…。俺には言うべきか、言わざるべきか、判断がつきません」 「そう。…そう、だよね」 「そんなに気になるなら、付いていってみたらどうです?」 「そっ、それはどうなの」 「まぁ、いいんじゃないですか?問題は、それから先生がどうするか、ですよ」 彼は、一際おおきい草を引き抜き終わり、制服を叩いて立ち上がった。私を見兼ねて手伝ってくれたのだから、感謝しなければと近付くと、じっと見詰められて、焦る。 「ど、どうしたの。風丸くん」 「…先生、顔に土が付いてますよ」 「えっ!ど、どこ?」 「ここ…」 彼の綺麗な髪が目の前にくるほど、私たちは身を寄せ合った。白い指が眼前から過ぎ去った頃には、彼はにこりと微笑んで。 「理科の教師なのに庭仕事なんて、公務員も大変ですね。なんの関係があるのか、聞いてみたいですよ」 と、言った。私もそこは疑問だよ、と返しながらも、まぁ植物の観察にはなるかな、とフォローを入れておく。わかっています、というふうに彼は笑うと、帰っていった。するとすぐに豪炎寺くんが通り掛かったので、すかさず挨拶をする。 「あっ、さよなら、豪炎寺くん」 「………、さよなら」 若干の間を置いて、また彼は答えた。そんな彼が通り過ぎるのを見守ってから、エプロンを勇ましく脱ぎ捨てる。そしてさながらスネークのように(なんて見栄をはってみる)、くっついていった。 「豪炎寺さまですか?…失礼ですが、どちらさまでしょう?」 「あ、学校の、…中学校の教員です」 「…あぁ、先生でしたか。どうぞ彼に元気を与えてあげてください。毎日お見舞いにくる彼の顔をみると、なんとも忍びなくて…」 行き着いた先の看護婦さんは悲しげな顔をした。ふと嫌な予感を感じながらも、教えられた階へ行くと、ちょうど彼が病室から出てくるところで。…思わず身を隠すと、彼は知らずに階段を降りていった。 「あぶないあぶない…、ってなにが!?」 おいおいと自身に突っ込んでから、病室に向かう。ノックしても、呼んでも返事がないので、静かにドアを引いた。 「あ…」 そこに眠っていたのは、可憐な少女だった。意外な結末に、私はどきりとする。彼の妹だろうか。疑問を胸に見渡すと、お姫様の眠るベッドに、小さな染みがあって。触ると少し、濡れていた。 「豪炎寺くん…」 どうしたものか。…私には、複雑すぎる彼の気持ちがわからなくて。どうすればいいのかすら、知らなくて。私が出来ることといったらと、考えてみたけれど、一つしか浮かばなかった。 「先生、さよなら」 「あーはい、さようなら。…ん?あれ?…ご、豪炎寺くん!?」 目の前の雑草に夢中になっていて、気がつかなかった。いつの間に立っていたのだろう、豪炎寺くんは相変わらず無愛想に私を見つめていた。 「な、なに?珍しいね」 「…すみません。邪魔でしたか?」 「ぜんぜん!嬉しいよ」 思わず掴んでいた雑草をぽいと捨て、土が付いた軍手を脱ぐ。彼は飛んでいく雑草を目で追いながら、私が育てた花に目を止めた。赴任当時からしたら、なかなか綺麗なお花畑になったと自負しているほどのもの。最近になって二、三本摘んだが、そんなことは気にならないほど満開だった。 「その…、ありがとう、ござい、ました」 「ななな、なんのこと?」 「俺、嬉しかった、…です。夕香もたぶん、喜んで、ます」 「い、妹さんね。うん、し、知ってるよ」 「…そう、ですよね」 ぽつぽつと、一生懸命に彼は話した。きっと話すことになれていないんだろうなぁと感じ、うんうんと頷く。すると、急に彼はじんわりと涙を浮かばせた。 「な、なに、どうしたの!」 「…毎日、先生、頑張ってて、…俺、毎日、見て、ました。…声、かけてくれるの、嬉しくて、わざと先生が、いる時間、通ってました。…はじめは、無理だって、思ってました。草なんて、抜いたって、花なんか咲きっこない、って…、無駄なことをしてるな、って。…でも先生は、毎日手入れを、してました。その花を触る手が、いやいややってるわけじゃないって、わかるくらい、丁寧で。花が咲いたとき、本当に、嬉しかった。諦めなければ、叶うって、感じました」 つむぎつむぎの言葉で感情を表す彼の顔は、どんどん少年になっていく。私は何も言えずに、ただ突っ立っていた。 「俺、ときどき、夕香が、もう一生、目を覚まさないんじゃないかって、思うんです。…不安で、眠れなく、なるんです。どうすれば、いいですか、先生。あきらめなければ、先生みたいに、花、咲かせられますか。俺、もう、だめです。もう、」 私はその変化の末に、弱さをみた。ぎゅうと彼を抱きしめると分かる、切なさ。そう、彼はどこからどうみても子供だった。引き抜かれる雑草に彼は何をみて、咲き誇る花に何を感じたのだろう。私には、何もわからない。彼には、何か、みえるのだろうか。 |