死にたいなんて、言うな。氷のように冷たい印象を与える少年―ガゼルは己の瞳を曇らせ、一片の笑みもたたえずに言った。なまえはそんな彼を見上げ、ただ呼吸をする。二人の間には沈黙が流れ、見えない壁があるかのようにお互いを確かめ合うことはしなかった。いや、確かめ合ったところで何も得られないということを、二人は知っていたのだろう。二人が愛を囁き合う前の、あの純心は戻ってきてくれはしないのだ。他方が他方に向ける愛が、双方から送られてくるものだと知り得なかったあの頃は、なにもかもが煌めいて見えた。相手の瞳や仕種、声、表情。全てが心に残り、全てが色あせることなく鮮明で、当たり前の日常が、ふんわりとした幸せに満ちる。彼はそれを求め、彼女もまた求めた。しかし、二人はそれでは飽き足らなくなってしまった。もっとお互いを知りたい、知ってほしいと願うようになったのだ。二人の欲望は、やがて少年の勇気によって叶えられ、二人の愛が実を結ぶ。不透明だった幸せが、透明で麗しいものに変化した瞬間であった。けれど、濁りのない水などない。しばらくして、二人の間には少しの亀裂が入った。知りすぎたゆえの、失望。理想と掛け離れた相手への不満。夢を見ていたのだと、自分の頭に言い聞かせるようになってしまっては、二人の仲はまた深く濁ることになる。しかしそれは、前のような淡い輝きに満ちた濁りではない。邪念の固まり、暗く汚い、憎悪という名の濁りだった。二人は言い争った。少年は冷静ななかに、隠しきれない怒りをあらわにした。少女は気高きなかに、覆いきれない哀しみを訴えた。二人の愛が張りぼてのような脆さを露呈した頃、少女が少年に向かって一言、発した。


あなたとなんて、出会わなければよかった。


少年は愕然とした。今まで、そう今までの楽しかった日々までをも否定された気がしたからだ。思わず手をあげたが、少女は怯えたそぶりも見せず、むしろ待っているかのように少年を見た。本当に、そう思うのか。少年は震える声で問い、静かに手を引っ込めた。少女は殴りたいなら殴ってもいい、そう告げると少年の服を握りしめた。本当は、こんなこと言いたくないのにいってしまう。あなたという存在を、私の理想の型に当て嵌めようとする。あなたの気持ちを知りながら、何も分からないふりをする。もう死んでしまいたいよ。あなたを困らせるだけの存在ならば。少女は肩を震わせ、より強く拳を握りしめた。少年はそんな少女を見て、今までの己を悔いた。酷い言葉や態度を思い出し、さらに吐き気を覚える。泣き出したい気持ちになった。死にたいなんて、言うな。やっと言葉にできたのは、その一言だけだった。少女は驚いたように、少年を見上げ、呼吸をする。二人はそれ以上話すことを止めた。あの頃の純心は消えてしまった。それだけは、確かな事実として二人の心に刻まれた。ゆえに、お互いを慰めも、擁護もしなかった。けれど二人は知っていた。お互いの存在を確かめ合わなくとも、そこにお互いが存在するということを。


温かい少女の手に、冷たい少年の手が置かれた。濁りが濃くなってしまった理由。それが二人が混じり合うほどに近づいたため、そう気がついたのはずっと後の事だった。

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