「亜風炉さま、御召し物をお持ちしました。どうぞこちらへ…」


小さくて、消え入りそうな声。誘われるように僕は彼女の手を取った。握りしめた掌の、身震いするような体温に、生きていることを疑いたくなる。けれど事実、彼女には生があった。物も食べるし話せるし、なにより動いた。僕が見てきた同い年の人間は、みんな実験の材料でしかなく。知り合っても、すぐに動かなくなってしまう。それに比べれば幾分かはマシだ。たとえ人形のように、まったく心を感じないとしても。


「お前、今日は何をしてるんだ」

「はい、亜風炉さま。本日の予定は…」


彼女は機械のように、分刻みでの予定を連ねていく。僕には三分の一しか理解できなかった。それなのに、ものごころついたときには、すでに僕の元にいた彼女。…名前すら、知らない。


「…僕じゃなくて、お前の予定だよ」

「私、の、」


彼女はぴたりと動くことを止めた。そして考えこんでいる。というよりは、情報を処理しているのか。眼球すら震えなくなった。


「どうした」

「………」

「おい、」

「私には、予定などありません。亜風炉さま以外に尽くす時間など、存在しておりません」


思わず後ずさるような冷たい瞳に、僕はなぜか命の脈動を感じた。初めて見せたその意思が、僕に忠実な犬だということを示してるなんて、悲劇的。どうしてこんなふうに、自分の生活を捨て置けるのだろう。僕にはわからなかった。


「お前は、悲しい人間だな」

「悲しみなど、ありません」

「じゃあ、憂鬱?それとも、苦しいかい。別に逃げても、僕は追いはしないよ」


彼女はまた、考え込んだ。


「…いえ、憂いも苦しみもありません。ただ、あなたにお仕えしている時間だけが、私の心を癒してくれるのです。それなのにあなたを捨てて、いずこへ行こうなどと、考える方が愚かではないのでしょうか。私にはあなたに仕えることが、唯一の悦びなのです。それを失ったとき初めて、私は死ぬのです」


僕は言葉を見失った。ここまで忠実だとは…。人は人生においていろいろなことを生きがいとして見出すけれど、彼女にとっての生きがいは、僕にとっては不可解で。僕にとっての生きがいは、彼女にとって不可思議なのだろう。


「お前、名前は?」


名前で呼んでやるくらい、いいかなと思った。けれど彼女は僕が予想だにしなかったくらい、ふかみにはまってしまったようだ。もう彼女を救えるのは彼女自身のみ。けれど本人がこれではきっと、世界は変わらず動くのだろう。


「名前など必要ありません。私に必要なのは、亜風炉さまの冷徹なお声と、命令だけなのですから」
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