親衛隊の決まりごと
暫くの間泣き続けたけれど、涙腺が壊れでもしたのか涙は止まらないままだ。目が溶けそうなほどアツい。
西条先輩を見つけた窓、開け放たれたカーテンからのぞく空は、藍よりも濃い墨色に染まっていた。
泣くことは意外に体力を消耗するらしく、火照った頬を冷やす意味も含めてペタリと机の上に顔を預ける。ぽろぽろと零れ落ちる涙は枯れそうにない。余程気でも抜けていたのだろう。
「東雲」
かけられた声にビクリと肩が震えた。いつの間にか図書室にいたらしい、秋園先輩の静かな声。するりと耳に入ってくる聞き触りの良いそれは、重く沈むこの空間には酷く不釣合いで。
涙のせいで言葉を発せない。口を開いたら嗚咽が漏れる気がしたから。
「聞いてたよ、」
微かな物音とともに、背後に秋園先輩が近付いてくる気配を感じる。泣いてる顔を見られたくなくて、顔を机から上げずに黙り込む。
聞いてたよ、静かな声。聞いてたってなにを? ねえ、まさか。
「西条に、告白されただろう。聞いてたよ、東雲」
ひんやりと、その時になって秋園先輩の声が凛としたそれとは別に冷え切っていることに気付いた。…告白されたのを、聞いてた。聞いてた? 肩が震える。告白されたけどけらりと笑って断った。そんな俺を、秋園先輩はどう思っただろうか。
親衛隊隊長として、断ったことを褒める?
同じ親衛隊の仲間として、告白された俺に嫉妬する?
西条先輩のクラスメイトとして、心無い言葉で彼の想いをわらった俺に怒る?
どれもイヤだったけれど、どれかが必ず選ばれるんだろう。またひとつぶ、涙が零れ落ちた。
不意に、俺の顔に影がかかる。
熱を持った目を、冷たいてのひらが覆った。
「、…馬鹿だね、東雲は」
褒め言葉でもなければ、嫉妬のセリフでもなく。怒っているわけでもないそれは、寧ろ哀れみと呆れを含ませて秋園先輩の口から飛び出てきた。
冷たい手が心地良い。目を覆う手とは別の手が、優しく頭を撫でるのを感じる。
…秋園先輩…?
「親衛隊の鑑だと、お前を褒めればいいのかな。わたしは」
「…、…」
「親衛隊に属するからには、西条に想いを伝えてはいけない。これは確かに、一番に掲げる絶対の決まりごとだ。……けれど、その意味をお前は理解してなかったみたいだね」
「…?」
意味? 内心で首を傾げた俺に気付いたんだろう、秋園先輩が苦笑を零した音が聞こえた。頭を撫でられる。
「想いを伝えてはいけない。お前は察しが良いから、気付いてると思ったんだけどね。」
意地悪な声色で囁かれる。反論しようと思ったけれど、いまだに零れ続ける涙のせいで口を開けなかった。秋園先輩が言葉を続ける。
「親衛隊は、その立場を利用して卑怯な手をつかってはいけない。……親衛隊だからと一般生徒を排除して、西条を親衛隊だけのものにしてはいけないんだ。それは西条の意に反するからね、わたしたちは彼の想いを尊重しなければいけない。」
入隊を頼み込んだあの時のように、凛然とした声で喋る秋園先輩の言葉に耳を傾ける。
「とくに西条は、親衛隊に自分が守られていることをわかっているから。熱狂的過ぎる、分別のない生徒たちからの被害は最小限に留められている理由をしっている。だからこそ西条は親衛隊を蔑ろにしない。…そんな親衛隊から、彼に言い寄る者が後を絶たなかったらどうなる?」
どうなる? どうなる…。親衛隊に守られているとわかっているなら、その親衛隊を強く拒絶はできないだろう…。それはつまり。
「結局は、熱狂的な分別のない生徒達と親衛隊は、なんら代わりのないものになってしまうだろうね。」
親衛隊だからと強く拒絶できない西条先輩に、何人もの生徒達が言い寄っていく光景。不愉快極まりない。言い聞かせるような秋園先輩の言葉を自分の中で噛み砕いて咀嚼していく。
不意に、幼子に言い聞かせるような声色だった秋園先輩のそれが、変化した。
「だけど東雲。それは"こちらから"告白する場合だ」
「…っ、」
強い語調に息を呑む。つい振るわせた肩を、するりと撫でる秋園先輩のてのひら。
「西条から、お前に告白した。…この意味がわかる?」
秋園先輩の言葉に、西条先輩にむかって、すきじゃないとわらってみせた自分が脳裏に蘇る。
どんな風にわらって、あのひとの想いを俺は踏みにじったのだろう。
「…、想いあってるなら、胸の内を告げていいんだよ。東雲」
「…、ふ、…」
「ああ、ほら。まだ泣き続けるつもり? …聡いくせに、お前は変なところで抜けてるんだから」
「、あ、きぞの、…せんぱ、」
堪えきれない嗚咽が零れる。馬鹿なんだから、柔らかく笑う秋園先輩の、頭を撫でる手が酷く優しくて益々涙が零れた。
「俺、…さいじょ、せんぱいの、こと、…っ」
わかってるよ、優しく呟かれた言葉に涙が止まりそうになかった。
ありがとうございます、秋園先輩。
2010/11/23