しとしと、と降る
「寒ィ…」
小さく鼻を鳴らして西条先輩が呟く。10月も終わりのこの時期に、他の生徒達と同じようにブレザーの下にセーターを着込んでいないらしい先輩に、笑いが零れる。
「そんな薄着だからですよ」
そう伝えれば、憮然とした表情を作ってみせる先輩。ちなみに俺は厚手と薄手のセーターを一枚ずつ着込んでいて、防寒対策はばっちりである。朝から今日は此処一番の冷え込みになるとお天気のお姉さんが言っていたお陰である。
「なんで図書室こんな寒いんだよ…」
「さあ。」
肩を竦める。
「暖房機器がないから、としか言いようがないですね。」
冷暖房完備のこの学校の中で、恐らく唯一暖房のかからない場所である図書室は、冬になると閉鎖されるほど寒くなるのだ。そのため冬の間は利用したい生徒は教師に頼んで開けて貰うしかないのだが、元々利用者が少ない上に、閉鎖する前にはその旨を数少ない利用者に伝えるため、冬中の図書室の利用者はほぼゼロである。
管理室で学校内全ての冷暖房の管理をしているため、そこに暖房をつけるよう申請すればいいのだろうが、困ったことにこの図書室には元々暖房機器が取り付けられていないのだ。なんでも改修工事の際に、当時の理事長が趣がどうたら、と文句を言ったため設置されなかったのだとか。確かにこの図書室は一昔前の洋館風で、機械類が似合わないのはわかるが……使う側としてはいい迷惑である。
「カーテン閉めればいいじゃないですか」
少しは寒さが和らぐかもしれませんよ?
そう声をかければ、肩を縮こまらせた先輩がもぞりと微かに動く。
「閉めろ」
「……」
寒くて動く気にならないのだろう、命令の言葉に眉を上げてみせる。ひらりと手に持った書類を掲げて仕事中だとアピールしてみるが、西条先輩は無言でこちらを見ているだけだ。仕方ないと、あからさまに溜息を吐いて立ち上がれば西条先輩は満足そうに笑った。
そんな笑顔一つで、まあいいかと嬉しくなってしまう俺はばかなのかもしれない。
端から一つずつカーテンを閉めていき、西条先輩の一番近くの最後のカーテンを閉める前に、薄暗い外を眺める。窓硝子がひんやりとした冷気を放っているのを感じて、赤くなった指先をこすりあわせる。手袋を引っ張り出さなきゃな、どこにやったっけ。ぼんやりと外を眺めていたら、ぱらりぱらりと何かが振ってきた。
「…雨、」
「は、雨!? まじかよ、…傘なんて持ってねえ。」
困った風に顔を歪める西条先輩に、ひとつ頷き返す。
お天気お姉さんは雨が振るなんて教えてくれなかったため、俺も傘を持っていない。
ぱらぱらと降る雨に、視線を上にずらして空を見上げる。
「こんなに寒いと、雪になりそうですね。」
窓の外を眺めて笑う。ふと視線を感じて振り返れば、優しげに目を細めた先輩と目が合ってどくりと心臓が跳ねた。
「雪が積もったら、雪合戦しようぜ」
大人びた精悍な顔立ちの先輩が、子供のような無邪気な笑みを浮かべて言うのだから、なんだか可笑しくなってふきだす。いつものけらりとした笑声ではなく、含みの無いそれに驚いたのか先輩がぎょっと目を瞠った。…失礼な人だ。しかし次にはどこか満足そうな笑みを浮かべるのだから、俺も何故だかけらけらと笑う気になれず、笑いを含んだ息を吐き出した。
「二人でするなら、雪合戦じゃなくて雪だるまでしょう?」
顔を窓の外に向けなおしながら、そう呟く。
「あー、雪だるま、か。そうだな、じゃあ雪が積もったら雪だるまつくるぞ。」
なんの確証もない約束事に、くすぐったい気分になる。雪が降る時期に、俺はまだこの人とこうして喋っていられるのだろうか、と。じわりと心が温かくなる一方で、いいようのない寂しさが端から侵食していく。
それを誤魔化すように、シャッと小気味のいい音を立ててカーテンを閉めた。
2010/10/27