07
じわりじわり、色を変え始める



「なあ、東雲」

彼は決して、俺のことを名前で呼ぶことをしない。

今の距離に近付けただけで十分だというのに、どこかもどかしい気持ちが無いかといったら嘘になる。名前で呼ばれたい願望が無いわけでもない。でも俺は。

嘘は、得意だから。


「なんですか? 西条先輩」

忙しくも無いくせに、仕事があるんですというアピール代わりに手元の書類に意味のない言葉を書き加えていく俺。ぼんやりと言葉を投げかける先輩は、机の上に顎を乗せてこれまたぼんやりとした表情で窓の外を眺めていた。
そんな先輩の横顔を見つめながら、最近急に冷え込むようになった夕方の風に肩を震わせる。寒いのは苦手だ。暑いのも苦手だけれど。窓を閉めるべく立ち上がって、先輩の座る机のすぐそばの通路を横切る。窓に手をかけて、紫色に染まる空を見上げる。たなびく雲がどこまでも続いていく様はとても雄大で、赤から紫、青みを帯びた黒へと変化していく空を眺めるのは大好きだった。


からりと音をたてて閉まった窓に、鍵をかける。ついでにカーテンも閉めて時計を確認すれば、ちょうど図書室を閉める時間帯になっていた。なってしまっていた。

意味もなく散乱させてしまった書類をとっとと纏めるべく、再びカウンターへと踵を返す。先ほどと同じ通路を通って、そういえば先輩は俺になんの用だったのだろうと内心首を傾げた。結局名前を呼ばれたまま、なにも告げられていないのだ。

まあ、話したくなったら話すだろうと肩を竦めて、止めかけた歩みを再開させる。

ふいに、腕をとられた。


「西条、先輩?」

冷たい空気とは裏腹な、熱くすら感じる先輩のてのひらの熱がじんと広がる。手首を掴む男らしいごつごつとした、それでいて指の長い整ったそれの持ち主が、にいと笑う。

「東雲、」

この人は存外に、悪戯好きなのだと知ったのは最近のこと。
最初の頃よりも、転入生に対しての愚痴の数が減った意味を、理解しきれないでいる。転入生を受け入れ始めたのか。ああ、それともこの空間を、……なんて。浅ましい妄想にしか過ぎない。きっと彼は転入生の存在を、受け入れ始めたのだろう。

囁くように紡がれる己の苗字。それを無感動に聞いて、しかしけらりとした笑みを浮かべる。すると途端に楽しそうに歪められていた唇が真一文字をひくものだから、俺は途方にくれるのだ。
最近、けらけらと笑い声をあげると顰められるようになった先輩の顔。

其れをどうすることも出来なくて、かと言って顔に浮かべた笑みを崩すことも出来ない俺は、曖昧な気持ちのまま、ただ表情だけは完璧にわらって先輩を見つめる。


2010/10/25


prev next

MAIN-TOP

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -