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(第三者視点)



「陸っ」


耳障りのいい低い声が廊下に響き渡る。体育委員長であり、剣道部主将という肩書きに見合う軽やかな俊足であっという間に陸に追いついた高貴は、陸の肩に伸ばしかけた手を僅かな逡巡ののち下におろす。昨日の一件から、陸が人に触れるのを忌避するとはっきり理解したからだ。
弟であるという桂木稜や、風紀委員長の麻埼譲の両名に関しては大丈夫なようだが。・・・、それは己が触れても大丈夫であるという保証にはならないから。


ぐ、とおろした手を握りこむ。


「・・・、体育・・・委員長・・・?」

知らず顔を俯けていたらしい、振り返った陸の爪先が視界に入り込む。囁くような声が耳に届き、それにつられるようにして顔をあげた高貴は・・・しばし呆然とした。


「・・・陸、か?」
「・・・? は、い・・・?」

きょとんと、首を傾げる陸。その動きにつられて、さらりと流れた黒髪が華奢な首筋を露にした瞬間、高貴はピンと背筋を伸ばした。


「・・・髪、切ったのか」
「・・・」

見開かれた瞳で凝視するように見つめられている陸は、どことなく居心地が悪そうに身じろぐ。無言でこくりと頷き、そして再び首を傾ける。さきほどとは逆の方向に倒された頭。頭上にうかぶ疑問符。


そんな陸とは裏腹に、高貴は見開いた目でもって陸を、目の前のいきものを見つめる。凝視する。


綺麗だなんだと、思ってはいたが・・・―まさか、これほどとは。


美しいものを愛でるのは、人として一般的な感性だろう。"美しい"ものの判断基準はひとそれぞれではあるが、まあ大半の人間が宝石を美しいと思うように、陸もまた大抵の人間に愛でられるだけの麗しい容姿をしていた。
人より美的感覚は鋭くなく、むしろ腕白者として育ってきた自分とは無縁とも言っていいような「きれいなもの」。それが、高貴にとっての陸だった。美化委員長ではあるまいし、綺麗だと思ってもそこまで、それだけの感想しか持つことができない高貴。

陸自身が、生徒会の中でも毛色が全く違う目をひく存在で、実際に接してみて面白いと思ったから関わってみただけなのだ。だから、陸が今ほど美しくなくてもきっと陸が陸であるなら、可愛い後輩としてかまっていただろう。

―・・・そんな思いを覆すような衝撃。



青い瞳に思考が絡めとられる。白い頬を、殴りつけて印をつけたい。裏腹に、撫でて愛でたいような、こんがらがった気持ち。


拳を握る。爪がてのひらに食い込むほど、握り締める。



博愛主義、というわけではない。よっぽどのことがない限り、高貴は関わった人間に対して負の感情を抱くことはない。そしてまた、特別な感情も抱いたりはしない。

仲の良い友人、信頼できる仲間。大切なひとはいない。

「だいすき」がないのは、「どうでもいい」と同じだと言ったのは誰だっただろう。





2010/08/05/


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