鮮紅
1 鮮紅
今日は珍しくハルのバイトが早く終わるとメールが来たから、ハルが前から見たがっていた映画のレイトショーを見に行くことにした。
オレはバーでバイト、ハルは大学生の為、せっかく両想いになってから同棲しているというのに、二人の生活はすれ違ってばかりだ。(あ、念の為言っておくけど、お互いの気持ちはすれ違ってなんかないからね)
夜通しバーで働き、始発が動くかどうかくらいの時間に帰宅する。そんな真夜中と早朝の区別もつかないような時間なので、当然ハルはまだ眠っている。
オレはハルの寝顔をしばらく眺めてから額にキスを落とすと、ハルの朝食と弁当を用意してから、太陽が昇る前にベッドに入る。勿論夕食だってオレが作る。それがオレの基本生活スタイル。
オレの外見からはよく想像出来ないと言われるが、こう見えてオレは料理が得意だ。自分一人だけでは料理はしないが、今みたいに恋人がいる場合は別だ。
オレが作った料理を恋人がおいしいと言って食べてくれて、その笑顔がオレの食事もおいしくする。コンビニ弁当とかなんて味気ない。せっかく恋人と二人でいるのだから、食事は少しでもおいしい方がイイだろう?
だがオレが一生懸命作った朝食を、ハルが食べている姿をオレが見ることはない。
さっきも言った通り、夜通しバーでバイト、明け方に眠るといった生活をしている為、オレが起きる頃にはすっかり日が暮れているというわけだ。当然ハルは大学か、バイトかのどちらかで、オレが目を覚ました時にハルが家にいることはほとんどないからだ。
バイトしているハルに一目惚れし、オレから猛アタックをかけた身としては正直寂しい。
だからこうして急に時間が出来るのはすごく貴重なことで、オレはバイト前だろうがハルと出かけることにしている。
だって少しでも多く、ハルとの思い出を作りたいじゃん。
……なーんて、あ、オレ今ちょっとカッコイイこと言った。
自分で言ってて少し恥ずかしくなったオレは、照れ隠しに自分の鼻の下をこすった。
一秒でも多くハルと過ごす時間を作る為、オレは映画館で先にチケットを買い、バイト帰りのハルを駅まで迎えに行くことにした。
そのことをメールで報告すると、ハルから「ありがとう。すぐ行く!」と返信が来る。
短いメールだというのに、ハルからだと思うとオレは顔がニヤニヤするのを抑えられない。
時々すれ違う人々から訝しげな視線を浴びたが、オレは気にせず歩き続けた。
歩きながらまたハルにメールをする。
『待ってる。早くハルに会いたい』
駅前広場に着く頃、またハルからメールが来た。
『昨夜ぶりでしょ?(笑) …でも俺もだよ。俺も早くナオに会いたい』
少し照れながらメールを打つハルの姿が目に浮かんできて、オレは思わず携帯をギュッと握りしめる。
携帯はただの機械だというのに、その時はハルの手のようにあたたかな温もりを感じた。そこからじんわりと、胸にもぬくもりが広がる。
帰宅ラッシュで駅前は混雑していたが、オレはハルを探しやすいよう、待ち合わせスポットにもなっている時計の下に陣取った。
電車が止まるたび、改札から決壊したダムのように人波がどっと押し寄せる。オレは時々背伸びしたりしながら、ハルの姿を探した。
駅前広場についてからも、オレ達はメールを繰り返す。
やがて2、3本くらい電車を見送った後、オレは改札から人波に押されるようにして出てきたハルの姿を見つけた。
「ハル!」
思わず叫び、オレはハルに近付く。
「……ナオ!」
オレの姿に気づいた途端、ハルは人込みに疲れていた顔から一転、パッと笑顔を浮かべ、人込みをかきわけオレの元へと走ってきた。
オレを見た途端笑顔になったハルがかわいくて、愛しくて、人込みの間をちょこちょこと小走りでやってきたハルを、オレは思わず抱きしめる。
「……!」
ハルは驚いてオレの腕の中で硬直していたが、やがておずおずとオレの背中に腕を回してきた。
「おつかれ」
「ん。ありがとう……」
駅前広場という目立つ場所で抱き合っているオレ達を、周りの人達は不審な目で見つめる。
でも家路を急いでいるのか、立ち止まることなくすぐに通り過ぎていく。
深く息を吸い込むと、バイト先でかいたのか、少しの汗とシャンプーの匂いがした。
同棲しているから同じシャンプーを使っているというのに、ハルから香ると、その辺のシャンプーでも何か特別なもののように感じられる。
オレはしばらく深呼吸を繰り返して、ハルの体温と匂いを堪能していたが、ふと我に返ると今の状態が妙に恥ずかしくて、オレ達はそそくさと離れた。
「……」
「……」
「……じゃあそろそろ行こっか。もうすぐ時間だし……」
「……そうだね。アハハ……」
「アハハ……」
「……」
お互いに照れて、妙な沈黙が流れる。
じゃあ最初っから抱きしめるなよって話だが、こんなかわいい恋人を前にして、それは無理な注文だ。
それはともかく、オレ達は今度こそ本当に映画館に向かって歩きはじめた。
ハルのバイト先は、オレ達が住んでいるアパートとハルが通う大学のちょうど真ん中くらいにある。その為、ハルは大学が終わった後、そのままバイト先へ向かうことが多い。
今日も授業が終わってすぐにバイト先へ向かったようで、ハルの肩にはルーズリーフと参考書がパンパンにつまったトートバッグがかかっていた。
オレはそれを取って自分の肩にかけると、車道側を歩く。大切なハルを、少しでも守りたいから。
オレの意図に気付いたのか、ハルは少し照れくさそうに笑った後、オレの横に並んで歩く。
ちょんちょん、とオレの服の裾を引っ張り、オレの顔を覗き込んできた。
するとハルの方が身長が低い為、自然と上目遣いになり、たまらなくかわいい。
「ナオ、自分の荷物くらい自分で持つよ」
「バイトで疲れてるだろ? 遠慮すんなって」
オレが笑って言うと、ハルはますます焦ったようにオレの服の裾を握りしめる。
「そんな! それを言うなら、ナオの方こそ夜からバイトなのに……っ」
「いいって。オレが持ちたいんだから、持たせろよ。それにハルはもっとオレに甘えろって…」
「でも……」
オレがハルの額を小突くと、ハルはしばらく茫然とオレを見つめた後、小声で何かつぶやきそっと下を向いた。
うつむいて晒された白い項。それとは反対に真っ赤に染まっている耳。
恋人のかわいい姿を目にして、オレは再び顔がニヤニヤしてきた。
しかもハルが小声で言った「これ以上どうやって甘えたらいいの?……」という独り言も、隣にいたオレにはバッチリ聞こえていたわけで。
オレは再びハルを抱きしめたい衝動に駆られ、それを押さえつけるのに必死で戦っていた。
オレは別にそうしても良かったけど、これ以上時間をくったら、せっかくハルが楽しみにしている映画に遅れるからね。
ここはぐっとこらえ、映画が終わった後にでもゆっくり抱きしめたらいい。
オレが内心そうほくそ笑んでいると、ハルがふと交差点の方を見た。
つられて見ると、横断歩道の真ん中、一匹の子猫が歩いているのが見える。
嫌な予感がして信号を見ると、信号はちょうど点滅から赤に変わったばかり。
そこへ曲がろうとしていたトラックが突っ込んできた。
「あぶない!」
子猫を助けようと思ったのか、ハルが交差点へと飛び出す。
オレは咄嗟にハルを止めようと手を伸ばしたが、間に合わず寸での所で手が宙を掴んだ。
バランスを崩し、よろけるオレ。
トートバックがやけにゆっくりと地面に落ちて、あたりに中身をぶちまける。
夕闇を切り裂くようなトラックの急ブレーキの音。
周りから響く、目撃者達の悲鳴−−−
停止したトラックの側に、何かを抱えるようにして背中を丸めたハルがぐったりと転がっている。
「ハルーーー!!!」
オレの叫び声にもハルはピクリとも反応を示さない。
オレは慌ててハルの元へ駆け寄ると、そっと壊れ物を扱うようにハルの上体を起こした。
だがハルの体は本当に壊れてしまったかのようにぐにゃりとしていて、力なくオレにもたれかかる。
額からとめどなく血が流れていて、ハルが赤く染まっていくにつれ、オレは全身青ざめていった。
「ハル! ハル、しっかりしろ!」
何度目かの呼びかけの後、ようやくハルがうっすらと目をあける。
「…ナオ……?……」
だが血に染まった瞳ではよく見えていないのか、ハルはオレの声に反応するものの、焦点が合わない。
オレは何か言わなきゃと焦るものの、ハルの額、体からとめどなくあふれ出る血に怯え、言葉が出ない。
「ハル! ハル……!!」
「ナオ…ごめん、俺……子猫、を…助けたく…て……」
ハルの言葉がわかったわけでもあるまいに、子猫がタイミング良く「にゃあ」と鳴いた。
子猫の鳴き声を聞いて、ハルの顔にわずかな笑みが浮かぶ。
それがなんだか切なくて、オレは嗚咽が込み上げてくるのを止められない。
きっと今のオレの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。こんな情けない姿、ハルに見られなくて良かったと思う。……なんて、現実逃避もいいとこだ。
「うん、うん……わかってる! わかってるから、…もう何もしゃべるな!! 子猫も無事みたいだから!」
「そっか…… よかった……」
ハルの体は確かにオレの腕の中にあるというのに、血が流れ出るにつれてどんどん軽くなっていくみたいだ。
それが終わりへのカウントダウンのような気がして、オレは自分もハルの血に染まるのも気にせず、ハルがどこにも行かないよう、必死にハルを抱きしめ続けた。
だがオレがいくら願ってもハルの出血を止めることは無理で、ハルの脈が弱くなっていくのと反対に、オレは自分の鼓動がやけに耳について。周りの野次馬の声も遠くなっていく。
だめだ。このままじゃいけない。
どうにかしてハルの意識を引きとめようと何度も呼びかけるが、ハルの瞼は眠るようにゆっくりと閉じていき…、 そして…… ハルは最後にほほ笑んだ。
「ナオ… 今までありがとう……」
「バカ! こんな時になに最後みたいなこと言ってんだよ!」
「ううん、わかる…よ…… きっと これが最後……」
ハルはほほ笑みながら、だけどとても真剣に言うから、オレも真剣にハルの言葉に耳を傾ける。
「だか、ら ちゃんと…聞いて…… 俺、ナオと出会えて……幸せだったよ……」
「……ハル!……っ」
嗚咽が喉に詰まり、オレはもう何も言えない。やがてハルが完全にこと切れてしまうと、オレは魂を振り絞るようにして夜空に叫んだ。
「ハルーーー!!!」
さっきまであったたかったモノが、段々と冷たくなっていく。
オレがハルだったモノを抱えてしばらく茫然としていると、遠くからサイレンが聞こえてきた。おそらく救急車だろうか?
周りの誰かが呼んだのだろう。
……だが、もう遅い。遅いのだ。何もかも手遅れだ。
オレはふらりと立ち上がると、夜の街へと向かい歩きだした。
集まっている野次馬達は、オレが近付くとそっと道をあけてくれる。
中には心配して何か声をかけてくれた人もいたが、オレは無視して歩き続けた。
だって“ハル”がいないのだ。ハルがいないのなら、オレがここにいる意味はない。
どこへ向かうともなくぼんやり歩きながら、オレはため息をひとつつく。
あぁ…… これからどうしようか……
“ハル”のような存在に、そうそう巡り合えるとは思えない。
そう、あんな極上の血を持つ人間に。
また当分あちこちを探しまわらなきゃいけないのかと思うと、生きるのが少し面倒くさくなってくる。
…と言っても、オレは吸血鬼だから、弱点を狙われない限り死から程遠い存在なんだけどね。
ただ腹を満たすだけならその辺のエサでも十分だが、どうせなら「食事は少しでもおいしい」方がイイだろう?
オレはニヤリとほくそ笑む。
どうやら考え事をしている間に、人気のない路地裏へと来たようだ。
オレは辺りに人がいないことを確認して背中に漆黒の翼を生やすと、また“ハル”みたいな存在に出会えることを願いながら、ふわりと地面を蹴った。
―終わり―
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