カメラのフラッシュの光が一面を飾る痩せた少年の暗い眸を照らしていた。額にある傷痕が白い肌に栄え少年が誰なのかを知らしめる。日刊予言者新聞の一面に並ぶ文字を見つめ、黒髪の女性は溜息をついた。まだ若さが残る顔立ちだが、彼女は優に三十路を超えている。友人たちは決まってそれを羨むのだが本人は幼く見られていることを快く思っていなかった。





"例のあの人が復活、しかし再び砕かれる"

"ハリー・ポッター、選ばれし者"

"ダンブルドア疑い晴れる"

"シリウス・ブラック冤罪を晴らす―…



パサリ、と新聞をテーブルに投げ、身を沈めていたソファーから立ち上がると彼女はふらつきながら窓辺へ向かった。此処何日か食事を口にしていない。今の彼女にとってその行為そのものに必要性が見いだせなかったのだ。
淡い水色のカーテンに向かって軽く人差し指を横へ流すと、それはゆっくりと開いた。眩いくらいの光が暗がりの部屋に射し込み、彼女の長い睫毛は影を作る。外では青々と、茂りはじめた樹木が心地良さそうに葉を揺らしていた。

空は、青かった。



自分のどんよりとした気持ちとは裏腹に、晴ればれとした青空を見つめ彼女は恨めしく思った。世界はいつだって理不尽で、誰が死のうが生きようが我関せずだ。
それがひどく腹立たしくて、無性に嫌になる。そして彼女もその世界の一部だという事実が辛かった。








苗字名前という女性は極めて普通ではなかった。まず、彼女は日本生まれの日本人だったがイギリスに住んでいた。それも少女と呼ぶには早すぎる頃からだ。周囲への建前は英国留学だったが、彼女が留学した先がこれまた普通ではなかった。
マグル(魔法族ではない人々のこと)の通う学校ではなく、広大な敷地に古城が学び舎のイギリスで最も有名な魔法学校に通っていたのだ。


彼女の家族は実に魔法族に対して寛容だった。母方の祖父が魔法使いだったとは聞いていたが、ジョークだと思っていた名前にとってはおっかなびっくりな話だった。


そして、11歳を迎える年の夏休み、品のある便箋に赤い蝋で封をされた手紙が届いた日。胃の中へ流し込まれた冷水が体内に浸透していくように現実へ溶け込んだそれを、彼女は甘んじて受け入れた。













がたり、と音を立てて光が射し込む窓を押し上げた名前は、久しぶりに外の空気を味わった。湿っぽくなってしまった部屋に風が吹き抜けて夏の到来を感じさせる。
マグルの子供たちが甲高い笑い声と共に煉瓦造りの通りを走っている。中には麦藁帽子を被っている子も居て、季節を先取っていた。

無情なものだった。彼らがこうして外を走り回れるのも、笑顔で居られるのも全て闇の帝王が再び挫かれたからだというのに。無知とは恐ろしい。何も知らないとは、なんと罪深い。
目を背けるかのように振り返れば、先程放り投げた新聞から灰色の瞳と目が合った。痩せこけ、やつれ、死人のような形相の指名手配書ではない彼が、屈託の無い笑みを浮かべていた。
ホグワーツを卒業した時の、写真だった。


「今更、」


無実の彼を責め立て、アズカバンの集団脱獄でさえも彼の企てだと言い切っていた魔法省は真実を知った途端、正義面を振りかざし彼を擁護する記事を書く。


本当に、今更だった。






苗字名前にとってシリウス・ブラックとは、共に学び舎で過ごした学友であり、容易く記憶から忘却出来うる存在ではなかった。何故なら彼と過ごした日々は余りにも多く、その姿を眼に映すことを私自身が望んでいたからだ。

簡潔な話をすれば、彼を愛していた。

三十路の女がこんな話をするのは恥ずかしい事なのかもしれないけれど、この際だから構わない。この何十年間、私は彼をひたすらに愛していたのだ。








開け放っていた窓をそろりと降ろし、カーテンを閉めれば部屋は再び暗がりに戻った。新聞を手に取り、折り畳んでゴミ箱に捨てる。すると新聞は粉々になりバケツ底にあった口の中に噛み下された。
どさりとソファーに身を落とし瞼を閉じれば視界は段々と暖かい暖色に包まれていく。ゆるゆると落ちていく感覚と今までとは違うソファーの柔らかさに心地よい眠りが襲ってくる。
私の部屋には存在しないはずの暖炉から薪が爆ぜる音がして、なんとなくここはグリフィンドールの談話室なんじゃないかと思った。肖像画の絵の具の匂いや、ソファーの生地の感触。どれもよく覚えている。



『名前、こんな所で寝ちゃ駄目よ』

『君が風邪を引いたらみんな心配してしまうよ』

『そ、そうだよ…名前、起きて』

『温かいホットココアを淹れたよ』

『名前、起きろって』




口々に聞こえてくる懐かしい声、甘い匂い。起きろと言う癖に、その先に待ち構えているのは暗い天井で私は何度も失意に呑まれるのだ。素晴らしく感じ震えると同時に、酷く残酷な幻だと思った。何せ現実は幻と遠く懸け離れた世界に成り果ててしまい、今やそれが現実に存在するのはたった一人になってしまったのだから。

彼も、同じ幻を見るのだろうか。

孤独な狼の心優しき彼とは、あの日以来顔を合わせていない。瞼の上で優しく微笑む幼い彼等になら、今すぐにでも会いたいと思うのに。


不意に玄関の方から呼び鈴の音がした。否応なしに現実に引き戻された私は飛び起きる。何故ならこの家は私の隠れ家であり、不死鳥の騎士団メンバーの中でさえ数える程しかしか知らない場所なのだ。
数十年前、死喰い人が闇の帝王失脚時に居場所を聞き出そうとロングボトム夫妻を拷問した。それが繰り返される事がないなど決して言い切れない混乱がまだ魔法界には存在した。



本棚の上に放置してあった杖を握り、構える。ゆっくりと暗がりの玄関に向かい「誰?」と呟けど返事はない。そのままドアノブに手を掛け、回した。眩しいくらいの陽の光が射し込んで闇に慣れていた私は目映さに手を翳し、目を凝らす。





途端に息を呑んだ。

きっとまだ夢の延長線上なのだろう。戸惑いに体が震えた。あまりにも見慣れた姿がそこに佇んでいたのだ。最後に見かけた時と同じくスラリとした長身は細身を際立たせて、新聞越しではない薄灰色の瞳と視線がぶつかる。筋の通った鼻、艶やかで無造作な黒髪。彼の口角が嬉しそうに上がり、にっこりと笑みを浮かべる。


「あぁ、やっと会えた」


生前と変わらぬ笑顔に、私は目を奪われたままだった。






20101121 杏里







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -