首筋に伝う汗がゆっくりとシャツに吸い込まれていく。炎天下、というのに相応しい焼け付く太陽が真上に登るその日、部活が終わった俺たちはいつもの公園に立ち寄った。
二人して見慣れた水色のベンチに腰掛けると、名前は足元に擦り寄ってきた猫を抱き抱えとった。

夏休み真っ只中。俺は部活に打ち込み、名前は帰宅部じゃったからバイトに精を出しとった。
会える時間は少ないし俺も彼女も口下手。話す内容はいつもおんなじもんばっか。でも、名前の笑顔を見るたんびに心臓の奥、肺のあたりがゆっくりと温かくなっていって、名前もそれは同じみたいで、俺たちは十分幸せじゃった。





今日は特に暑い。眩しい日差しに「病気になりそうじゃ」とおどけて呟いたら、ちょっぴり笑いながら「バカはる」と返された。
名前は少し口が悪い。でも、そんな所もひっくるめて好きだ。暑さのせいか、軽く耳に掛けた横髪から覗く名前の真っ白な肌に目を奪われてしまった。

俺が暑さや寒さに弱いのは周知のことで、名前はそれをよく知っとる。テニス部の連中なんぞは俺が避難する避暑地を競って奪い合いに来るしのう。




確か、その日は8月15日だった気がする。テレビや新聞にやたらと終戦から××年、と掲載されていたからだ。

「でもまあ夏は嫌いかな」

俺の言葉に返そうとしたのか、猫を撫でる手は止めずに名前が、ふてぶてしく呟く。膝の上の猫がそれを宥めるように鳴いた。更に俺が手を伸ばして毛並みを整えるように顎の下を掻いてやると、甘えたような声を出した。
けれど猫は突然ピクリと耳を震わせて、とたとたと公園の外へ歩いていってしまった。「あ、待って」ベンチに荷物を置いたまま名前は猫を追いかけていく。勿論、そんな彼女を追いかけた俺は、すぐに息を呑んだ。

猫が立ち止まり、そこに飛び出した名前の先に見えたのは、赤に変わってしまった信号機だった。
バーッと通ったトラックが、名前を巻き込んでスリップする。ドンッと生身の何かがぶつかる嫌な音がした後に、何かが潰れる音。初めて嗅いだ血飛沫の臭いと、嗅ぎ慣れた名前の匂いが混ざり合って噎せ返った。

「名前、…?」

変わり果てた姿の名前がトラックの端からはみ出ていた。立海の夏服の深緑が浅黒く変化していく。その傍には彼女が追いかけた猫が、少し悲しそうに鳴いていた。

これは一体どんな冗談じゃ。



「嘘じゃないぞ」


誰かが笑う声がした。





目が覚めたのは、8月14日だった。携帯の表示に違和感を覚えたのは、俺はこの日を既に終えていた気で居たからだ。そして俺の耳は、やけに五月蝿い蝉の音を覚えていた。


「雅治?」

ぼーっとしていた俺に話し掛ける名前は、少し困ったように笑った。夢と同じ公園に居た俺たちは、いつもと変わらずそこにいた。
ただ、これから起きてしまうかもしれないそれに、俺は急に怖くなった。夢だと言い切れるのだろうかと、たかが夢に恐怖を抱いてしまったのだ。



「もう今日は帰ろうかの」

「え、もう?」

首を傾げながら「今来たばかりなのに」と疑問符を浮かべる名前の手を引いて歩き出す。少し早歩きに公園を抜け出して、道に出た。そこで夢で見たようなトラックが俺たちを追い抜いて次の信号で止まった。

けれど周りの人が皆、上を見上げ、口を開けていたのには気付けなかった。



周囲の視線の先を追えば、それは俺達の真上だった。すぐに彼女を振り向けば同時に落下してきた鉄柱が、名前を貫いて地面に突き刺さる。
繋いでいた手が、衝撃で離れた。俺のじゃない、つんざくような悲鳴が上がる。どこからか風鈴の音が、小さく脳内に入り込んできた。

つい先程まで繋がれていた手に、名前の体温が残っとる。それを握り締めると、現実が俺を呑み込んでグシャグシャにした。鉄柱が突き刺さる前、名前は笑っていたような気がした。


誰か、夢だと言ってくれ。



「夢じゃないぞ」


俺に言い伏せるように誰かが、笑った。




何度視界が眩んでも、何十年、もう何度繰り返したのか分からないその日を、俺は何度も迎えた。彼女の死を回避しようと足掻けば足掻くほど、悪夢のような終わりを迎える。
そして名前が死ぬと俺はあの笑い声と共に過去へと飛ばされるのだ。

けれど、俺は気付いてしまった。何も、彼女の死を回避するだけが解決方法では無いことを。思えば在り来たりな結末で、それ以外に方法が無いのだと頭の中はやっと見えた悪夢の出口に歓喜した。




「雅治、どうしたの。今日はやけに元気だね」

名前が愛らしく笑う。ああ、やっと。やっとお前さんを助け出せる。何度も何度も救えなかった、目の前にいたのに、誰より傍にいたっちゅうのに。
名前の膝の上で丸まっていた猫が不意に耳を震わした。


「あ、待って」

猫がとたとたと道路へ飛び出す。それを追い掛ける名前を押しのけ、飛び込んだ。瞬間、視界が揺らいでトラックにぶち当たったのだと気付く。
真っ赤な血飛沫の色は名前の物と対して変わりなかったけど、彼女の物ではない。俺を見つめる名前の瞳が絶望に歪んでいて、軋む体に乱反射した。


「つまらない」


いつもの、誰かの声がした。


「ざまぁみんしゃい!!」


俺は、そう笑ってやった。









8月14日。私はまたこの日を迎えた。いつもの公園で、自販機に飲み物を買いに行った雅治の背中を見つめて溜息を付いた。

「また駄目だったよ」

足元に擦り寄ってきた猫を抱き上げながら呟くと、猫は喉を鳴らした。やっと、雅治を助けることが出来ると思ったのに。あろう事か彼は私を庇ってトラックに突っ込んでいってしまった。


「病気になりそうじゃ」

手渡された冷たいジュースを一口、雅治と何千回目になるか分からないこのやりとりを繰り返す。

「馬鹿はる」

そう笑えば、雅治は柔らかく笑う。ああ、大好きだ。私は雅治が大好きだ。焼き付ける太陽に彼の銀髪が反射する。悪戯っぽい目元が、少し寂しがり屋なその口元が、あと数分後にはこの冷やされたジュース缶のように熱を失うのだと思うと無性に泣きそうになる。


私は雅治が大好きだ。この命と引き替えに貴方を救いたいと願う程に。今度こそ、雅治を助けてやる。そしたら雅治に「もう大丈夫だよ」って笑ってあげるんだ。


「でもまあ夏は嫌いかな」

貴方を奪ってしまう夏なんて、嫌い。
初音ミク/カゲロウデイズ
20120125 杏里

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