※白石視点





名前が千歳と仲良うしとるのに気付いたのは、つい最近やった。昔から家が近こうて俺を見かける度に「白石!」なんて笑っとった名前が、千歳の隣をめっちゃ幸せそうに歩いとるのを見て、何だか俺も幸せな気分やった。

千歳も何だかんだ言って、名前の為に学校に来るようになっとるし。ああ、二人両思いなんやなあ、なんて微笑ましく思っとったんや。




けど、名前は千歳が居なくなると決まって、悲痛な表情を見せよった。二人の恋路を気にしてた俺だけしか、きっと気付けへんかったと思う。

名前の家は張りぼてやった。いや、正しくは、家族が、やった。世間面はめっちゃええ、幸せそうな家庭や。絵に描いたような、全く無駄のない家庭やった。
俺はずっと名前の異変に気付いてすらやれんかった。ちょっと触れただけで簡単に崩れてしまう、ベニヤ板で出来た家庭やっちゅうのに。



夜、隣の家から尋常やない金切り声が聞こえたんが、一週間前。おかしい、そう思うた。けど次の日、朝練に向かう時、丁度名前と親父さんの出勤と鉢合わせした。
名前はぴくり、と俺を見て少し戸惑ったように揺れた。けれど一瞬で笑顔になって、声を掛けてきた親父さんは俺と目を合わせてにこりと笑ったんや。

「蔵ノ介くん、朝練かいな?」

「はい、そうです」

「偉いなあ」

違和感なんて微塵も感じられへんかった。昨日の悲鳴は、一体何やったんやろ。頭の中で引っかかりながらも俺は目の前の男の作り上げた張りぼてに騙されて、何も気付けへんかったんや。




「なあ白石、名前最近学校来えへんやん、何か知らんのんかい」

きっと俺は、謙也がこう口にしなければ気付きもしなかっただろう。謙也の隣には千歳。いつになく表情が固い気がするのは、気のせいやあらへん。

「名前が?あいつ、学校来とらんかったんかい」

「は?白石それマジで言うてるん?名前、一週間前からずっと風邪ひいてるんやで」

クラスの違う名前を見かけない、それはようあることやった。でも、おかしいやないか。だって、名前は今朝、親父さんを見届けていて。



「なあ、今日様子見に行ったらへん?丁度俺等もオフやんか、な?テニス部みんなで行ったろうや!」

「白石、俺からもお願いすったい」

こうして、俺たちは名前の家族の張りぼてを知ることになる。




「こんばんわー、名前ー、居るんやろー」

謙也がチャイムを鳴らしたが、一向に中からの反応はなかった。おかしい、今朝、確かに名前は居た。まさか眠っとるんとちゃうか?そう判断して引き返そうとした俺等の元に、千歳と、いつもとは逆で行方不明やって千歳が探しに行っとった金ちゃんが遅れてやってきた、のだが。


「何や、なんや一体どないしたんや二人とも!」

金ちゃんは顔を真っ青にさせ、千歳に限っては焦燥を隠し切れてへんかった。そのままチャイムを何度か鳴らしたり、玄関を蹴破ろうとしよる。

「待て千歳!一体何が…」

千歳はいつもになく、取り乱しよった。あのおおらかで何を考えとるか分からん千歳が明らかに動揺しよる。
千歳の肩を掴み、やめさせようとすれば、一言、呟いた。



「腐敗臭がするばい」








ガシャン!ついに玄関を蹴破った千歳は、口早に言った。

「裏山に入ったとき猫が死んで腐ったのを見たことがあったけん、あの時の、肉が腐った臭いによお似とるとよ!!」


入り込んだ玄関は不自然なくらいに静かやった。そして、入った瞬間に俺は思わず口元を覆った。
千歳や金ちゃんは他人よりも嗅覚が鋭い。家の外に微弱に流れ出始めていた腐敗臭に気付いてしまったんやろう。


「何や、コレ。あかん、俺吐きそうっすわ」

「しっかり口と鼻、ジャージで押さえとき!」

謙也の家は病院や。親父さんから予備知識として教えられとったらしい。
そんな中、千歳は長袖で口元を覆い、ズンズン二階へ上がっていった。金ちゃんも泣きそうになりながら「アカン、白石ぃ、二階めっちゃ臭いで!」と叫んだ。


そして。


「名前!!」

千歳の悲痛な叫びに、思わず二階に駆け上がった。だが、俺たちはそれを後悔することになる。小春が泣きそうに叫び、ユウジは吐いてしまった。財前でさえ、「ありえへん!」と必死に吐き気を押さえている。銀は両手を合わせ、目を瞑った。
金ちゃんはついに泣きだし、謙也は千歳の後に続く。


二回の角部屋、確か、名前の部屋には、血塗れで腐敗の始まった女の死体の横に、座ったまま動かない名前の姿があった。


「お父さん、おかえりなさい。ご飯にしますか、お風呂にしますか?お仕事お疲れさま、ゆっくり休んで下さいね。お母さんは今疲れているので私が家事をすべて引き受けています。風邪を引いて学校には行けません。連絡も取ってもいけません。はい、お父さん。ありがとうございます、ありがとうございます、お父さん、ありがとうございます。ありがとうございます、ありがとうございます。私が今ここにいるのは、お父さんのお陰です、笑っていられるのも、お父さんのお陰です。ありがとうございます、ありがとうございます。ありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます、お父さん、お母さんを蹴らないで、お母さんは疲れて眠ってるの、だから蹴らないで、蹴らないで、お母さんを蹴らないで、ありがとう、お父さん、ありがとうございます、お父さん」

焦点の合わない目線をこちらに向け、笑って見せた。そんな名前を千歳は「どげんして、こんな…!」と抱き締める。依然、名前はにこにこと笑ったままだった。
謙也がすかさず千歳に抱き抱えるよう指示した。千歳は深く頷くと、名前を横抱きにする。
財前が警察に連絡を入れた。「至急、来るらしいっすわ」と、吐き気を押さえながら語る。そんな風景を見やりながら、俺は更なる引っかかりに悩んでいた。なんやろ、俺、めっちゃ大事なこと忘れてへんか。


「財前、今何時や」

「今?7時っすけど…」


小さい頃から見とった名前の親父さんは、いつも決まった時間に帰宅していたんや。





「アカン、はよ此処から逃げるんや!」

「な、何やどないしたん白石、警察待つべきやろ!」

「そないなことしたら俺等は!!」

勘のいい財前や小春は気付いてしまったらしい。そうだ、何がおかしいって、一つしかあらへん。この家で、自分の妻が腐りかけ、その死体の傍に娘を放置した、父親が、平気でおれるわけがないんや。








「名前、お友達が遊び来てるんならそう言わなアカンで?」

そこには相変わらずにこやかな、名前の親父さんが居った。途端に千歳に抱かれていた名前の表情が変わる。焦点のない瞳が酷く揺れ、恐怖に顔が引き釣っている。

「お、とうさ…」

「名前、俺を見んね」

千歳はそう言って名前の頭を抱え、父親を彼女の視界から隠した。震える名前は、きつく千歳に抱きついた。


「君が千歳くんか、うちの名前がお世話になっとったみたいやね」

「名前は渡さんばい、大人しく刑務所ち入っとかんね」

元々切れ長の鋭い千歳の目が睨み付ける。せやけど目の前の男はびくともせえへん。淡々と、俺たちを見やる。








「何や、俺が大人しく君等帰すみたいな口振りやん」

名前が、ビクリ、と揺れた。


「君、右目、あんま見えへんのやろ?」

親父さんの左手に、赤茶けた出刃包丁が握られとった。途端に名前は尋常じゃない震えを見せ、自分を抱き抱えたままの千歳に向かって叫ぶ。

「に、げて!」

そのまま千歳の死角になる右側から下から上へ振り上げられる。せやけど千歳は、ワンテンポ遅くにしか反応でけへん。おまけに名前を抱えとる。避けるのにはあまりにも条件が悪すぎる。瞬間、嫌な音がした。


「千歳!!!」

名前の父親が、初めて表情を変えた。あれは狂気や、正気の沙汰やあらへん。嬉しそうに歯を剥き出しにして笑う人間が、居るなんて。
千歳の呻き声がして、腕からぱたぱたと赤が滴り落ちた。けれど千歳は名前を抱く腕を緩めなかった。俺たちは動けずにいた。下手すれば、名前も千歳も危ないからや。

すると、千歳が此方を振り返り、目をやった。そして名前の肩を抱いていた側の人差し指で二度名前の肩を叩き、それから床を指差した。俺は、瞬時に判断した。




「捕まえたばい」

突然千歳はそう呟き、俺はその場に走り出す。驚いた男は俺から距離を取ろうとしたが、俺の目的はお前やあらへん。

「お前さんは俺が相手するけん、覚悟すったいね」

千歳の腕から名前が離された。そしてそのまま包丁が握られている手を押さえ込む。回り込んだ俺は名前をキャッチした。それを確認した千歳は男に低い声で凄んだ。

「九州ば居ったときは、桔平とよお殴り合いば行きよったけん、腕っ節には自信があるばい」


骨に叩き込む、嫌な音がした。











「安静にしとったらあと一週間で退院できる言いよったで」

事情が事情なだけに謙也の病院に入院することになった名前。謙也のオッチャンなら安心や。名前のお母さんのお葬式はお母さんの妹、つまり叔母さんがやってくれることになったらしい。そんでもってこれからは叔母さんと暮らすんやとか。

「にしても千歳めっちゃ格好良かったなあ、あないに真っ直ぐ入るストレート、みたことあらへん!」

謙也が感心したように言う。放課後、二人で毎日お見舞いに来とるさかい、病室の場所も完璧に把握済みや。

いよいよ名前の病院の前まで来て、ノックがてら失礼するで、と口に出そうとしたら中から聞いたことある声がするやんか。





「名前、卒業したら熊本で一緒に住まんね?」



千歳や。しかもめっちゃ緊張しとるやんか。そんな千歳の包帯が巻かれとる腕を心配そうに見つめながら名前は照れたように笑った。

「みんなば名前に会うの楽しみにしとるけん」

「私も、千歳の家族に会いたいなぁ」

「ほなこつ?よかったばい、」




謙也と目配せしあって、小さく笑った。何や何や。お前等、幸せやん。





見守る白石。
20111103 杏里

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