夏の強化練習が始まり、夏休みでも学校へ向かわなければならなかった私たちはいつもの十字路に立っていた。

青すぎる真っ青な空に堂々と浮かぶ入道雲、夏の暑苦しい日差し。十字路の角に一つの大木があり、わたしたちはその木陰で仁王を待っていた。


あいつが待ち合わせに遅れるのはいつものことで、丸井は部活中に噛む予定だったガムを我慢しきれずに口に放り込んだ。
テニス部のマネージャーである私も一通りのスケジュールを幸村君と話し合わなければならなかった。

しかし、私たちはその時点で気付くべきだったのかもしれない。仁王は授業をサボるために遅刻することはあっても部活に遅れることは今まで一度だって無かったことを。あの何処か掴めない仁王が唯一、本気になれる場所だということを。





待つだけ待った、真田に殴られるのはごめんだと自転車に跨った丸井を引き留めようとすれば携帯が振動した。先程から仁王にメールや電話を掛けまくっていた訳だが、ようやく連絡が繋がったらしい。
背面ディスプレイに表示された『仁王雅治』の文字を見せ、漕ぎ出そうとする丸井のカッターシャツを掴みながら電話を取った。


丸井が私を振り向いた。

今まで引っ張られていたカッターシャツを引っ張る手が離れたからだ。皺が寄り、少し汗っぽくなった丸井の体に引っ付いてしまった。
私はきっと酷い顔をしていたのだろう。どうした、と丸井までもが顔を歪めたのだ。







「にお、が、事故った」

絞り出した声は掠れて、上擦った。頭がガンガンする。丸井の風船ガムがばちり、と割れた。途端に視界に映る丸井がぼやけた。塩分の膜が溢れて、唇が震えて、呂律が回らない。
仁王の携帯から掛けているのは、彼を運送中の救急隊員だった。今の現状を話す言葉に耳を傾けるけど上手く頭に留まらない。


「……出血、ひどくて、血液が必要だから、家族に連絡取ろう、として、仁王の着信履歴にいっぱい居たあたしに、掛けたっ、て…」

「なんだ、よ、それ」

丸井は跨っていた自転車から降りた。そのまま手を離したものだから、重力に逆らえない無機質たちは地面に倒れ込んだ。
籠に入っていたスクールバックが嫌な音を立てる。中には丸井のお菓子たちが、あの銀髪と共に封を切られるのを待っていたはずだったのだ。




目の前に横たわる男は、もう言葉を発さないのだと伝えられているようだった。かろうじて繋ぎ止められた命は中途半端に仁王をこの世にぶら下げている。
仁王は一人暮らしをしていて、両親は多忙の中駆けつけた。しかし数分後、二人は悲痛な顔をして仕事へ帰って行った。唯一、お姉さんが付きっきりで看病をしている。

私は部の練習を終えた後、お見舞いに行くのが日課になった。病室を訪ねるとお姉さんは決まって、ハッとしたように顔を上げる。時々丸井や赤也、他のテニス部と向かうことがあったが大人数で出向くのはよくない。いつも私か、誰かという鉄則が出来ていた。

ファンの子が何度か押し掛けたけど、お姉さんの意向でそれは叶わなかった。だから、私は仁王の過激なファンに詰め寄られたこともあった。けれど「仁王くん、今どうしてるの」なんて言葉を聞かされれば、無碍に出来なくて。彼女たちもまた、仁王を心配していたのだ。




仁王の銀色は、随分と無くなっていた。根元から黒が覗いている。お姉さんが仁王の目にかかる前髪を横に流した。何よ、黒髪でも似合うんじゃない。



「これ、名前ちゃんに」

ある日のことだった。仁王のお姉さんが私にアルバムのような本を渡してくれた。仁王に本、似合わなさすぎるそれに首を傾げるとお姉さんは赤く充血した目を細めて、笑って見せた。
開いてみると、そこには沢山の写真があった。一ページに何枚もあれば、一枚だけぽつんとあるページもあった。あの面倒くさがりの仁王には珍しく貼った写真の下に日付、そして一言が書き殴られていた。

中学一年の頃、丸井と仁王と初めて同じクラスになり文化祭の時に撮った写真から、高校になって初めての大会の打ち上げまで。
いつ撮ったの、と言いたくなるような写真だってあった。これ、明らかに隠し撮りだ。だって私、爆睡してるもん。日付は確か、二年の頃。部室で名前が爆睡…プピーナ。


「ば、か、意味分かんないよ」

思わず開いていた本を閉じてしまった。見ていられなかった。だって写真の中の仁王が笑っていて、すぐ近くにいる仁王は目を覚まさないだなんて。
お姉さんの目が赤かったのはきっと、渡す直前までこれを見ていたからだ。




「あの面倒くさがりの雅治が、こんなの作ってただなんて」

「……私も、知りませんでした」

仁王の家には丸井と何度だって行ったことがあった。けど、こんなに大切なもの、一度も見せてくれなかった。



「あのね、名前ちゃん」

お姉さんがまた小さく笑った。そして、その手には、

「雅治、ほんと、いつの間にこんなの作ってたのかしら、ね」

見せられた小さなカードにドキリと心臓が嫌な音を立てた。不規則な音に何かが折れそうになった。ぐにゃぐにゃと嫌な音がしそうだ。あの十字路で電話を取った時みたいに頭がガンガンする。ああ、そんな。やめて、やめて。


「ドナー登録、してたなんて」






仁王は飛び出した子供を助けるために事故にあってしまったらしい。助けられた子供は無事だったけれど、その子は心臓病を持っていて、折角仁王に助けられた命だというのに長くは生きられないらしい。ただ、心臓移植を待つことが最後の希望だと。
だけどそんな事をしてしまえば、間違いなく仁王雅治という人間は消えてしまうのだ。この世から、跡形もなく。
でもそれを決めるのは私ではなく、仁王の家族で、私は嗚咽を飲み込むことしかできないとても小さな人間だった。







「何で泣いてんの?」

弱々しい声がした。顔を上げて、私は目を見張る。目の前には誰かを彷彿とさせる銀髪に、時々どうしようもないくらい優しく光る蜂蜜色が揺れていた。
男の子の腕には、名前と担当科のリストバンドが填められている。その名前に、聞き覚えがあった。




「ないしょ」

「ふーん…」

「君は、どうしてここに?」

「…俺、ここがわるいんだ」

ぎゅう、と左胸を押さえた男の子は小さく笑った。

あの事故の日から突然髪がこんな色に変化してしまったこと、私を見つけて、話しかけなければいけないと思ったこと。男の子は淡々と語った。


まるで仁王が彼の中に移り住もうとしているみたいだ。

ああ、お姉さんが、ご両親が迷う気持ちも分かる。普通なら自分の息子を弟がこんな事になった原因を助けようだなんて思わない。この子だから、この子だからこそ。



少し猫背気味の姿勢から私を覗き込む男の子が日差しで逆光に包まれた。ふわふわの銀髪が柔らかく、あの瞳と目線が絡まった。


「お姉さん、?」

「名前ちゃん、泣かんで」


ああ、仁王だ。








「暑い暑い夏がまた始まりました。青すぎる真っ青な空に堂々と浮かぶ入道雲、夏の暑苦しい日差し。十字路の角に一つの大木があり、わたしはその木陰で仁王を待っていました」


けれど、彼が現れるはずもなく、私は今日もまた丸井と一緒に道を歩きます。今となっては制服ではなく私服。エスカレート制で立海の大学に上がった私たちはあれからもずっと一緒です。
そんな私たちの隣を、立海大附属中学の真新しい制服を着た銀髪が駆けていきました。片手にラケットケース、今年も立海は全国制覇を目指し、常勝するのでしょう。



命は巡って、廻る
20111016 杏里

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