(ラビ視点の二人)
「そんなの聞いてねえ」
「ええ、言ってないもの」
教団の廊下に響いた声に思わず足を止めてしまった。人気のない廊下だと思っていた場所で、これまた意外な二人が会話をしていたからだ。黒髪で腰に刀をさした男と、もう一人。
「アジア支部に移るのは前々から考えてたの。バク支部長がコムイさんに内緒で何回か誘ってくれてて」
「ふざけんな、何勝手に言ってやがる」
「勝手も何も、私が決めたことに神田が口出しする権利なんて無いじゃない」
神田ユウはこの黒の教団の優秀なエクソシストであり冷徹な男として有名だ。そして片方は名前、この黒の教団のエクソシストであり常に笑顔の絶えない華やかな女性であった。
この二人が普段の生活で関わりを持っているのを俺は見たことがなかった。あったとすれば、とうの昔にユウをからかうネタになっていたに違いない。スクープを見つけたような気分で俺は気付かれまいと気配を消した。
「んなもん知るか。とにかく、」
いや、これはネタどころではなくなっているかもしれない。俺は軽く戸惑いを覚えた。あのユウが、他人の行動に干渉し、尚且つ気にかけている。いつも周囲との関係を遮断したがるあのユウが、だ。
「だから、神田には関係ないでしょ?今からコムイさんに交渉しに行くから、じゃあね」
名前は困ったように眉根を寄せて言った。そして室長室へ向かうべく片足が動き出す。
反射的に神田は手を伸ばした。けれど、それが名前に届くことはなかった。神田が何故か、伸ばしかけた手を引っ込めたからだ。
結局、名前はそんな神田に気付くことなく去っていった。
数週間後、名前のアジア支部へ移転が発表された。そして今日、リナリーや科学班のみんなはアジア支部へ旅立つ名前を見送る。勿論、俺だって。
あれからリナリーの話で二人の仲がいいことを知った。昔から教団にいるリナリーは、よく神田と名前が話しているのを目撃していたらしい。しかし周囲にはその事実を知るものは少ない。
それは神田か、それとも名前か。お互いがお互いを思い合った結果なのではないかとリナリーは呟いた。
確かに神田はもっぱら一人狼だ。それに比べ、名前の周りには彼女の笑顔に惹かれた者達が集まる。
群れるのが嫌いな神田。それを気遣いヒトに囲まれている名前はおおっぴらに近付かない。逆も然りで、常にヒトに囲まれている名前に神田が近付けば、何かしら摩擦が生まれるのではないか。成る程、それなら納得がいく。
「おーい、お前ら見送りすっぞー」
リーバーが辺りの奴らに呼びかけた。けれどその場にユウは居なくて、きっと二人の会話に居合わなければ何の違和感も感じないだろう。俺だって、そうだったのだから。
「ユウ、行かなくていいんさ?」
名前を見送る団体を、ホールを横切っていく神田を追い掛けて思わず呼び止めてしまった。案の定、ユウは眉間に皺を寄せて振り向いた。
「何で俺が」
「名前がアジア支部行くの、反対してた癖に」
「!」
神田は目を見開いて、それからいつものように俺を睨みつけた。本当ユウは馬鹿さぁ、そんなことしたって名前は留まってくれないってのに。
「何で俺が、知るか」
もう一度、同じ様な言葉を吐き捨てたユウだったけれど。
「ユウ、いっぺん鏡見てくるといいさあ。その不抜けた顔がホントはどうしたいのか聞いてみるべきさね」
俺たちの職種上、何かを引き延ばしにすると言うのは賢明ではないし、希望は持たない方がいい。まさかあの時のさよならが一生の別れになるなんて、ドラマみたいな話は日常茶飯事に起きている。ユウもそれを重々承知している身だ。
途端に舌打ちをして、前髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた神田はまた舌打ちを一つ。気付けば大股で俺の横を擦り抜けていった。
「ホント、ユウは素直じゃないさあ。でもそんなユウが意地を曲げてでも会いに行く名前は、愛されてるんさね」
ゆっくりとユウの後を追えば、ホールのど真ん中で名前の腕を掴んだ神田と、戸惑いに瞳が揺れる名前。リーバーたちは何事かと目を見開いている。
「行くな、」
そんな中、ごく僅か、きっと彼女にしか聞こえないような小さな声で呟いて神田は名前を抱き締めた。これがどんな意味を孕んでいるかなんて火を見るより明らかだっただろう。
意地っ張り神田
20110820 杏里