「また此処に来ていたのかね」



柔らかい声が聞こえた。学生時代、何度も聞いていた声だ。ブルーの瞳を子供のようにキラキラと輝かせている、そんな印象を受ける人。それでいて偉大な魔法使いなのだから彼のような人は早々居ないだろう。
振り返ればやはりダンブルドアは段になっているこの部屋の一番低い場所に佇んでいた。よく見かける、淡い紫色のローブを身に纏って。



「ダンブルドア先生」

「名前にそう呼ばれるのはいつぶりしゃろうか」


つい学生時代の癖でそう呼んでしまい、ダンブルドアは小さく笑ってゆっくりと石段を上がって私の隣までやって来た。そして、悲しげな視線を目の前のアーチに向ける。
目の前にある岩を積み上げたようなアーチは、つい先日死喰い人達と不死鳥の騎士団員の壮絶な戦いが繰り広げられていた場所だった。未だに残る戦闘の生々しい傷跡はあちらこちらに見える。










「3年生の時じゃったの。君達がちょっとした好奇心とスリルを求めて夜の散歩を試みた日、とある空き教室でみぞの鏡を見つけたのは」




突然、ダンブルドアはニコリと笑って昔を懐かしむように語り始めた。私はというと先生に規則を破っていたのがバレていたのに冷や汗を掻いてしまった。
もう卒業しているとはいえ、少しヒヤッとしたのは気のせいではない。




「儂はその日、偶々みぞの鏡に用があっての。しかし、いくら教員であっても生徒の恋路に口を挟むのは野暮というものだと熟知しておったから、耳を塞いでおいたのじゃが。…あの頃からシリウスとは甘い関係じゃったのかな?」

「いえ、あの頃は只の友人でしたよ」

「そうかそうか、いや、すまんの。年寄りの好奇心じゃ」



暗がりのこの空間に、そしてあのアーチの向こうからボソボソと聞こえてくる声は止まない。


ダンブルドアがシリウスの話をしても、それは柔らかく通り過ぎていくだけだった。リーマスやモリーから慰められたり目が合うだけで顔が酷く強ばるのは自分でも自覚していたし、ハリーなんて尚更だった。


別にハリーを恨んでるわけじゃない。


でも、"もしも"というパラレルワールドを望まずには居られないのだ。もしもあの時、彼を本部に残していたら、もしもあの時、ハリーが魔法省へ向かわなかったら。



ハリーはジェームズに生き写しだ。だから、彼が悲しむのはジェームズが悲しんでいるように見えて。リリーの瞳でもある緑の目は、まるで彼女が涙ぐんでいるように見えて。



私は泣くしかなかった。



それをみんなに見せたくなかったから、まだ混乱の残る魔法省に入り浸って此処に来ていたのだ。





「儂は君とシリウスに謝っておかねばならぬ。あの日の夜、儂はほんの少しだけ耳を塞ぐ手を緩めてしもうた。」



子供の悪戯が見つかってしまったように謝るダンブルドアを慌てて慰めて私は素直に言った。



「そんな、構いませんよ。元はといえば規則を破っていた私たちに非がありますから、」

「いや、好奇心は満たすためにあるのじゃから気にすることではないよ。儂は許してもらえて嬉しい限りじゃ。しかし、君たちがあの"みぞの鏡"で何を見たのか不思議でのう。儂からはまるで二人が同じ"のぞみ"を覗き込んでいるように見えたのじゃが」



ダンブルドアはくすくすと笑いながら私を見た。





そうだ、あの日。



私はシリウスに誘われて夜のお散歩をする事になった。ジェームズから借りた透明マントを二人で被り、夜の校内を歩き回ったのだ。
この頃の私たちと言えば、お互いの関係がはっきりとせず気持ちを伝えることさえままならなかった時期だ。


例えばマントの中に密着して一緒に居て心臓が死にそうなくらい激しく動いていただとかシリウスも同じ様な症状に悩まされていただとか、何も知らない時期。
ふと見つけた空き教室に入り込みマントから顔を出せば、長年使われていなかったのか埃を被った教室内にぽつんと縦長の鏡が置いてあったのだ。
当然興味が引かれるのは火を見るより明らかで。





すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ




わたしは あなたの かお ではなく あなたの こころの のぞみを うつす




その意味を知ったとき、私たちは既に隣立って鏡を見ていた。気付けば鏡に映るシリウスと目があって、彼は私の手を優しく取って微笑む。
そして彼は呟いた。声は聞こえなかったけれど、これは私の望み。シリウスには見えていない筈の、望み。





隣を見るとシリウスもまったく同時に此方を向いた。一瞬どきりとして、平静を装い彼を見つめ返せば鏡と同じ様に優しく手を握って来た。まさか、そんな。私の動揺を感じ取ったのか彼は笑顔で呟いたのだ。





「すきだ」







私は破顔して頷いた。











「まさに愛の力じゃ」



ダンブルドアは顔を綻ばせて言う。それを聞いて私は首を振って目を瞑った。すると先生は不思議そうに首を傾げた。



「私には手に入れる資格のない愛でしたから」

「何故じゃ?君達は誰から見てもお似合いの恋人同士だったはずだがのう」



アーチを見つめながら私は唇を噛みしめた。ぷつりと皮膚を犬歯が突き刺して鉄の味が滲みた。




「私はシリウスを憎んでしまいました。彼がジェームズとリリーを売ったのだと、信じ込んでしまいました。彼の言葉を信じなかった、アズカバンで狂って罪を償えと叫んでしまったんです。でも彼は無実で、脱獄して、あんな酷いことを言った私をまだ愛していると言ってくれた」



ぽろぽろと滴が垂れて、視界は霞む。アーチの向こう側から囁く声が、一瞬止んだ気がした。
人前で泣きたくなくてこの場所に篭もっていたのに、コレでは何の意味もない。


「あんな酷いことを言ったのに、彼を憎んだのに、狡いですよね…」



叫びの屋敷で再会したとき、私は彼に杖を向けた。その時のシリウスの表情はきっと、一生忘れられない。
武装解除呪文で杖をリーマスに吹っ飛ばされたとき視界いっぱいに彼の姿が映った。腕の中に閉じこめられて、昔みたいに抱き締められた。あんなに逞しかった腕は少し細くなっていて、罪悪感で胸が潰れそうになった。



シリウスは一度私を離して、いつぞやの様にゆっくりと手を取った。目が合って、少し手を握る彼の力が強くなった。それだけで私は彼が言わんとしていることを容易に推測できたのだ。





「好きだ」




何年ぶりだろう、実に数十年ぶりの事だった。彼の低い声が私の耳へと届いたとき、破顔して頷いたのだった。でもあの日と違ったことは、その言葉の次に「愛してる」と続いたこと。
リーマスに「君達、今はシリアスな展開だよ」と微笑まれた。





「私は狡い、あまりにも」

「いや、君は実に慈愛に満ちた人じゃ。例え憎んでいたとしても彼を再び愛することを選んだのじゃからな」



ダンブルドアは優しく目を細めて笑った。



「ダンブルドア先生」

「何だね名前」

「この向こうに行けば、シリウスはまた微笑んでくれるでしょうか」



アーチを見上げながら私は呟いた。囁く声は少し大きさを増し、まるで私を待っているようにも思える。すると先生は目を瞑り首を横に振った。



「それは儂にも分からん。しかしシリウスはそれを望んではおらぬだろう、君の心臓が鼓動を打ち続けていることを何より愛しく感じている筈じゃ」



先生の方を向き、私は力なく笑う。



「本当は、私も連れていって欲しかった。ずっとアズカバンでも、本部でも一人で寂しくさせていたのに、彼はまた独りぼっちで逝ってしまったから」



セブルスはシリウスを"自業自得"だと言う。確かに彼は学生時代、お痛がすぎた気がする。いや、セブルスに対しては酷い仕打ちだった。



「彼に緑の閃光が走って、当たった時、それが死の呪文だと気付くのにどれだけかかったか。余りにも容易く、人が死んだのは、初めてではなかったのに」



あのアーチのベールの中へ彼が押し込まれたとき、脳内で警鐘が鳴った。彼の身体だけは、身体だけはこの世に、生きた証を、残さなければ。
でも神様は許してくれなかった、許してくれなかったのだ。彼の生きた証を残すことさえも。








「さて、此処から出ようかのう。モリーがきっと美味しい夕飯を作ってくれている筈じゃ」



深く頷いた後、先生はスイッチを入れ替えたかのように明るい声で言った。私は首を縦に一度振り先生の後ろについて石段を下りた。

ふと、ダンブルドアは呟く。



「もう此処には来てはならんよ名前。この場所は君にとってみぞの鏡よりも魅力的に感じるじゃろう。そして、みぞの鏡よりも君を傷つける」



セブルスの言うシリウスは"自業自得"だというならば、愛する彼の亡骸さえ残してくれなかった神様の行為こそが私に対しての"自業自得"だったに違いない。








部屋を出るとき、さらりと風が吹いた。その風はまっすぐに私を吹き抜けてアーチへと溶け込んでいく。





「ちゃんと前見て歩けよ、後ろなんか振り向いたら化けて出るぞ」





そう言って、大人っぽく笑うシリウスの声が聞こえたのは、きっと。





彼の屋敷へ戻るとモリーが涙ながらに抱き締めてきた。彼とは違う、体温と共に。リーマスは微笑みながらモリーの次に抱き締めてきた。ただその中にシリウスが居ないのが、私の心をチクリと刺した。





だけど彼が前を向いて歩けと言うのだから、私に残された選択はそれしかないのだ。






20101014 杏里

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