ゆるく巻いていたマフラーを口元まで引き上げると私は寒さで身を竦めた。空はすっかり暗くなっていて周りの外気はすこぶる寒い。自転車を漕ぎながら夜道を帰っている私は大層縮んで見えるだろう。
じゃこ、じゃこと自転車のチェーンが音を立てる。手袋を忘れたので指の感覚がない、と言うより痛い。
ふと前方を見れば数人の集団が見えた。何かを買おうとしているのか自動販売機の前で固まっているのだ。そんな彼等をぼんやりとした光が販売機のある一帯を照らしていた。
「こんな時間に…」
高校に居残り過ぎてこんな時間に帰っていた私にとって目の前の集団は、あまりいいように見えない。この時間帯に徘徊しているのは大抵不良集団だからである。いや、寒くないのかなこんな時間に。
しかしこの道を通らなければ家には帰れない。す、進むしかないのか。
「ど、どうか気付かれませんように…」
しかしこの自転車、やけに音が立つんだった。じゃこじゃこ音がするんだった。終わった自分。段々近付いていくにつれ、私の緊張は高まり…あれ?エナメル?ジャージ?
「こんな時間までやってるんだ…」
どうやらサッカー部のようだ。ネットに白黒のボールを入れて手に提げている子が居る。「やっぱり力の入れようが違うなぁ」とマフラーの下でモゴモゴ呟いて縮まるが、私の自転車は未だにじゃこじゃこ五月蝿かった。案の定というか、やっぱりこの音は目立つみたいだこっち見てる。凄い恥ずかしい中学生めっちゃ見てる恥ずかしい。家帰ったら絶対修理出すし本当にごめんなさい。
心の中でヒイヒイ言いながら前を通ろうとすれば、ハッキリした声で「こ、こんばんわ!」と聞こえてきた。暗くてよく見えないが、その集団の中でも一番背の高い子が言ったようだった。何故分かったのかと言えば、挨拶をしながらちゃんと頭を下げたからである。礼儀正しい子だ。
それにびっくりしてしまった私は思わず漕ぐのをやめてしまった。うわ、完全に怪しい自分。マジで消えたくなった。とりあえず「こ、こんばんわ…」と返した。すると少年は自分から挨拶をして来たのに私より動揺し始めた。やっぱり止まったの予想外だったよね計算外だったよね、ただ目の前通ったから挨拶したら急停止されたら戸惑うよねごめんなさい。
急いで再び漕ぎ出そうとペダルに足を掛けたのだが、別の声が「待ってくれ」と呟いた。少し面倒そうな声色だった。
「源田、悶えてないでさっさと聞けよ。お前のためにこのクソ寒い中時間潰してまで来たんだぞ」
「そうですよー、先輩がようやく決意決めたと思ったら…佐久間先輩と同じ意見なのは癪に障りますけど、寒いです先輩」
「さ、佐久間!成神!」
「おい成神もっぺん言って見ろ、殺してやるから」
「やだなー怖いですよ佐久間先輩」
自動販売機の逆光で見えにくいが私を引き留めたのは女の子みたいに髪の長いサクマくん。暗がりでも美人さんだって分かる。声がなかったら完全に間違えてたよ。
その隣の後輩らしいのはナリカミくんと言うらしい。何か耳当て付けてるような…。そして、私に挨拶をしてくれたのはゲンダくん、みたい。言い争いになってきたぞ大丈夫か。
「とりあえず聞けよ、簡単だろそれくらい」
「源田先輩、男を見せてください!」
「…わ、分かった」
ごくりと喉を鳴らしたゲンダ君は、私に向き直った。あれ、なんか目が泳いでるよこの子大丈夫かな?
私の心配を余所にゲンダはガチガチのまま近付いてきて素早く何かを手渡してきた。かじかんだ手先に触れた乾いた何か。私が目をやる先に、ゲンダくんは答えを呟いた。
「あ、あの、俺、源田幸次郎って言います。これ…連絡先です」
「あ、どうも…」
って待て自分ァアァアア!何自然に受け取っちゃってんの!え?自分こんなに乗りよかったっけ?え?手渡されたのは無造作に折り畳まれた白い紙。連絡先って言ってたな、ちょっと待ってこれどゆこと?どゆこと?
脳内パニックに陥った私は頭の中がこの紙と同じ真っ白になった。
ゲンダくんの後ろでサクマくんやナリカミくんたちが「三時間も待ってそれしか言えないのか」「そこが源田先輩らしいんですかねー」と零していた。さ、三時間?なにゲンダくん連絡先配ってんの?道行く人に配ってんの?な訳ないか、イヤでも何で?
すると私の携帯から「猫とアヒルが力を合わせてみんなの幸せを〜マネキネコダァク」と流れ始めた。うわ今更だけど恥ずかしすぎるこの着信音!
ぎゃいぎゃい勝手に慌てて電話を取ると『どこ行ってんだよ姉貴!』と怒鳴り散らされた。ひぃいぃい弟よ日に日にやっさん口調化するのやめてー!只でさえデコ広いんだからやめてー!あ、やべっデコ関係なかった。
『こんな時間までどこほっつき歩いてんだよ!今日お前が飯当番だろ!』
「ごめんすぐ帰るから!今家の近くの自動販売機…」
『ハァッ?じゃあさっさと帰って来いよ、30秒以内に帰ってこなかったら来週全部当番やらせるからな』
「えぇー!そんな怒らないでよ渡…うん、うん分かったから!」
「わたる…?」
「えっ、もしかして…」
あれ、ゲンダくん達が何か固まってるんだけど?どうしたのどうしたの?携帯を持ったままゲンダくん達を見ていると渡が『今の声、源田と成神?』と見事当てたのだ。渡ってばエスパーだったのね!
「えっ渡知ってるの?」
『姉貴動くなよ、でもってそいつ等から直ちに離れろ!俺が行くまでに!』
「えっ!渡来るの?」
「源田先輩、確保です!」
「辺見が相手なら来る前に拉致しないとお前の恋終わるぞ」
「な、何の話して、ってうわぁああ」
「すまない、終わるのは嫌なんだ」
「話が全然見えない!何事!何事!」
急に自転車から浮遊感。気付いたらゲンダくんに抱えられてた。「…軽い」とか零さなくていいよ!重いの知ってるから!私の自転車はナリカミくんが持ってる。あ、サクマくんがゲンダくんの荷物を私のマイバイクのカゴに入れた。
「よし、逃走!」
「させるかぁあぁああ」
「げっ、辺見」
背後から我が弟、辺見渡の声が聞こえた。あれ、もう風呂入ったのかな前髪下ろしてる。しかもジャージだ。それを見て逃走を謀った三人は動きを止めた。
「誰だあれ」
「辺見先輩は禿げてますもんね…人違い?」
「辺見はもっと額の面積が広かったよな」
「お前等マジで殺すぞ!」
「渡は禿じゃないよ!デコだよ!」
「姉貴も黙ってろ」
渡はズカズカとゲンダ君の隣へ来て、私を見た。そして急に遠くを見るような目をして私に言った。
「お前なら姉貴を任せられるわ、頼んだぜ源田」
「渡までなに言ってんの話全然見えないんだけどぉぉお」
グダグダ?知ってる
20110325 杏里