胸に挿した赤い花が、とうとうこの日が来たのだと教えてくれる。少しウキウキした気分で臨んだ卒業式は後半になるに連れて涙腺を緩ませていった。結局、答辞の後の合唱と在校生の言葉で完全に涙腺を崩壊させたんだけど。
目を赤くして啜り泣く女子や、涙を堪えて上を向く男子。在校生に見送られながら体育館を退場すると、その後は教室に戻って担任の先生の話を聞いた。いつもより気合いを入れて着慣れない黒スーツで教卓に立つ先生は最高に格好良かった。このときの話はベタなものでもすぐに泣けてくるものだから困ったものだ。


「名前ちゃん」

大体のクラスメートは後輩や友人達との記念写真を撮りに玄関前に集まっているようでこの階に人の気配はない。だけど私は、まだ教室にいた。別に輪に入りたくなかったわけではなかった。だけど、この席に居たかったのだ。
そんな所へ幼なじみの秋がひょっこり顔を出した。よくよく見れば、クラスに居たのは私だけであった。

私の席は、真ん中の列の一番後ろ。このクラス全体が見渡せる素敵な場所だった。誰が携帯をいじっていて、居眠りをしていて、絵を描いていて、全部見えてしまう少し狡い場所。居眠りしてもバレにくくて学校生活最後の席が此処で良かったと思う。
だけど、明日から私の居場所ではなくなってしまうのが惜しかった。




円堂くんは私の二つ前の席。居眠りしてないときは決まって机の横に掛けてある部活動鞄を漁っていたり、少し古びたノートを必死に眺めている。でも不意打ちで当てられると隣の席の秋に助けられるのだ。
窓側の三番目には鬼道が座っていてよく先生に当てられる。彼は容易く答えてしまうので周りは感嘆の声を上げるのだ。それでも鼻にかけない鬼道は偉いと思う。やっぱり財閥の跡取りは違うなぁ。

廊下側の一番前は風丸、彼は真面目なので板書を真剣に取っているけど時々疲れからか伏せて寝ていることがあった。
時々後輩の宮坂くんと席に腰掛けたまま話している。廊下側の窓から覗いた宮坂くんの顔は憧れの風丸を前にキラキラ。この二人は見ていて楽しい。
私の右隣は豪炎寺で、彼は私が聞いてなかった箇所を教えてくれたり親切だった。いつもは険しい目つきの彼も授業中は眉間の皺が消えている。時々持参したクッキーをくれたりした。妹と一緒に作ったらしく、あまりを円堂達にも配っていた。
円堂の隣の秋は後ろから見ていても可愛くて目の保養だった。横髪を耳に掛ける仕草なんて女の私もドキッとするのに円堂ったら何ともないのか。

「円堂くんがサッカー部でお別れ会するから部室に集合しろって」

「あぁ、もしかして最後のお別れサッカー?」

「うん、円堂くんらしいよね」

「あはは。確かに」

どうやら我らがキャプテンは最後の最後までサッカーをする気らしい。彼らしいと言えば彼らしいが、何だか笑いが出る。
秋は私の隣までやって来て、同じ場所へ立った。すると、目を細めて笑う。

「今更だけど名前ちゃんの席、すっごくいいね」



やっぱり思うことはみんな一緒らしい。




FF後の影響か廃部どころか今となってはサッカー少年憧れの雷門サッカー部は一年生も沢山いて学年別で紅白戦をすることになった。一年生との対戦が終わった後の二年生と三年生の紅白戦が終わるに連れ、みんなの表情は歪んでいった。この試合が終われば、もう二度とこのメンバーでサッカーをすることは無くなるからだ。
今思えば、弱小サッカー部が帝国と練習試合をしたことから始まり、FFでの世宇子中との試合、エイリア学園との先が見えなくなる程の戦い、FFIでの世界の仲間との試合。
これをすべて、とんでもない早さで駆け抜けてきたのだ。
試合終了のホイッスルと共に、とうとう泣き出してしまった後輩達、特に二年生達に円堂は「泣くなよ、泣いたら駄目だろっ」と涙ぐみながら慰めていた。鬼道には一つ下の春奈ちゃんが泣きついていたし、染岡くんなんて「俺はぜってー泣かねえからな」と豪語していたくせに卒業式前から泣いていた。豪炎寺はすましているけど目が赤い。風丸は静かに泣いていた。三年生メンバーも、まだこのメンバーで試合をしていきたいのだ。


「ありがとな、みんな。思えば俺たち、昔は弱小サッカー部だったんだぜ」


試合後、キャプテンの周りに集まったみんなは円堂の話を聞き入っていた。円堂は秋と二人でサッカー部を立ち上げたことから始まり、今までのことを淡々と語った。
はらはらと落ちていく涙を拭いながら私は円堂の言葉を胸に刻んでいく。
円堂と豪炎寺はサッカーの有名校に推薦が決まったし、鬼道は帝国の高等部に戻る。風丸はスポーツ科のある学校へ、そこでサッカーと陸上どちらを選ぶか決めるらしい。染岡や半田たちは一般入試だからまだ結果待ち。
秋と冬花は隣の市の女子校へ、夏未は都内のお嬢様学校。


そして私は、

「…名前、ちゃん?」

私の隣にいた秋は目を瞬かせた。しかし、彼女の目に私が映ることはない。視線さえ、交わることはない。
私は、私の世界は此処ではなかった。帰るべき場所が他にあった。私が生まれた世界は、この次元には存在しなかった。


どんな物語にも終わりや節目がある。この物語にも、節目は度々訪れた。その度に帰りたいと願った自分はどこに消えたのか、涙が滲む視界と脳内に浮かぶのは帰りたくないの六文字だった。

これから先も彼等と、秋と一緒にこの世界の続きを見届けていたかった。こちらで生を受けたことになっていた私は実際彼らと何の関わりもなかった。ゲームの設定の如く付けられた幼馴染というポジションや両親、家。
最初は意味が分からなくて泣いてばかり居た。だけどそんな私を慰めたのは秋だった。秋は、どんなときでも私と共にいてくれた。


だから私も、彼女の元にいたかったのに。


「名前って誰ですか?」

「えっ?」

「うちにそんな部員居たか?」

「何言ってるの!さっきまで、ここで一緒に…」

秋は大きな瞳を揺らして、それから大粒の涙を零した。彼女の口からは「やだ、どうして、思い出せないの、!」と嗚咽にも似た叫びが響き、飽和し、反響した。
やだ、消えないで、名前、名前と呼び続ける秋はきっともう、名前が誰なのか分かっていない。

私がこの世界から消えてしまうからだ。

やがて秋は泣き止み、「どうして泣いてたんだろう、私」と呟いて顔を上げた。いつも通りの笑顔が戻る、それでいいの。秋は泣いたり怒ったりしても可愛いけれど笑った顔が一番可愛いのだから。




「さようなら、秋」

そう呟くと、秋は小さくたじろいた。届かないはずの声に反応したかのようにゆっくりこちらを向いた。一瞬だけ目線が絡み付いたような、

別れの言葉は心臓を締め付けたけれど不思議と心は軽かった。何故なのかは自分でも分からない。ただ勘に近い何かが囁いているのだ。この物語はまだ終わっていない、時がくればまた回り始める、と。
そのとき私がまた此方にこれる確証はない。別の誰かがここを訪れるかもしれない。だけど私の心は霧が晴れたみたいに清々しいままだったのだ。





トリップヒロインの帰省
20110321 杏里




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