名前先輩と言う人は実に不思議な人だった。みんなと一歩外れた場所に立っている、そんな印象を受ける人だった。それは孤立しているとか、そういう意味じゃなくて一般論から少し外れた場所から見つめることの出来る、不思議な観点を持っているというものだった。
私のお兄ちゃんがまだ帝国学園に居た頃、彼が悪逆非道を行っていることを知った私を慰めてくれたのは彼女だった。私はただただ、兄である鬼道有人に怒りを向けることしか出来ずにいた。実際の所、啖呵を切ってしまったのだが。

「そっか、春奈は鬼道が許せないんだね」

宥めるような声で言われ、頷いた。頭を撫でられ、ぐずぐずと涙を流す私の背中を優しくさすってくれた。私の口から漏れるのは兄への怒りと、彼の生き甲斐だった筈のサッカーを非道な行為の元に晒した嘆きと、自分の知っている兄と現在の兄の変わりように対するジレンマだった。
吐き出すにつれてそれは色濃くなってゆく。土門君をスパイとして送りつけたことにより雷門イレブンの怒りは明確なものになった。その空気が故意ではないにせよ私を追いつめていたのだ。彼の唯一の血縁者として、責任を感じてしまっていたのだ。

「確かに鬼道のやってることはおかしいね、勝利のために手段を選ばないことは賞賛すべきことじゃない」

名前先輩は眉根を寄せて苦笑混じりに笑った。「でも、」と続けると私の前髪を優しく撫でながら口を開く。

「たった一人の兄妹なら、もっと信じてもいいんじゃないかな。他人から聞く噂だとかを鵜呑みにしちゃだめだよ。例えそれが事実でも、最後まで信じてあげなきゃ」

くしゃっと髪をかき混ぜられて思わず驚いてしまった。先輩は少し悲しそうに私を見て、それからやんわりと抱き締めてくれた。女の子特有の柔らかい体が私を包み込んでくれて、さっきとは違う涙が出てきた。じんわり、あたたかい。
その後、影山の支配から逃れた兄たちを見て私はまた更に先輩へ羨望と憧れの眼差しを向けるようになった。後に聞いた話だけれど、お兄ちゃんに名前先輩は珍しく声を張り上げてお怒りになったらしい。

「いくら妹の為と言えど、常識範囲内を逸脱すればそれはただの迷惑だよ。春奈が君の行動をどう思うかを、考えたことはあったの。独りよがりな思いで、残された側の気持ちが分かるの?」

そう激しく叱咤され「当時はぐさりと来たが今となっては感謝している」と、あの兄が零すのだから、彼女が如何に普通ではないかが伺えた。
そんな先輩は雷門イレブンにとっても欠かせない人だった。彼女に救われた者は何人もいる。キャプテンの熱意に人が集まるのなら、きっと先輩は、あの優しい言葉と眼差しに人が集まるのだと思った。





名前先輩と言う人は実に不思議な人だ。みんなと一歩外れた場所に立っている、そんな印象を受ける人だった。それは孤立しているとか、そういう意味じゃなくて一般論から少し外れた場所から見つめることの出来る不思議な観点を持っているというものだった。
先輩はいつも真っ直ぐ何かを見据えている。きっとそれは私なんかじゃ到底見ることの出来ない世界なんだと思う。彼女だからこそ見渡すことの出来る世界、それを私は少し寂しいと感じてしまった。何だか先輩が一人ぼっちのような気がして、胸が苦しくなったのだ。彼女だけしか見渡すことの出来ない世界。先輩はその中から遠巻きに私達を見つめているような、そんな気がして。
だから私はそんな先輩の隣に居たかった。少しでも同じ所からその世界を見据えてみたかった。私が見つめるその情景が、先輩には違った色使いで見えるのかもしれない。知りたい、その内側を。私はいつしかそう願うようになった。



「あ、先輩…」

イナズマジャパンとして世界へ旅立つ頃だったと思う。先輩は柔和な笑みを浮かべ、宿舎の外で洗濯物を干していた。今まで見たことのない笑顔に、声をかけようとした私は思わず口を引っ込めてしまった。先輩はそれに気付かず、未だに緩んだ口元を見せている。

私の中で、何かがジリリと焦げる感覚がした。その笑みが私に向けて浮かべられているわけではないことに気付いたからだ。だって、一度もそれを向けられたことがないのだから。額の上に常にある眼鏡を軽く押し上げて私は考えた。誰が一体、先輩にあんな表情をさせているのか。

「よォ名前」

「あ、不動」

答えなんてすぐに出た。突然現れた不動さんに先輩は先程の笑みを向ける。すると、あの不動さんが返すかのように笑ったのだ。いつもの人を小馬鹿にしたような笑みではなく、ただ不動明王という一人の男としての笑みを彼は浮かべていた。

「昼飯だとよ、一緒に行こうぜ」

「えっ、ちょっと待って、もう少しで終わるから」

「ったく、しゃーねぇな。ほら、貸せよ」

不動さんは近くにあったスポーツタオルを引っ掴むと外見からは見当もつかない手慣れた手つきで洗濯物を干し始めた。今お兄ちゃんが居れば間違いなくゴーグルが吹っ飛んでいただろうに。

「ありがとう、不動。助かったよ」

「これくらいどうってことねぇよ」

すべて終わって、先輩からの労いの言葉にそっぽを向いて返す彼は先輩の手を優しく取った。先輩はそんな不動さんを暫く見つめていたけれど嫌がる素振りなど見せずに、あの柔和な笑みを向け手を握り替えしたのだった。

先輩を昼食に呼びに来たはずの私は結局、その日の食事を取ることなく自室へ籠もる形となってしまった。



心臓が嫌な音を立てる。ジクジクと細い針で突き刺されているように、その部分から大事な何かが抜け落ちていっている気がして不意に左胸を押さえてしまう。目を伏せれば痛みは涙に変わりいつの日かのようにぐずぐずと泣き出してしまう。
次の日、部屋にやって来たのはお兄ちゃんだった。朝食を片手に部屋に来たお兄ちゃんは私が泣いているのを見て驚いたように声を上げた。みんなには風邪で体調が悪いから、この部屋に籠もっていると伝えてあったからだ。ボロボロと止まらない涙を見てお兄ちゃんは私の隣に座った。「どうした」って聞き慣れた声がして私の頭を撫でてくれた。
その瞬間、ぐちゃぐちゃで混乱している私の頭の中に黒かったり尖った感情を押しのけ浮かんできたのは、あの日泣き止まない私を慰めるために隣に居てくれた先輩だった。
思わず抱きしめたくなるような、縋り付きたくなるような笑みを浮かべて私をあやしてくれた彼女があっと言う間に脳内を占領してしまったのだ。

「名前、先輩、」

苦しいながらも吐露したその言葉にお兄ちゃんは「名前がどうしたんだ」と聞いた。私は嗚咽と共にその感情を吐き出した。先輩が私達とは違う場所で遠巻きに此方を見ていること、そんな先輩の隣で同じ世界を見てみたいとずっと願っていたこと、それを不動さんが、いとも簡単にしてしまったこと。悔しくて悲しくて、自分が嫌になった。この感情は恋慕にも似ていて、それでいて兄妹愛にも似たものであったのだと。愛という形だけでは到底言い表せないものなのだと。
すべてを聞いたお兄ちゃんは暗いゴーグルの下の目を伏せて口を開いた。

「名前が俺達と違う場所で眺めていることには気付いていた。だからこそ、名前は不動に惹かれたのかもしれんな」

「どういう意味なの、お兄ちゃん」

どうして、私の方がずっと先輩と一緒に居たのに。初めての出会いは最悪だし、それからだって…不動さんのことを悪く言うのは気が引けるけど、事実だ。なのにどうして、どうして。

「名前の両親は父親が会社に背負わされた借金のせいで家族心中しようとしたらしい」

お兄ちゃんはゴーグルを外し、目元を押さえた。そして息を吐くかのようにゆっくりと、語った。

「それを年の離れた兄が名前だけを連れて逃げ出した。結果両親は自殺、俺たちのように親戚をたらい回しにされた後、名前は孤児院に入ることになった。兄の方は高校卒業間近で自立することになり二人は離れ離れになった」

「そんな、先輩…そんなこと一言も、」

「俺も不動から聞いたんだ。アイツは名前と似た境遇で育ったからな、話しやすかったのかもしれん。俺達は運良く"家族"に巡り会えた。だが名前は完全に自立して迎えに来るといっていた兄を待ち続けて、ついに迎えは来なかったらしい」


不動さんの家庭は父親が多額の借金を背負わされたことで崩壊したのは私も聞いていた。でも、まさか先輩まで同じ様な境遇だったなんて。
お兄ちゃんはあの孤児院時代を思い出したかのように目を細めた。お父さんとお母さんが居なくなったことが悲しくて悲しくて迎えに来てくれないことに絶望した。でもお兄ちゃんが居たから、独りぼっちじゃなかった。


先輩は、ずっとひとりだったの?


「名前のあの一歩下がった場所から人を見るのはある意味癖なのかもしれないな、兄を待つ時の、癖、か」

そんな話、一度も聞かなかった。彼女は私の話を、一体どんな気持ちで聞いていたのだろうか。

「たった一人の兄妹なら、もっと信じてもいいんじゃないかな。他人から聞く噂だとかを鵜呑みにしちゃだめだよ。例えそれが事実でも、最後まで信じてあげなきゃ」


あの時の言葉は、先輩は私に言い聞かせながら自分にも言い聞かせていたのかもしれない。先輩のお兄さんは、結局迎えに来れなかった。それは過度の労働と疲労による過労死で、先輩が雷門に入学する時既に亡くなっていたから、らしい。

「不動さんなら、」

込み上げる涙は瞼を伏せ、閉じ込めた。

「先輩を、独りぼっちの世界から引っ張り出してくれるんだよね」




だとしたら、私はそんな二人を温かく見守るしかないのだとお兄ちゃんに泣きつきながら思った。



何故か不動が出張る
20110209 杏里



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