この話の続き




この世界は惰弱だった。発展を繰り返し資源を使い果たした人類は互いを敵視し、数少ないエネルギーを確保せんと血眼になっていた。力有る者が政権を掌握し、人民を操作し、軍事力を持って統制する。
俺たちはそんな時代の同じ場所に生まれた。両親同士が軍の同僚で、忙しい二人は互いの子供を預け合っていた。赤ん坊の頃から隣にいるのが当たり前だった彼女は俺のことを兄のように慕うこともあれば、弟のように家族愛を注いでくれた。
だからこそ、俺たちは進んで一緒に居る時間を欲し、共にいることを一番の安定だと思っていた。

俺を見上げる目はいつも澄んでいた。汚れを知らない訳ではない。軍人の娘であれば一度ならず嫌と言うほど思い知らされることがある。目の前で人が射殺されるのを初めて見たのは、今のようにすらすらと言葉を発することの出来ない頃。それでも彼女の瞳は屈折などせず、いつも一直線に真っ直ぐだった。


王牙学園に入った所で俺達の関係は変わることはなかった。その上、俺と彼女は抜きん出ていた。彼女は軍師として優秀だった。戦略を練るのは彼女で、俺はそれを圧倒的な力で実行する。完全無欠の戦略と圧倒的な力、上層部はそんな俺達を二人で一つとして扱い、高く評価していた。そうして幾度となく俺の背中は彼女に預けられた。どんなに窮地に陥ろうと預ける背中がある限り俺達に失敗などなかった。
彼女も俺に背中を預け、それこそが俺達にとって当たり前なのだと思っていた。






いつだったか、彼女の身長を抜いた頃だった気がする。預けていた背中は簡単に支えを失い、傾いた。振り返った俺に彼女は見上げながらいった。「ごめん、バダップ」しゃがみ込んだ彼女は息を切らし、苦しげだった。何故謝る、そう問えば彼女は眉根を顰めて、息を吐きながら言った。

「私、バダップに追い付けないの」

男女の差だね、と苦虫を噛み砕いたような顔をした彼女は小さく目を伏せた。その日以来、彼女は俺と背中を預けようとはしなかった。数日後、彼女は自ら他の部隊へと移る志願所を出し顔を合わせることはなくなった。





「バダップ、バダップ」

久しぶり、と声を掛けられて一瞬誰だか分からず沈黙した。「少し会わなかっただけで忘れるなんて、酷い」と顰めっ面をする彼女を見てようやく、彼女だと気付いた。
たった数ヶ月会わなかっただけで彼女はすっかり女になっていた。長い髪をひと纏めにして邪魔なのか結い上げている。たったそれだけのことだった。なのに直視、出来なかった。

「バダップ?」

不思議そうに覗き込んでくる瞳は相変わらず真っ直ぐで、見つめ返すことなど出来なかった。「何だ」と返せば「何、怒ってるの?」と顔を口を尖らせる姿さえ何だか愛しくて、一体この感情が何なのか、その頃の俺には理解できなかった。

「今度、任務があるでしょう?選抜メンバーに選ばれたの。バダップとまた組めるよ」

にっこりとした彼女は笑って俺を見る。頭が真っ白になり心臓が爆発しそうだった。苦し紛れに呟けたのは「そうか」という素っ気ない言葉だけだった。


それから、彼女とはまた昔みたいに組むことになった。エスカバやミストレとも会話をするようになった彼女は、妙に輝いていた。

「私ね、死ぬほど頑張ったの」

昼食を取っていると、唐突に呟いたのは彼女。エスカバとミストレは上官に呼ばれ不在だ。俺は彼女と二人きりと言うことに意識が行って、彼女の言葉を危うく流すところだった。

「バダップが背中を預けられるように、空いた隙間を埋めるために」

言い終わる前に俺は彼女の手を握っていた。彼女は驚いたように俺を見て、そして笑った。

「嬉しいの?バダップ」

いつ見ても、彼女の目は澄んでいる。彼女が彼女である限り、それは変わらないのだと思う。だとしたら、気付いてしまったこの感情は一体どうすればいいのだろう。もしもそれを伝えたとして、俺に向けられる瞳は今までのように澄んだままでいてくれるだろうか。

「そう、だな」

「照れてるんだ、いつもは軽くあしらうのに珍しいね」

笑って言った彼女は小さく目を伏せる。釣られて俺も、黙認の意を取って目を伏せた。初夏が訪れる手前の季節、昼下がりの事だった。







何かが裂ける、嫌な音がした。

「バダップ…!」

乱気流に流されていく彼女へ手を伸ばしても、嘲笑うかのように距離は開いていった。柄にないことは分かっていた。声を張り上げ、呼ぶ。「名前、名前!」頭の中では警鐘が派手に鳴っていた。



引き裂かれたように開いた穴へ飲み込まれていく彼女はどこか諦めた様子で俺を見つめ、一瞬にして姿を消した。



任務は転送装置の誤作動により、隊員一名を犠牲にして失敗に終わった。どの時代に飛ばされたのか、それ以前に転送空間から抜け出せたかも分からない。永遠にループし複雑に絡み合う時空の狭間を漂っているのかもしれない。手掛かりは何もなかった。
この任務に関わった研究員達は直ちに解雇、新しい研究員が雇われた。名前の両親は解雇された研究員達からの謝罪文を一切受け取らなかった。慰謝料さえ請求しなかった。悲しいはずなのに涙は見せなかった。「あの子も軍人だった、殉職は誉れだろう」心にもないことを。俺はそう叫んでやりたかった。


それから数年、本格的なミッションが出され俺達は80年前へと向かうことになった。エスカバやミストレ達と共にメンバーに選ばれた俺の心臓はただ、任務を遂行するためだけに動いていた。
全ての原因は円堂守、奴さえ居なければ名前は今も俺の背中を支えてくれていたのかもしれない。誰かのせいにするしか、俺には出来なかった。


「聞け、バダップ」


エスカバがそう言い、俺は何のことか知らず訊ねた。するとミストレが眉根を寄せ口を開く。

「名前が見つかった」

「名前、が?」

頷くミストレとエスカバに俺は疑問符を浮かべた。何故、そんな情報を。今までどんなに調べても手には入らなかったというのに、どうして。じわり、手に汗が滲み、口の中がやけに乾く。掠れそうになった声を叱咤するように強い口調で問えばミストレが周りを一瞥し、呟いた。

「上層部はお前には教えたがっていない。名前が、円堂守側に付いているからだ」

半ば言い聞かせるようなその言葉に俺は耳を疑った。敵である円堂守の元に?そう考えただけで俺の心臓からドロドロと何かがあふれ出した。あぁ、憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い、こんなに感情が高ぶったのは生まれて初めてだった。こんなに人を憎いと思ったのも初めてだった。殺してやりたいとさえ、思った。
エスカバは黙り込んだ俺を見て、更に口を開く。

「過去から洗いざらい調べた結果、名前は昭和という時代に落とされ、時間の逆流により幼児化してしまい助けが呼べなかったらしい。今はあの事故当時の姿で数十年を生き抜いたのちに一年前に円堂守と接触、感化されたようだ」

そう語ったエスカバに渡されたメモリを手に俺は自室に帰ると、80年前で確かに生きる名前の映像を見た。円堂守、の隣であの真っ直ぐな瞳を綻ばせていた。その目は、俺だけに向けられるべきものだ、俺だけが、見つめ返すことを許された、何で、だ、何故他の男にその瞳を向けている。何故、だ、なぜ、なぜなぜなぜなぜ、

「こんなの、違う、こんな、名前は違う、名前が生まれたときから隣に居たのは誰だ、泣き叫ぶ名前を慰めたのは誰だ、笑う名前の隣に居たのは誰だ、名前を愛していたのは、俺だ、エスカバでもミストレでもない、俺だ!俺しか、俺以外許されるはずがない!」




拳を握り締めて振り下ろせばデスクは大きな音を立てて悲しそうに軋んだ。



バダップ視点終わり 更に続く
20110206 杏里

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