彼はよく笑う。歯をニッと見せて高笑いをする。くすんだ金髪をオールバックにして後ろで結んでる。瞳を隠す翡翠色したアイガードは滅多に外さない。芝生の上を駆ける彼は軽やかだ。ミスターゴールの異名を持つ得点王、フェイクとジョークをこよなく愛す生粋のアメリカン。


「今日のミーは最高にギンギンさ!」


満面の笑みを浮かべる彼は嬉しそうに擦り寄ってくる。腰に回された腕がゆるゆると私の腹部を撫でるものだからくすぐったくてたまらない。


「名前の肌、きれい」

「そうかな?」

「うん、ミー達なんかよりも、ずっと」









私は小さい頃に此方にやってきた。だから日本に住んでいた頃の事を忘れたわけではない。人種や文化が違うというのはある意味越えられない壁だ。私が通うスクールにはそりゃあもう沢山の人が居る。廊下にあるロッカーを見れば一目瞭然、ながーい廊下にずらりと並んでいるのだから人数の多さが伺えるだろう。
先程から言うように世の中にはいろんな人が居る。ジョークが得意なディランや、マークみたいに中身も表も素敵な人。他にも可愛かったり美人だったりセクシーだったり、ハンサムだったりイケメンだったり男の娘だったりいろんなタイプの友人達がいる。
けれど、みんながみんな好意的なわけではない。歴史がそうさせたのか偏見というのは完璧になくならないものだ。肌の色、日本人を好まない人は今だってたくさん。


「JAP!」


一瞬なにを言われたか分からなかった。頭の中で再生して漸くし、理解できた。イエローモンキー、日本人を蔑む言葉の一つ。黄色人種を貶す言葉。肌の色が黄色だというだけで白人よりも劣っている、野蛮だという思想。それと似たようで似ていない言葉。日本人だけを蔑む言葉。
嫌がらせをされたこともあった。だけどその度に仲のいい友人達が励ましたり庇ってくれた。ディランとはずっと同じクラスだったし、土門や一ノ瀬達もいたから手を出しにくかったのもあるかもしれない。二人は国境を越え人種を越えてサッカーでみんなを魅了したヒーローだったから。


私は恵まれてる方だ、とっても。



「汚い。同じく浮きも吸いたくないわ、穢らわしい」

「うん、私も貴方と居たくない」

「なっ…!」


生意気なイエローモンキー!
大声で蔑まれて、廊下にいた人たちや友人が息を呑む。賛成派の子達はにやにやにや。もっとやれ、なんて男子が囃す。
目の前にいた子は日本語では訳せないような、映画で言う規制音が入る言葉を罵声として投げつけてくる。正直、日本人の私は素直に死ねって言われた方が傷つくんだけどなぁ。文化の違いってこういう風に現れるから驚きだ。
ぼーっと聞いていたら、思いっきり殴られた。ボコボコバキッ、嫌な音。床に倒れたら悲鳴が上がった。口の中が錆びた鉄の味、あぁドライフルーツが当分食べられなくなってしまう。メアリーが「ママと作ったの、私の家の味よ!」ってよくプレゼントしてくれるのになぁ。美味しいんだけどあれちょっと普通のより酸っぱいんだもん。


「ユーたち、何してるの?」


声と同時に私の腹部に蹴りが入った。入れた女の子は「ヒッ」と怯えたように竦み上がる。思わず咳き込めば、周りにいた友人たちが駆け寄ってきた。「ごめんなさい、名前」泣きそうな声で慌てたように言う。「私たち何も出来なかったわ、」いいんだよ、着てくれただけで嬉しいよ、って返したいのに咽せて話せない。

ゆっくりと振り返った女の子の背後には、アイガードで表情がよく分からないディランが立っていた。まあ、彼みたいな喋り方あんまり居ないから分かってたけど。


「ち、違うのディラン、」


ディランの隣にはマーク、後ろには土門と一ノ瀬。二人はすぐに駆けてきて医務室に連れて行こうと口早に言った。土門が私を抱きかかえて、一ノ瀬が私の口元にハンカチを当てた。じわりと赤色が滲む。段々とディランから離れていく、彼と、私を殴った彼女が居るその場所だけ時間が止まったみたいに静かだった。














「ミーは肌の色も全部ひっくるめて名前が好きだよ」



廊下を曲がるとき、反響したディランの声がやけに心地よかったのを覚えている。




あれから医務室で治療を受けた私は医務員のシナトラ先生の指示により帰宅することになった。土門から事の発端の説明を受け、悲しそうに目を細める先生は「いい友達を持ったわね」と励ましてくれた。
心配する土門と一ノ瀬を言いくるめるのには苦労した。「ありがとう、やっぱり飛鳥はパパみたい」なんておどけてみせたら「それディランの前で言うなよ、俺まだ死にたくない」と冷や汗を掻いていた。何故。「俺は?俺は何なの?」と一ノ瀬が言うものだから「かずやはママだね」とからかってやった。「ってことは飛鳥と夫婦?有り得ない有り得ない」と苦笑された。





次の日は休日だったものだから家のリビングでアメリカンサイズのソファーに腰掛け、足をぶらぶらさせていた。昨日の一件を帰宅後すぐ両親に話せば大層顔色を悪くさせた。母さんは涙目、父さんは怒りで顔を赤くして相手の親に苦情を言いに行こうとしていたけれど何せ日本人嫌いの子の親だ。何をされるか分かったもんじゃない。
この国はいろんな意味でフリーダムだから銃でぶっ放されても文句が言えない。日本ではさほど気にならない行為でも向こうからしたら正当防衛がなんてらで銃殺だって有り得るのだから。自由の代償とは恐ろしい。

何とか宥めることに成功した私はその後すぐに病院で治療を受け、包帯だらけになった体を見て苦笑した。当分両親はこの怪我を気にするんだろうな、と。


その時ピンポーンとチャイムの音がした。母さんが「はぁい」と日本の玄関より遙かに馬鹿でかい扉を開ける音がした。隣家のナタリーおばあちゃんがアップルパイをお裾分けしに来たのかも、なんて卑しい期待をすれば「名前、ディラン君よー」と母さんがバッサリ切った。楽しみにしてたのになぁ、ナタリーさんのアップルパイ。


「ハーイ!名前」

「はぁい、ディラン」


ひょっこりとリビングに姿を現したディランは相変わらずアイガードを付けていたけれど口元がにっこりしていたから嬉しそうなのが分かった。手には何か大きな包みを持っている。ひらひらとソファーの上から手を振れば「名前のママ、出掛けるって言ってたよ!」と返された。そう言えば夕飯を奮発するとか言ってたな、私の景気付けに。


「それとこれ、ミーのマザーお手製アップルパイ」

「うわっ、今丁度食べたいって思ってたんだ!」

「ワォ!ミーってばエスパー?」

「ディランのお母さんがね」


有り難く丁度して包みを開き、キッチンから持ってきたデザート用のカッターナイフで切り分ける。取り皿に入れて手渡せば毎回の如く「日本人は律儀だね!ミーならお皿に取り分けないでそのまま食べちゃうよ」と目を丸くされたものだ。
しかし今日は違った。「アリガトウ!」たったそれだけ。あれ、なんて考えた自分はおかしいのか。ううん、きっと忘れただけだよ。そう言い聞かせて私はディランと録画していた洋画を見ることにした。


そして冒頭に戻るのである。

直感的に私は、あぁディランは昨日のことを気にしてるんだと思った。腰に回された手が少し強くなった気がした。


「ディラン、気にしないで」

「ミーは好きだよ」

「ディラン?」

「ミーは名前が好き」


なんとまぁ唐突なこと。「私も好きだよ」って返せば、「ライクじゃないよ、ミーの気持ちはラブだよ?」と押された。わぁ、外国人って積極的。ちぅ、と唇に重なる。ほっぺにはよく挨拶でされてたけど唇は初めて。


「嫌じゃない?」

「嫌じゃないよ」


少し悲しげに顰められた眉根が一瞬にして歓喜の表情に変わった。そしてハグ。ぎゅうぅっと力強く、でも優しく抱き締められて思わず涙がでそうになる。


「ミー、嫌われるかと思った」


ぽつり、ディランが零した言葉に息が詰まる。一体どういう経緯でそうなるのか、まったく分からない。ぽつりぽつり語り出すディランは呻きながら擦り寄ってきた。


「もし、あの子みたいに名前がミーを嫌いになったらって考えたら、」


苦しげに息を吐いたディランはアイガード越しに私の瞳を覗き込んだ。


「死んじゃうよ」


あの子とは昨日私を罵った、そう理解して胸が痛んだ。私が白人嫌いになると思ったのかもしれない。優しい彼の事だ、どれだけ胸を痛めたのか。「ディラン、」声をかけて頭を撫でるとまた悲痛に歪められる顔に胸が締め付けられる。
でもすぐにいつものディランになって、いつものハイテンションで彼はこう言った。


「ミーは、名前のこと初めて会ったときからキュートな子だなって思ってたよ。肌の色も、全部ひっくるめてね」


廊下で聞いた言葉に似てて、思わず涙が零れる。それを拭って優しくキスを落とすディランは続けた。読み聞かせるみたいに、温かく。


「ミーには名前のものなら何だって輝いて見えるのさ!」





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週明けにスクールへ行けば周りはみんな付き合い始めたのを知っていた。廊下でディランが叫んだのは愛の告白だったからです。
ちょっと不完全燃焼。
20110106 杏里





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