止められないのだと悟ったとき、言い知れぬ恐怖を感じた。決して揺るがない覚悟と熱き想い、常に帝国のゴールを死守してきた王者としての品格。獅子にも似た気迫でシュートを許さない彼の面影は見るも無惨で。座り込んだ病室のベッドの上で此方を見つめる彼の瞳には鋭利で無限に広がる闇が息を潜めていた。

「今、なんて…」

喉がきゅうと酸素を欲しがった。空気に含まれる成分の中で最も多いのは窒素、その次が酸素だというのに人間は器用に適量の酸素を取り込む。なのに肺が機能を怠ったのだろうか、私の心臓は悲鳴を上げた。激しく打ち付ける鼓動は酸素を必死に欲しがっているというのに。こんなにも、こんなにも苦しいのなら。


「帝国を抜ける」


いっそ、止まってしまえばいいのに。








源田と佐久間が姿を消しても時間は進むのだから残酷なものだ。帝国学園では彼等の席が虚しく空白を作り出していた。
窓側から見えるサッカーグラウンドには橙色のユニフォームに身を包む人物が居るはずだった。特徴的な紫の手袋をグイッとはめこみ、人並みはずれた覇気と技でどんなシュートも受け止める姿に見惚れない筈がなかった。


「お前の前で失点出来ないからな」


はにかんで、くしゃりと髪を撫でてくれた彼に私は想いを伝えようとはしなかった。日だまりのように温かくて思わず目を瞑りたくなるような、この関係で十分だと言い聞かせて、今の関係を紡ぐのに必死で。
だからこそ、愛媛へ向かう彼を止めることが出来なかった。ただの友人であった私には、想いを告げる事をしなかった私は、彼を止める術を知らなかったのだ。








あれから何ヶ月か経ったある日の夕方、使われていない空き教室でぼんやりと外を眺めていた。いつもならサッカー部に寄って練習を眺めていたんだけどな、なんて悲壮感に浸る自分が気持ち悪い。


遠い日のことだった。


帝国学園には室内グラウンドと野外グランドが存在する。試合の時は決まって室内グランドを使うが練習については野外グラウンドで行うことが多い。外でならフェンス越しに応援できるのもあってファンばかり集まるグラウンドは喧しい限りだった。
私はあまり人の寄りつかない少し高い場所から静かに眺めるのが好きだった。スポーツを見るのは楽しいし、練習も然り。だけど、ゴール前に居たはずの背番号一番が見あたらなかったことがあった。定期的に姿を消すのだ。何となくだけれど、ひとりで休憩にはいるような人物ではないし、かと言ってサボり癖があるような人でもなかった。


「どうしたんだろ」


寝転びながら自販機で買った午後ティーのキャップを開けた瞬間、後ろでガッと何か硬いものが引っかかる音がした。びっくりして振り向けば、そこには。


「驚いたな、こんなにグランドが見渡せる場所があったのか」

「え、ぁ」


橙のユニフォームに身を包んだ、たった今探していた人物がスパイクのまま立っていた。ここは帝国サッカー部の野外グラウンドのすぐ真上にある空き教室から出っ張ったバルコニーのような場所。構造は屋上に似ていて剥き出しのコンクリートが太陽に照らされ天気のいい日は絶好のお昼寝場所にもなる。
帝国学園特有の壇上地形にあるこの場所はグランド脇の階段から駆け上がって非常口に似た小さな扉の少し錆び付いたドアノブを捻れば簡単に入ることが出来る。普段は見せかけの南京錠をはめているが、今日はそれを忘れていた。


「いい場所だな」

「う、うん」

「いつも練習を見てくれてるだろう?」


バレていたのか。顔が熱くなって寝転んでいた体勢から正座に切り替えた。


「あの、ごめん、嫌だったよね。」

「まさか」


彼は驚いたように目を開き、笑う。


「熱心に見てくれてるんだ、嫌なはずがない」

「…ありがとう」


言えばまた、太陽みたいに笑うものだから私は眩しさに目を細めたくなった。話によれば、前々から此処に誰かが居るのは分かっていたけれど入り口は鍵が閉まっていたし中の様子を伺えなかった。だからランニングと称して傍を何度か通っていたら、今日は偶々鍵が掛けられていなかったのだという。そして、今に至る。
未だにはにかみ語り出す彼は、何かを思いついたように私を見つめた。


「な、何ですか?」

「もっと近くで見たくはないか?」


きっと、もっと楽しいぞ、と笑う彼に心奪われ焦がれるようになるのに時間は掛からなかった。そして、源田に誘われるがままグランドに連れられて正式なマネージャーにされてしまった。今となっては懐かしい想い出だが、影山が居なくなり鬼道が居なくなり、源田と佐久間が居なくなった帝国イレブンを見ているのが辛かったのは言うまでもない。こんな時こそマネージャーが選手を励まさなければならないのに、辺見に「当分休め、そんな顔されるとこっちまで湿気るだろ」と言われてしまった。

本当、マネージャー失格だ私。



放課後の古びた空き教室は静かだった。いつものことだけれど誰も寄りつかないのだから当たり前だ。壁にずるずると座り込んで彼のユニフォームみたいに橙の夕日がコンクリートに溶け込む様子を見やった。温かい。ゆるゆると訪れた眠気に私は素直に瞼を閉じようとした。


「名前」


懐かしい声がする。私が焦がれた声だ。何度も何度も焦がれた、微睡みながら口角が上がる。うれしい、夢で会えるなんて。


「名前、起きた方がいい」


肩に触れた温もりがゆるゆるとした眠気を覚ましていく。不意に開いた視界で、見えた色に息を飲む。



「辺見達が練習してるぞ」


眩しさに目を細めたくなった。




「もっと近くで見たくはないか?」



涙の膜が視界を覆って、ゆっくり溢れたそれは机にポタポタと水溜まりを作った。



「今なら、俺も居る」



気付いたら、彼の胸板に顔を埋めて泣きじゃくっていた。









----
辺見は源田が帰ってきたのを知っていて部活を休ませたんだと思う。
源田は名前の居場所を聞いて学校中探し回ってあの場所に着いたんだと思う。
20110104 杏里






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -