仕事着であるスーツをソファーに脱ぎ捨てて盛大に溜息を付いたのは苗字家を支える苗字裕美子さん。言わずもがな私の母親である。

「おかえり、ご飯出来てるよ」

「ありがとー、あー、もうくったくただわ、名前、こっち来て」

「はいはい」

お母さんは私の片割れ、妹のななしに似て甘えたがりである。疲れるとこうやってバグを要求してくるのだ。そんなお母さんをあやすのが大抵お父さんの役目なので、きっと私はお父さん似なんだろう。
大阪に帰るとお母さんはお父さんにベッタリだし、やっぱり寂しいんだろうなあ。




うちの家族は特殊な形で成り立っている。

父親が稼ぎに出て母親が家事をこなし、一つ屋根の下で共に生活する。これが所謂一般家庭というものだそうだ。

我が家ではそれが真逆。最初のうちは一般家庭を築こうと、母の赴任する場所へ家族全員で越していた。苗字家の家計を支え、日本各地を飛び回る仕事に身を打ち込む。

そんな激務をこなす母のため、私たち双子が幼稚園に通いはじめると父は仕事を辞めた。そして専業主夫として大阪に家を構えたのだ。



けれど、私は母さんと一緒に居ることを選び、ななしは父さんと大阪に残ることを選んだ。小学生の頃は転入を繰り返し、当然、まともな友達は数えるほどしかいない。
勉強だって追い付くのも難しくて。それでも母さんに、父さんに心配は掛けたくなかったから頑張れた。
ようやく中学生になった春、大阪に身を置くまでは安定しない日々だった。


ななしは大阪に残って生活を続け、幼なじみである白石達とありふれた日々を過ごしていたらしい。
それでもやはり、母親がいない生活はななしにとっても色々と考えさせられたらしい。



不満を感じることだってあった。でも、だからこそ痛感することだってあった。ありきたりに隠れる、幸せ。普段は近すぎて当たり前だと思って見過ごしてしまうもの。それを私たちは知っている。持っていないからこそ、だけれど。

見える世界なんて、育った環境、個々の性質によって変わるものだ。






「合宿?」

「うん、まさ達に頼まれちゃって。いいかな?」

「三日間ね、大丈夫よ。折角だし手伝ってあげなさい」

今日のオムライスの出来は中々である。黄色のふわふわ卵でライスを包みあげた。自信満々だ。でもお母さんはケチャップが苦手だから中身は少し薄味に仕上げてる。

食事が終わり食器を片付ける前に私はお母さんに合宿のプリントを手渡した。反応は上々である。



「あら、四天宝寺ってななしの学校じゃない」

そして、一番の問題にお気付きになったようだ。





「それについてなんだけど、」

「あ、名前の事だからななし達にも雅治くん達にも何も言ってないんでしょう」

「お、仰る通りです」


そう、四天宝寺にいるななし達には雅治と付き合っていること所か、テニス部と関わってることすら伝えていない。同じ学校に彼等がいることは把握出来ても、まさかこんなに関わりを持っているなんて思いもしないだろう。
仮に試合で四天宝寺と立海が当たろうと、マネージャーとして在籍していない私が、仁王と丸井とお弁当を食べたり、放課後遊ぶ仲であることを誰が予想できるだろうか。


逆を言うと、仁王たち立海メンバーは私が四天宝寺出身でテニス部のマネージャーをしていたのは知っている。けれど、中学三年間クラスが同じだった白石や謙也たちと仲がいいことや、私に双子の妹であるななしがいることを知らない。
しかも今回の合宿で私たち双子姉妹が双方マネージャーをするという奇跡の中の奇跡を目の当たりに出来ることを立海メンバーは知らないのだ。



「それくらい分かるわよ、だって名前お父さんに似てしっかりしてる癖に必要性を感じなかったら何も言わないじゃない」

ああ、成程。私とお父さんが似てるから分かったんだ。妙に説得力があるなあ。そんな風に頷いた私を、お母さんはクスクス笑いながら見つめていた。


「合宿が決まった途端に電話くれそうなのに、連絡が来ないところを見ると、黙って驚かせるつもりじゃないかしら」

「ああ、確かに。私が合宿のこと知ってるなんて思いもしないだろうし」


何より、あの浪速のパフォーマンス集団が絶好のチャンスを見逃すはずがないのだ。






お風呂に入り終わった私は早々にベッドへ入り込む。そして充電していた携帯を開き、受信していたメールに目を通す。
仁王から来ていた「無敵まさくん誕生!プピーナ」という妙にテンションの高い謎のメールに返信をして、ぼーっと天井を見つめた。


白石たちは中二の頃から仁王に並び立海メンバーを知ってる。何せその年、ストレート負けした相手だったから。
マネージャーをしていた私も立海の選手について調べていたし、オーダー表を交換したりしていた為、顔と名前くらいは一致していた。

けれどその頃の私は、まさか彼等が同級生になるなんて考えもしていなかったわけで。その中の詐欺師と付き合うことになるなんて、思いもしなかったわけで。


「ほんと、世の中何が起こるか分かったもんじゃないね」

呟いてから、微睡みの世界へ足を踏み入れた。






合宿当日。立海では遠征に出た剣道部から拝借した武道場が合宿の会場となった。文武両道を目指す立海では施設にも力を入れている。そのためテニスコート然り、他の部の施設も充実している。
特に剣道部はテニス部の次に有名で、よく合宿が行われているため設備が整っているのだ。

一年生の赤也くんや部員たちと干し終わった布団を武道場の畳の上にまとめた。部員達はここで寝泊まりする。ちなみに、私、臨時マネージャーは武道場の管理室で寝泊まりする。四天宝寺のマネージャーもここで、と言うのだから久しぶりに姉妹水入らずの時間が持てそうだ。




「今日からいよいよ合宿だ。相手は大阪でも三本の指に入る強豪校。相手に不足はないだろう。しかし手加減は別物だ、練習であろうと全力で打ち勝て。立海に敗北は許されないことを忘れるな」


以上、と締めくくった浜野部長に部員たちは覇気の篭もった声で応えた。


ギラギラと照りつけ始めた夏の日差しが彼等を焼き付ける。かく言う私も、立海ジャージに身を包み、参列しているのだが。

各自がアップに入り、準備に取りかかる。仁王は柳生と一緒に何やら話しているし、丸井はいつものようにケーキを貪っていた。三強たちは三年生と打ち合わせに忙しいらしい。
こんなに間近で彼等がテニスをするのをじっくり見るのは、正直新鮮であった。いつも朝練はあっという間に終わってしまうし。




ふと、視界の端に見えた立海とは違う薄い黄色に黄緑。立海よろしく、中学と変わらないジャージに身を包んだ彼等が到着した。
しかし一人、フラフラと口を押さえて集団から離れていく。乗り物酔いだろうか。長旅だったのだろう、かなりぐったりしているようにも見える。

残った集団に目線を戻せば、先頭にはミルクティー色の髪をした絶頂男が居た。


「すんません。今うちの部長、バス酔いしてトイレ行ってますわ。二年代表の白石です。今回はお招きありがとうございました。よろしゅうお願いしま、…」


目が、あった。
しかも白石だけではない。謙也、財前、その他面識のある人物達とだ。
途端に浪速のリアクション軍団がオーバーリアクションを取ったのは言うまでもない。



20111206 杏里


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