夏の日差しが情け容赦なくギラギラと照りつけてくる。極端な気温に弱い俺は、ほとほと夏に弱い。冬になっても同じようなもんじゃが蒸し暑い夏となれば、特にだ。



「やぎゅ、俺溶けそうなんじゃけど」

「何を言ってるんですか、人間は溶けたりなどしません」

「じゃけどお前さん眼鏡曇っとるぜよ」

「これはそういう加工がしてあるんです!何年一緒にダブルスしてると思ってるんですか!」

「冗談じゃ冗談。そうムキになりなさんな」

肌に纏わりつく汗を不愉快に感じないもんは居らんじゃろう。忙しない蝉の鳴き声に触発されてか、競ってか、人間も同じように声を出す。近くのグラウンドから野球部の声が聞こえてきた。




「今日のメニューは此処まで。この後の予定については5時に武道場に集合、あとは各自、自由にしていいぞ」

浜ちゃんの声で一日の日程が終わり、すっかり打ち解けた立海と四天宝寺の面々があちらこちらで話を弾ませ始めた。強化合宿ともあってか、いつも以上にキツかった練習メニューを思い出して、これがあと二日も続くのかとげんなりしてしまった。


しかし、この夏、仁王雅治は無敵になっとることを忘れちゃいかんぜよ。名前ちゃんがおる限り俺は敵無しナリ。



「有り得ん、有り得んじゃろ」

「はあ?何がだよぃ」

現実はそう甘くなかった。何せ名前ちゃんは休憩時間の度に四天宝寺の奴等に引っ張りだこじゃったし、それを尻目にアクエリをちびちび飲む俺のなんと惨めなことか。
赤也やブンちゃんが無駄に絡んでくるのもだるかった。考えてみんしゃい。この灼熱のウルトラバイオレットの元におりながらむさ苦しい男共と一緒なんぞ、萎える。萎えまくりじゃ。




「やぎゅ、ちょっと抜けるぜよ…五時になったら帰ってくるナリ」

はいギブアップ。もう無理名前ちゃん足りん。けど戻ってくる気配がない。やじゃもう嫌じゃ、四天宝寺爆発しろ。
そう言ってフラフラと歩き出す俺に柳生は溜息をついて眼鏡のブリッジを上げた。長年ダブルスのパートナーをやっとるだけあってか、俺の性分をよく分かっとる。




「まさ、」

それに気付いたらしい名前ちゃんは何やら口を開こうとしたが、彼女の双子の妹、ななしに腕を引かれベンチに引っ込んでしまった。





夏の蒸し暑さが嫌いな俺は太陽に背くように手を翳して彼女の姿を見つめる。眩しい先に、名前ちゃんがおる。
ぐわんぐわんと鳴り響く音と共に込み上げてきた感情を嚥下するように呼吸をすると何故か肺が重苦しくなって苦しかった。










今思えばガキな自分を恨めしく思った。生憎社交的っちゅう言葉は俺の辞書にない。それは今ので充分分かったじゃろう。
正直な話、人の多い場所や喧騒を嫌う俺がテニス続けとるのは奇跡かもしれん。ゴミみたいに人がうじゃうじゃおる中とか、ほんに気分悪くなるだけぜよ。お、柳生連れてこんとのう。ほらあれじゃ、「まるで人がゴミのようだ」とか言う奴。子供向け映画で使われとる台詞にしては辛辣過ぎんか。


「んなこと考えとる場合じゃないナリ…」

俺がやって来た場所は、この夏日にやたら涼しい風を吹かしてくれとる。頭にタオルを被って寝ころんで、アクエリを一口。
ずっと響いている蝉の鳴き声が木霊する。背にはコンクリート。長い間日陰になっとったからかヒンヤリしとって気持ちいい。ペロリとユニフォームを捲って腹を出せば、体感温度が更に下がる。


校舎と校舎の隙間から見える無駄に青い空を見上げながら、思わず溜息をついてしまった。言葉で形容できるもんなら、どれだけ気楽じゃろう。益々ガキな自分が嫌になってしまう。卑屈になっとるのは明白で、どこかで期待しとったから。追っかけてきてくれたってええじゃろなんて考える俺は、相当きしょい。


でも名前ちゃんにとって家族がどんなに大事なもんかは充分なほど伝わってきとった。複雑な家庭、と言うことについては否定しとったが名前ちゃん曰わく家が二つあるだけじゃと。何がともあれ家族が二つに別れとるのはどう考えたって普通じゃないぜよ。
じゃからこそ久々の再会を大切にして欲しいと思うて踏み出せんかった。それに、悔しいことに俺が名前ちゃんの存在を認識したのは四天宝寺の奴等より随分遅い。あいつらは俺の知らん名前ちゃんを知っとって、俺の知らん名前ちゃんとの昔話に花を咲かせとる。


「嫉妬せんわけがないじゃろ、つか無理。既に無理。名前ちゃんカムバック」

俺は、まだまだ名前ちゃんのこと知らん。じゃからもっとお話したい。望めるなら欲しい言葉を、欲しいときに、欲しいだけ囁いてほしい。気まぐれで難解な俺の性格を理解してほしい。けれどそれは土台無理な話。他人を完璧に理解するなんぞ、人間にはそもそも無理じゃ。
自分を解って欲しいと願うのは、相手を恋うからこそ。でも、でもな。名前ちゃんは、理解ではなく俺を知ろうとしてくれた、ただ一人の女の子じゃから。













ななしや白石たちに呆気なく捕まり、引き込まれたベンチには立海と四天宝寺、両校のユニフォームが混ざっていた。幸村は白石と両校部長を含めた三年生たちに加わり今後の日程を確認していたし、赤也くんや丸井たちは金ちゃんや財前と話し込んでいる。しかし、そこに見慣れた銀髪が居ないことに、私は既に気付いていたのだ。

「何や名前、どこ行くん?」

「ちょっと用事思い出したから、抜けるね」

隣に座っていたななしが少し怪訝な顔をして「用事?」と首を傾げた。自分と似たような顔が首を傾げているのに、ななしは可愛い。異論は認めんぞ。
頷いて返した私に謙也が不思議そうな顔をする。その背景にいた財前と、目が合ったような気がした。








「あのお馬鹿さん、何処行ったの…構って欲しいなら口で言えっての」

校舎裏を早足で歩いていく。仁王の好みそうな場所を虱潰しにしていくことにした。お生憎、人探しは得意だ。ふと、先程の仁王の姿が頭の中に浮かんできた。あの時、間違いなく目が合った。これは仁王も思ったに違いない。
ただ、彼の表情が頭から離れない。アクエリ片手にコートからふらふら消えていった彼を見て、私は入学当初を思い出していたのだ。


仁王の第一印象は、限りなく「他人に興味がない」というものだった。だからと言って彼が素っ気ない態度を取ってきたか、それはノーである。では何故「他人に興味がない」と言えるのか。

見ての通り、仁王は自分の世界を重視する傾向がある。周りに靡かないその性格や風貌に人気があることも、知っている。
切れ長の三白眼が厳つい印象を与えるかもしれないが、実際彼が周囲の人間に対して眉間に皺を寄せることはなかったし、話しかけてくるクラスメートにも淡々と返していた。

それこそが、私が仁王に抱いた第一印象そのものだった。彼が見せるその態度が、どうしても他人に対して一定の距離を置くための防衛線にしか思えなかったのだ。そしてそれは仁王が「興味」を感じなかった人間に対してする行動なのだと気付いてしまった。



そして間違いなく、あの頃の仁王は私に「興味」を持っていなかった。




「雅治」

コンクリートの床に寝転んで、細身のくせにすっきりとした腹筋をちらつかせたまま眠る仁王の傍に寄り、しゃがみ込んだ。反応はない。顔を覆い隠すタオルと銀髪が風で揺れるだけだ。

「拗ねた?」

そう言って髪を撫でれば、ようやく彼の細い指がタオルを捲り、顔を覗かせた。長い睫毛が揺れて、蜂蜜色の瞳が私を捉える。


「名前ちゃん」

くしゃりと笑って見せた仁王は体を起こし、私の肩に顔を埋める。これは寝ぼけたり構って欲しい仁王がする行動の一つで、ぐりぐりと柔らかい銀髪が首筋を掠めて、くすぐったくて、こっちまで笑顔になってしまう。


「どしたの」

「まさはるって、もっぺん呼んで」

ゆるゆるの頬を摘んでやりながら話を聞けば、案外簡単なおねだりだった。ここでまたチューしろとか言われたら私の右手が唸りを上げるところだった。


「まさはる?」

「あー、やっぱり名前ちゃん、大好き」


仁王が笑う。私の大好きな、とろけた蜂蜜のような笑みで。すると、先程私がしたみたいに頭を撫でられた。優しく梳かれる髪に目を細めれば彼はより一層幸せそうに笑う。
彼の事を想えば自然と口角が上がって、頬が緩む。胸の奥から、込み上げてくる。好きって気持ちが無制限に溢れてくる。


「なーなー名前ちゃん、ちゅーしてええかの」

「今わたしの右手は連続コンボに加えてクリティカルヒットを生み出せる自信があるよ」

「え、まさくんのこと殺す気なん」


愛はある。鞭はある。飴はないけれど。







「名前先輩?」

声がして振り返ると、そこにはいつも気怠そうな印象を受ける、かつての後輩が驚愕に目を見開いていた。別に仁王とのことを隠していたわけではないが何だか恥ずかしいと思ってしまった。これが思春期というものなのだろうか。


しかし財前の異変に気付いたのは、その数秒後だった。彼の表情に、いつかの女の子たちの感情が見え隠れしていたことに気付いてしまったのだ。それは仁王を好いていた、女の子たちと同じ、ドロッとした鋭くて嗚咽を呑むような感情だった。




20120228 杏里


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