※中学時代
「うん、うん…えー、母さん帰ってこれないの?……うん、わかった。父さんに伝えとく。でも父さん絶対落ち込むよ。お節かまぼこだけだったらどうしよう。……ん?ああ、うちはテニス部呼んでみんなでカウントダウンするんだ。ほんとはオサムちゃん家でする予定だったんだけどね、なんか全然片付かないらしくって」
お姉ちゃんが電話の子機を片耳に当て、楽しそうに笑う。大晦日・イブと我が家では呼ばれている今日、お母さんに連絡を取った。聞こえてくる会話によれば、どうやら年始にあるファッションショーの準備が間に合っていないらしい。お母さんは有名なファッションデザイナー、プランナーなのだ。
「ななし、お母さんがななしと話したいって」
「あ、うん」
お姉ちゃんはそう言って私に子機を渡す。少し緊張するのは電話だからとかじゃなく、お母さんとあまり一緒に居れなかったから、何を話していいか分からないからだ。
『久しぶり、元気にしてる?風邪引いてない?』
「うん。お陰様で元気だよ」
『ふふ、良かった。お父さんは元気?』
「元気元気。でも、お母さん来れないなら少し心配」
『ごめんなさいね、元旦には帰るからテニス部のみんなも一緒に初詣行きましょう』
でも、会話をしているとすぐに打ち解けてしまう。どんなに離れて住んでいても、お母さんは私のお母さんなんだ。
「お母さん、なんて?」
「元旦には帰るからテニス部のみんなも一緒に初詣行きましょうってさ」
「それいいね、白石に連絡回してもらおっか」
話を聞いた名前はまた子機を手に取り、四天宝寺でも価値の高い白石の電話番号を押していく。そして数秒待つと、お姉ちゃんが口を開いた。
「あ、もしもし苗字ですけど。蔵ノ介くんいらっしゃいますか?……何だ蔵ノ介か。…どういう意味やって、そのままの意味や。で、話変えるし悪いんだけどカウントダウンの後、元旦にみんなで初詣行かないか連絡回してくれない?え?自分でやれ?部長でしょうが、それくらいやってよ。……うん、うん。それじゃ頼んだからね」
そう言って切った名前を見て、テレビに目線を移した。適当にチャンネルを変えると合格祈願だのと書かれた絵馬が映されていた。受験が本格的に始まる季節だ。年が明ければ、受験生の私たちは目も眩むような日々がやってくる。
けれどそんなことを忘れさせてくれるのが大晦日からお正月にかけて。この日ばかりは重苦しい話は抜きにして、楽しむべきだと思う。
テレビでは毎年恒例の年越し前の特番が流れている。「とんねるんずのみなさんのおかげです」は私の好きな番組の一つである。
「ねーねーななし」
「ん?どしたの名前」
名前がみかんを剥きながら何やら話しかけてきた。その顔は少しニヤケ顔である。
「明日千歳の誕生日でしょ?どうするの?」
「……………えっ?」
「……………えっ?」
お姉ちゃんは私のリアクションに驚いたような声を上げた。こういうとき妙に息があってしまうと、私たちはちゃんと双子なんだなあと痛感する。でも、私だって驚いているんだから。
「明日、千歳誕生日なんだ…」
「え、ほんとに知らなかったの?」
名前があたふたと困ったように呟いて、眉を顰め、そして子機を取り出した。いやいやいや、うん。お姉ちゃんの装備に子機を追加されそうです。
「って何しようとしてるの」
「千歳に文句言ってやる」
「だ、ダメ!」
部活の連絡網を使って千歳に連絡を取ろうとするお姉ちゃんを必死で止めた。千歳は一人暮らしだから、電話に出るのはダイレクトに彼のはずだ。それは困る。
「何で?」
「別に、気にしてないし」
「………そう」
お姉ちゃんは子機を充電スタンドに戻すと再びコタツに入り込み、みかんを食べ始めた。私もいそいそとコタツに戻る。とんねるんずのみなさんのおかげですは、全身タイツのオッサンのコーナーになった。
千歳に初めて出会ったのは、三年になってからだった。所謂転入生というやつだった彼は、身長も手伝ってか初日から目立っていた。今思えば、彼が大阪に来てまだ一年も経っていないのだと気付く。でも当初の印象なんて同じクラスの私でさえ、大きいなあくらいにしか考えなかった。
きっかけは声をかけられたことだ。
「テニス部、知っとう?」
「…………………うん、私マネージャーだから」
放課後になり、いざ部活に向かおうとした私を千歳は呼び止めた。妙なイントネーションは大阪も負けていないが、聞き慣れないそれに一瞬何を言ってるか理解できなかった。けれど、頭の中でメディアなどで得た知識を総動員させ、意味を呑み込んだ。
そして成り行き上、うちの部を案内することになった。いつも潜り抜ける日本家屋の門みたいな入り口を目にして、千歳は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに「ありがとう、助かったばい」と満面の笑みを浮かべた。
それからテニス部に入部した彼はめきめきと実力を見せ、ついにはレギュラー入りを果たした。
けれど千歳は、ご存じの通り自由人だ。今日は左に進んでみよう、明日はまっすぐ歩いてみよう。途中で変更なんて当たり前。飄々とした性格で楽天家だったけれど、ひどい放浪癖があるのは周知のこと。
部活に遅れてくることもあり、その度に白石がぷんすかしていた。でもそれは千歳が仲間だと意識しているからこその話で、だからこそ私は彼を気にかけていた。
「ななし、千歳探しに行こう」
げんなりしたように呟く名前と校舎内、そして過去に千歳を見つけたスポットに足を運ぶ。定番化したこの探索。名前と一緒に四天宝寺中を駆け回ると、千歳は裏山の雑木林で猫と戯れていた。
「ち、と、せ、くーん?」
少々喧嘩っ早い名前がそう声を出せば、千歳が此方を向いた。少し驚いた顔をして膝の上の猫を撫でている。
「名前にななしやね、どぎゃんしたと?」
「どきゃんも何もないよ、今何時?」
「んー、今携帯の充電切れとるけん、分からんばい」
「あらそう、でもあたしたちが迎えに来たから意味は分かるよね…?」
「…………部活?」
首を傾げて言った千歳にお姉ちゃんはバシリと背中を叩き、半ばやけくそに「大正解ー!!」と言って、大きな千歳を引っ張った。この頃には、お姉ちゃんはすっかり力持ちになってしまっていて、あの千歳を軽々と引っ張り上げてしまう。まあ実際は千歳がお姉ちゃんが怪我しないように引っ張り上げるタイミングで自然と立ち上がってるだけなんだけどね。
「千歳、ほら早く!」
「千歳、行こう?」
「今年も残すところあと数時間やな。思い返せば仰山笑うたし充実した一年やった。俺等三年は引退してもうたけど、新部長、光、あとは任せたで!」
「なんや部長、ジジくさいっすわ」
ファンタの入ったグラスを片手に一年の締め括りをする白石。オサムちゃんはお父さんと向こうの部屋で飲んでいる。私たちはリビングのコタツを占拠し、それぞれが持ち込んだお菓子やお父さんお手製のお節の余りが振る舞われていた。
「財前が照れてるー」
「名前先輩、ウザいっすわ」
テーブルの上には千歳のバースデーケーキの余りがあって、昨日それを知った私はトトロのぬいぐるみを買った。けどみんな考えることは同じのようで、千歳は一日に大小様々な数十匹ものトトロに囲まれ幸せそうだった。
今更ながら、私は一応千歳の彼女である。付き合い始めたのは関東大会が終わる頃。不動峰の橘さん、千歳の元パートナーとの対戦で千歳の右目が、殆ど見えていないことを知った。
白石たちは勿論のこと、その事実はお姉ちゃんでさえ知っていた。千歳はずっと、私だけに黙っていたのだ。当然私は珍しく怒りを感じて千歳に高ぶる感情をぶつけてしまった。それが何故、今こんな形で収まっているのか。まあ、それはまた後程話すとして。
「千歳、ちと」
「ん…?どぎゃんしたと?」
オサムちゃんと父さんたちが飲んでいる部屋に押し掛けていったお姉ちゃんたちを見送って、二人残ったコタツの中、千歳に話しかける。沢山のトトロに囲まれた彼は大人数用のこのコタツの一角を占領している。
「ちと、改めてお誕生日、おめでとう」
「はは、ななしに言われるんが、いっちゃん嬉しか」
太陽みたいに、温かくにっこり微笑んだ千歳。みんなこの笑顔に心がぽかぽかして、人が集まっていく。何だか日溜まりの下で昼寝する千歳が思い浮かんで、くすりと笑ってしまった。
「実は昨日お姉ちゃんに言われるまで、ちとの誕生日知らなかったんだ」
「………俺もななしに言ったことなかのに知っとったけん、ちょお、たまかったばい」
「ちとのことはいつも人づてに聞くから慣れちゃった」
そう言って、下手な笑みを浮かべると千歳は困ったような顔をした。眉を下げてしまった彼を見て、私は本音を吐き出すことにした。
「嘘、ほんとは嫌。すごく悲しくなる。でもね、ちとを見ると許しちゃうの。たぶん、ちとが大好きだから」
そう言うと千歳は目を見開いて、揺れる瞳を隠すように顔を片手で覆った。そして次の瞬間、急に抱き締められる。太陽みたいな柔らかい匂いがして、首筋に顔を埋めた千歳が小さく呟いた。
「いっちょん、適わんばい」
熱い溜息が首筋にかかった。それだけで私の心も千歳も満たされてしまうのだから、やってられない。
「あーっ!!あと一分やんかー!!」
急にお父さんたちの居る部屋から金ちゃんの声が聞こえてきて、ドタドタと走る音がした。慌てて離れた私に千歳が少し口を尖らせる。
「あと十五秒!」
「ドアホ!十秒や!」
「謙也さんは重病ですやろ」
「お、財前上手いこと言うやないか!なあ小春!」
「うふふ、うちらも負けてられへんねえユウくん」
「ちょお、財前んんんんんん!!」
「俺はジャストにエクタシーしたるで!」
「白石は自重を知りなさい」
その時、テレビから「ハッピーニューイヤー!」と声が挙がる。自重しろと言ったのにさっきから「んーっ、エクタシー!!!」と五月蝿い白石。勿論その他諸々も。
「ななし、こっち向かんね」
「ん、何ちと…」
みんながテレビの方に意識を持ってかれているのを見計らったように、千歳がにんまりした。状況を理解していけば、顔に熱が集まるばかりだ。
「初ちゅー、たい」
誕生日おめでとう、千歳。
20111231