深夜、ヴァリアーの屋敷はとても静かだった。少し開け放たれた窓からは深い藍色が見える。そこに散らばる光が鬱蒼と生い茂る森を柔らかく映し出していた。

私たちの生活は夜型だ。闇に紛れて奇襲をかけることなんて珍しくないし、寧ろそちらの方が常識。だからこの時間帯から任務に向かうこともあって談話室はいつも騒がしいのだけれど。



朝方にひとつ任務が入っている私は談話室で古びた本を読み耽っていた。ページを捲る音だけが響いて、他に聞こえてくるのは使用人さんたちが奥の部屋で動き回る音だけ。

スクアーロは短期滞在任務でフランスへ、ベルはオーストリアで行われるイタリア経由の麻薬密売組織の始末。ルッスーリアはつい先程帰宅したのだけれど男の死体を引き摺っていたので、いつものようにコレクションに入れるつもりなのだろう。レヴィは何してるか分からない。ボスは…そうだ、ずっといない。

ふと人の気配を感じて扉へ顔を向ける。手は自然と読みかけのページへ栞を乗せながら。


「ム、任務かい?」

「うん、マーモンは?」

「同じく任務さ」

談話室の扉が開き、入ってきたのはマーモンだった。ふわふわと宙に浮きながら私の隣にやってきた彼は小さな体でソファーに沈み込む。どうやらお疲れのようだ。
そうだ、と部屋の隅で控えていた使用人さんに「レモンティーを」と頼めばマーモンが私を見上げた。けれどフードの奥はいつも見えるか見えないかのギリギリで彼の瞳を遮っていた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう、まったく君には適わないよ」

手渡したティーカップを小さな赤ちゃんの手で掴んだマーモンはゆっくりと口を付ける。ふわりと漂ってくる爽やかな酸味に私も何か頼もうかと使用人さんを呼ぼうとしたら、ふぅ、と可愛い声を上げるマーモン。か、かわいい。
いつものように口をへの字に曲げているけど、心なしか緩んでいるような気がする。そんなことを考えているとマーモンは手元のティーカップを近くのテーブルへ置くと、さも当然のように口を開いた。

「今なら料金なしで抱っこさせてあげてもいいけど」

「わぁ、嬉しい」

強欲な赤ん坊と呼ばれているマーモンは私の膝の上に降り立った。そしてペタリと横になる。どうやら相当お疲れのようだ。労るように頭を撫でてあげると、ふにふにのほっぺが揺れた。あぁ、可愛らしい。

「4時から任務なんだ…それまで、」

「うん、起こしてあげる。ゆっくりおやすみ、マーモン」

時計の針はまだ1時を指していた。
私の任務は5時から薄暗い中でのお仕事。敵の人数は判明しているだけで約4名。ミラノの路上で多発している女性ばかりを狙った切断事件の犯人の捜索と始末だ。相手の武装も何もかも不明な為、防御の利く私が選ばれたらしい。
しかし一般の警察が担当するような事件をボンゴレのヴァリアーが担当することになったのには、ちゃんとした背景があった。
狙われた女性がすべて、マフィア関係の女性ばかりだったからだ。中にはボンゴレでも腕の立つ者が殺害されたとあって事件は民間人では手に負えないと判断されたらしい。

この任務を聞いたとき思わず隣にいたベルを見てしまった。勿論、間髪入れずナイフが飛んできた。「俺は一般人殺すときはバレないようにするし」とか何とか言ってたけど、ダメでしょそれ。殺しちゃだめでしょ。



恐らく眠ったマーモンを膝に乗せ、横に置いていた本を再び開く。呼吸の度に上下する背中、この小さな体がいつもこなす仕事量と言ったら。いくら本当は赤ん坊ではない彼でも、疲れは溜まるはずで今こうした状況に結果付いていた。
母国の言葉がつらつらと書かれたその本を捲り、内容を目で追う。日本語は世界で最も繊細で美しい文字だ。ここまで繊細に心を表現できる言葉は日本を置いて他ならない。美しくあり、繊細であり、気高く滑らかだ。
ふと近付いてくる気配にまた顔を上げた。酷くご機嫌の様子を見ると、ワガママ王子のご帰宅らしい。
談話室の扉が開き、返り血塗れのベルが入ってきた。

「ただいまー…ってアレ?名前と、マーモンじゃん」

「お帰りベル、相変わらず血塗れだね」

「ししっ、今日の任務は最高だったぜ。ぜーんぶ証拠隠滅に爆破出来るからメッタ刺しにしてもよかったしな」

「そのままソファー座ったら怒るよ」

「えー」

使用人さんが持ってきてくれたタオルでソファーに座ったままベルの頭を拭いてやる。膝の上で眠るマーモンを起こさないようにゆっくりと。
柔らかな金髪は、こびり付き始めた血液を浴びて更に艶やかになっていた。昔からこうやってベルの頭を拭いてやっているのだ。


「マーモン熟睡じゃん、刺してやろっか」

「だめ、疲れてるんだから」

「うししっ、ジョーダンだっての」

いや君の冗談は冗談じゃないことの方が多いから、とは言えずある程度拭き取れた髪を確認するベルに次の作業を指示する。

「ほら、服脱いで」

「めんどいからヤダ」

「あのね、ソファー汚したら使用人さん大変でしょ?私だって血塗れなソファーに座りたくないし、一々買い替えなんてしたくないし」

「あー分かった分かった。着替えればいいんだろ?」

ばさり、黒い隊服が床に落とされた。血でべっとりだったそれは段々と床に染みを作っていく。すると、すかさず使用人さんがそれを拾い上げて持ち去っていった。
ベルは隊服の中に着ていた黒と紫のボーダーに、使用人さんが気を利かせて持ってきてくれた黒のスウェットのズボンを穿いていた。彼の臍の横には三日月の痣があって、横腹を掻いた際にちらりと現れる。
まだベルが小さい頃はよく着替えを手伝ってあげていたのに、な。

「あ、こら、部屋で寝なさい」

「ししっ、いーじゃん別に」

「ベルはもう任務ないんでしょ?自分の部屋の方が、」

「ここがいい」

私の隣、開いたスペースにごろんと横になったベルはマーモンとは違っていつも隠れてた瞳が覗いていた。綺麗な青色の瞳が、私を見つめている。ベルが前髪を掻き上げるのはきっと幹部しか見たことのない姿のはず。
だから自然と横へ流れた前髪からベルの綺麗な目がこちらを向いていて、ばちり、目が合った。

「なぁ王子、名前の話聞きたいんだけど」

「わたしの?」

「そ。名前滅多に話さないじゃん」

「まあ、話す必要もないかなって」

「何だよそれ」

ベルがマーモンみたいに口をへの字にしたのが分かった。あ、かわいい。まあ本人には言わないけど。またナイフ投げられちゃうし。

「王子が聞きたいから話せって」

「何それ」

「命令」

「えー」

パタンと本を閉じてベルを見る。起きあがった彼は楽しげに口角をあげている。

「どんな話すればいいの?」

「んー、学生時代とか?」

「それならスクアーロから聞かされてるでしょ」

「だってアイツ惚気ばっかだぜ?」

「いやもうほんと勘弁してください恥ずかしい…」

前にベルに学生時代の話をしてやったとか言ってたと思ったら、あの馬鹿。フランスから帰ってきたら説教だ。

「で、名前ってどんな奴だったわけ?」

「それって本人に聞くべきじゃないよね…まあ自分で言うのもなんだけど、静かで本ばっかり読んでた」

「普通じゃん」

「普通だよ」

「何か他にないわけ?」

「他に…うーん、ディーノとよく一緒にいたしボスとは小さい頃から顔見知りだったし」

「あり?スクアーロは?」

「あー、アイツは例外ね。自分で言うのもなんだけど何で好きになったか分かんない」

ふと頭に、まだ髪の短かったスクアーロが浮かぶ。銀髪は襟足で跳ね、学生らしい若さに溢れていた。今でも十分若いけれどあの頃は特にやんちゃだったのだ。何たって先代のヴァリアーのボスにして剣帝のテュールを倒したのだから。

「うししっ、王子そーゆうの聞きたかったんだし」

「そうなの?ならスクアーロには内緒だよ。バレたら何言われるか…」

「ん、りょーかい」

ベルはニカッと笑って敬礼をする真似をした。ほんとに分かってんのか。

「出会いが最悪だったの。あれはディーノが目を離した隙に転けちゃって、スクアーロにぶつかったのがきっかけだったんだ」




20110626





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