自分のしていることが道徳的な考えや生命のサイクルに対して最も最悪な答えを出し続けているのは明らかだった。
人は生まれてから死ぬまでを一生とする。しかし私たちはその摂理を無理矢理捻じ曲げ、終わらせ、対価として支払われる金で生きていた。道徳的な考えや善良な人間からすれば最低な行為だ。
そもそも他人の命を奪うという行為は人間としての最大の禁忌である。魂を堕落させ、いくら生まれ変わろうともその業を背負い続けなければならない。
聖者たちは分厚い教本を片手にそう説くだろう。あながち間違ってはいないと思う。日本にも因果応報という言葉があるくらいだ。きっと、ロクな死に方をしないのだ。
かの有名なボンゴレ独立暗殺部隊ヴァリアー。暗殺を主とする殺しのプロ集団、それが私の職場だった。ヴァリアークォリティーと呼ばれる独自の能力を持ち、任務は完璧を要求され目的達成のためなら手段を選ばない。
それ故に数え切れない人々から恨みを買っている。後ろを振り返れば手に掛けた屍と、その親族や恋人、仲間からの怨みばかり。残忍であり、冷酷であり、邪魔する者は喩え仲間であっても排除する。
いや、仲間意識なんて生易しいものなど私たちの間に殆ど存在しないのかもしれない。ファミリーとの絆を重要視する本部とは違い、うちは実力主義で弱者は生き残ることは出来ないからだ。
そんな一面からかボンゴレ内部でさえ私たちを恐れる者は多く、ヴァリアーというだけで周囲から腫れ物扱いされていることなんてざらにあった。
ヴァリアーは名称の如くボンゴレ本部から完全に独立した部隊だ。構成人数は30名弱。しかしその戦闘力は軍隊をも凌ぎ、任務を完遂する実力に於いては限り無い信頼を置かれている。
だが肝心な本部との仲は壊滅的に悪かった。根本的原因はもう七年前に遡るのだが、私たちが彼等と慣れ合うのを嫌っているのは周知のことだった。
「ただいまー」
日の光がすっかり沈んで暗闇が空を覆った頃、私は屋敷へと戻ることが出来た。任務はAランクだったのだけど数ヶ月前からの疲労が体を重くしているようで、妙な怠惰感が否めない。
欠伸を一つ、談話室の扉を開けると見覚えのあるナイフが眼前に数本飛んできた。一般人であれば脳天に深々と刺さっていただろうそれは黒い影が一瞬にして形を成した事により防がれる。
折り重なり覆うように凝固した影が数回の金属音を立ててナイフを弾く。
「ししっ、相変わらずはえー」
と暢気な声。談話室の無駄に豪華なソファーの背凭れに顎を乗せて、いつものように白い歯を見せながら笑うベルだった。一つ隣のソファーにはルッスーリアが座っていて「あら、おかえりなさい」と紅茶片手に振り返ってくれた。
「その様子だとラクショーだったんじゃねーの?」
手身近なソファーにどさりと座った私にベルは「うししっ」と笑いながら呟いた。任務のことを言っているのだろう。しかし、何故そんなにも疲れた顔をしてるのかと彼は問いたかったらしい。
私も是非知りたいものである。誰かさんが余計な殺しをせずにまっすぐアジトに帰ってきてくれるならもっと明るい顔で談話室の扉を開けてやれるのに。
いつものナイフでジャグリングをしながら此方に顔を向けたベルは、スプラッタな殺人を行ってばかりいる。必ずと言っていいほど血塗れで帰ってくるのだ。
しかもそのままソファーに身を投げ出すので家具たちはすぐに血生臭くなっていく。彼だけならまだいいが、他の幹部もそう言うことを余り気にする質ではない。ルッスーリアは私と同じでいい顔をしないが、殆ど諦めている。
日頃からこんな彼等が他で粗相を起こさないはずがない。ほんと、評判も何もありゃしないのだ。
「まあね、誰かさんが真っ直ぐ屋敷に帰ってきてくれてたらもっとゆっくり出来るんだけど」
「誰だよそれ」
「いやベルしかいないからね」
「ししっ、何でそんな苛々してんの?」
「…最近嫌がらせみたいに優しい任務ばっかりだし、憂さ晴らしは特集記事になるし。苛々しないわけないでしょ、こっちは仕事してるんだよ?なのにケチつけるなんて何様なのかな」
「オレは王子だけど?」
「いやそう言う意味じゃなくてね」
テーブルに置いてあった雑誌を拾い上げる。マフィアの中で発行されている週刊誌だ。表紙は勿論ボンゴレ九代目についてで、捲るにつれて次第にゴシップへ変わっていく。
載っているのは見覚えのある黒い隊服ばかりで、その中にはセルパイオ・レディと見出しがあり自分に似た女が写っていた。いや、間違いなく自分なのだけれど。
――蛇女の奇行。
任務のスタイルについてとやかくあげられているけれど、任務の達成度は完璧だ。
誰かがやらないから私たちヴァリアーが暗躍せざるをえないというのに読者にとっては面白くて仕方がないのだろう。よく食らいついている。けれどあの日、私たちがその一面を飾ったのに比べれば最近のスクープなんてちっぽけなものだと思うのだが。
「あり?名前おやすみモードじゃん」
「最近篭もってないから疲れてたのね、きっと」
遠退く意識の中でベルとルッスーリアの声がした。手からばさりと雑誌が落ちる。だけど拾う気にはなれなかった。
最近は立て続けに任務が入っていたけれど、どれも生半可なものばかりで逆にストレスが溜まっていった。元々睡眠万歳な私には最悪な環境だ。
ゆるゆると瞼を閉じれば、狭い視界を覆うように隙間を埋めはじめる黒い影。セルパイオは私の体を優しく包んでいく。それに身を委ねようとした瞬間、談話室の扉が乱雑に開けられた。
「ゔお゙ぉい!!名前居るかぁ!」
聞き覚えのある濁音が響いて、あっと言う間に意識を引き戻される。私を包もうとしていた影たちは滴が滴るようにほろほろと消えていった。
ゆっくりと目を開ければ、やはりというかスクアーロが居た。
「帰って来たら報告しろと言った筈だぁ、待つ側の身にもなりやがれぇ」
目があったかと思えばそう言った彼の長い銀髪には先程嗅いだばかりの鉄の臭いが付着していて、果たして返り血か、それとも彼自身の血なのかは分からなかった。
あぁ、確か出かける前にそんなことを言ってたなと少し癖の付いた髪を梳けばズカズカと談話室へ入って来たスクアーロがすぐ隣にドカッと座った。そして、眠そうにする私をまじまじと見つめて、また声を荒げた。
「談話室で寝んじゃねぇっていつも言ってんだろぉ」
「居眠りだもん」
「思いっきり同じだろうがぁ!!言い訳すんじゃねぇ!」
「ちがいーまーすー。もーいいじゃん、居眠りくらい」
「寝ぼけて影出さねえってんなら幾らでも許してやる」
「…大丈夫、大丈夫」
「大丈夫な奴が思いっきり顔背けてんじゃねーよ」
怒鳴り散らすスクアーロに「うっせーよカス鮫、そんくらい別にいーじゃん」とベルが耳を押さえながら口を挟んだ。
たまに寝ぼけた私がセルパイオで無闇矢鱈に暴れるのを押さえるのはスクアーロの仕事なので、被害の規模をあまり知らないベルは何かと味方をしてくれる。
そんな王子さまに感謝の意を表そうとすれば「野外は黙ってろぉ!!」と大音量で怒鳴り散らすスクアーロ。被害者からすればもっともな返事である。
しかし、相手はあの王子さま。
「カッチーン、王子に向かってそんな口利いていいと思ってんの?殺すよ?」
「やって見ろクソガキィ!!かっ捌いてやる!!」
案の定ベルは嫌味な笑みを浮かべてコートからナイフを取り出し、スクアーロは青筋を立てて剣を抜く。私は深いため息をついた。ルッスーリアと言えば「まったく下品よねぇ私たちって!」と高らかに笑うだけだった。
「分かった、分かったよ。ちゃんと部屋で寝るから喧嘩はやめて。ベル、ありがとう。でもナイフはやめてね。」
「は?悪いの全部スクアーロじゃね?」
「ゔお゙ぉい!!ベルてめぇ…!」
ベルに怒鳴りつけようとしたスクアーロだったが、私の影がゆらりと揺れたのを見て慌てて口を噤んだ。いい加減喧嘩は止めろと言う私の無言の圧力に気付いたらしい。
「ったく…いいかぁ、ちゃんと部屋で寝ろ。ただでさえ最近寝てねえんだろぉ?」
諦めたように溜息を付いたスクアーロは私の髪をくしゃりと撫でた。「まあ、そうだけど」と返してから気付いた。どうやら私を寝かせるために言い付けていたらしい。
よくよく考えてみれば彼は昔からこうである。頭に血が昇りやすく声は無駄に大きいし言葉は汚いし、自分より下の者に対して容赦ない。
カスだのクズだの罵るのは日常茶飯事。しかし端からは不良集団のナンバー2だの傲慢な鮫だの殺しについてのスタイルを叩かれているが、人並みとは言えないけれど、優しく面倒見がいいのだ。
「あ、スクアーロ。今日の報告書」
報告、で思い出して雑誌の隣に無造作に置いていた紙切れをスクアーロに手渡すと彼は顔を引き攣らせた。
なんせボスの居ない現在のヴァリアーはスクアーロが回しているようなものだからだ。任務と事務を掛け持ちしているため、疲労は私たちの倍である。しかしそこはヴァリアークオリティ、全てをこなしているのだから驚きだ。
「お前は昔っから根に持つタイプだったのを忘れてたぜぇ…」
「ん?何のこと?」
だけど彼は優しいから。昔から私が頼んだことをスクアーロは滅多に断らなかったし、何かと世話を焼いてくれていた。学生時代から変わらないこの心地よい関係に私は依存していたのだ。そして、少しずつ形を変えたその関係は気付けば友人を越えてしまっていた。
「スクアーロ」
「ん゙?」
「ねむい、だっこ」
呆れた顔をして私を見つめる銀色の瞳。しかしその奥の温もりを知っている私は笑顔を向ける。ルッスーリアが「熱いわぁ!」と興奮する中、隣にやってきたベルが「王子が連れてってやろっか?」とニヤニヤして囁いたが、速攻でスクアーロに却下された。
私を背負い、自室に寝かせてくれる彼をどうして離せようか。スクアーロの隊服をぎゅっと掴めば私の額にキスを降らせてくれる。この瞬間が何千人と奪ってきた人々の人生と同じく、最も幸福な時なのだと知ったのは何時だっただろう。この殺伐としたヴァリアーで私たちは懸命に互いを確かめ合って、生きていた。
20110526 杏里