ヴェネツィアの街を流れる水路から静かな水音が響いていた。
目の前にいた少女の姿が、ぼんやりと網膜に焼き付いている。くすんだ金髪は伸び放題。そんな前髪から覗いた明るいブルーの瞳はベルの瞳に似ていた。カサカサに乾いた唇から漏れた言葉に私は衝撃を隠せなかったのである。

あの瞳が一体何を映していたのか、死を直前にして光を失わなかった、あの瞳を、真実を、私は随分昔から知っていた。





セルパイオによって身を裂かれる標的は死の恐怖に顔を歪め、肉片になってゆく。それこそ生に執着した強欲な金の、権力の亡者たちの本質なのだと嫌悪していた。
己のしている非道徳的な行為を棚に上げた、実に人間らしい同族嫌悪であることも承知で。

他人の命を奪うことに慣れてしまった私たちは、麻薬にも似たハイになれる薬で脳を麻痺させられているのかもしれない。誰だろうと迷いはなかったし、正直、それを楽しんでしまった事だってあった。
ベルみたいに快楽殺人に酔ってるわけじゃない、私がその行為にどちらかと言えば嫌悪感を抱いていることも事実だ。でもそれそのものを否定することは出来なかった。

何故なら私は暗殺者であり、他人の命を奪うことで対価を得ているのだから。




まだ首の座らない赤子を、小さな命を容易に捻り潰したことだってあった。だというのに、一体どうしてしまったのだろう。前髪から覗いていた瞳は、まるでそれを望んでいたかのように笑っていた。私たちは恐怖や憎悪を与えることはあっても、間違っても自由を与えることはできないはずだった。

私たちが相手をするのはいつだって怒りや憎しみや恐怖だった。背負うのも憎悪や呪怨だったのに。




「ゔお゙ぉい、立てるかぁ」

スクアーロの濁声が聞こえた。放心状態だった私を心配するように頬に手を添えると彼の白い手袋にじわりと朱色が滲み込んでいく。ごしごしと親指で頬を軽く擦ったスクアーロは私の手を優しく引いた。

事態は深刻だった。まだ完全ではないけれど、私の中で一つの仮説が立ち上がってしまったからだ。



「連続切り裂き事件は、まだ終わってなかった」

「そう考えるのが妥当だぁ。確か死体は引き裂かれて切断されてたらしいじゃねえか」

手を引かれ立ち上がるけれど、そこにあったはずの小さな体は、やはり一瞬で食い潰されてしまっていた。残ったのは体内を駆け巡っていた血液だけだ。


「でも、もしそうだとしたら真っ先に私が捕まってるはずじゃない?本部が手を抜いたとも思えないし」

「いや、お前に任務が回ってきた後すぐに犯人が捕まったのは不自然過ぎる。標的のお前が捕まったらマズかったんだろうなぁ」

スクアーロは私を立たせると自分が羽織っていたスーツを私の肩に掛けた。まさか私が担当するはずだった任務がここまで尾を引くことになるなんて誰が思っただろうか。

しかも、厄介な方向に向かうのは必須ときた。


助手席に乗り込んだ。持っていたハンカチで顔に付いた血を拭い、髪に付着したそれはアジトに帰るまで我慢しなければならない。スモークガラスでよかった。


「とりあえず洗い直すしかねぇ」

「でも本部が取り合ってくれるかな」

「ハッ、カス共の都合なんて知るか。あっちの考えに気付いちまった以上、やるしかねぇ」

スクアーロは信号を見つめながら窓枠に肘を付いた。それに頷いて私はまた前を見つめる。



「私を狙う、もう一人のセルパイオ・レディ、か」

まだ年端もいかない、少女だった。みすぼらしい服にボサボサの髪、肌は土で汚れていた。スラム街の子供だろうか、親は一体どこにいるのだろうか。いや、スラム街に居る時点で保護者の存在は無い可能性の方が大きいけれど。


「あの身成りだったからなぁ、情報が出てくるか怪しいモンだぜぇ。それにガキ一人で動いたとも思わねぇ。黒幕が居るはずだぁ」

確かに、あの子だけで動いたとは思えない。しかし私を探し回っていたようだけれど、そんなまどろっこしいことをする必要性があったというのだろうか。
けれど決定打に、私を狙うように言われていたと少女自身が口にしていたのだ。あの子がどうして影を使うことが出来るのか、私と同じような人間が存在したのかは、全く持って謎である。


「マーモンに念写、頼んでみようか」

「いや、前の事件と今回の件が繋がってんなら骨折り損になるかもなぁ」

何故、といいかけてやめた。私は気付いてしまったのだ。


「…本部の連中まで丸め込むような術士が居るって事?」




スクアーロは黙って頷いた。



20110905 杏里





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