「お前、泣きそうな顔してたぞぉ」


誰が?と問いそうになった。私しか居ないことくらい分かりきっている。

「ええ、ほんと?」

「少なくとも、俺が今まで見たことのねえ顔だった」

神妙な表情で呟いたスクアーロに思わず喉がこくんと鳴った。さて、どう誤魔化そうか。ヴァリアーのNo.2を出し抜くには相当な労力と気力がいるのだけれど。


「その話はまた後で。先に任務の確認をしよう」

「そうだね、その方がいいと思うよ」

マーモンの賛成も戴き、パーティー会場にいるのに飽きたらしいベルが「俺も」と言った。スクアーロも無理に話を延ばすつもりはないらしい。頷いて、私たちに指示を出した。



















ばさりと脱ぎ捨てたワイシャツが妙に重かった気がした。着慣れねえスーツなんてまどろっこしいだけだ。九代目の護衛は無事完遂。けれど引っかかることが一つ。

九代目に挨拶を終えて無駄に広いダンスホールを抜ける途中、何人かの女から誘いを受けたが思わず眉根を寄せて「退けぇ」と押し退けてしまった。
何だか胸騒ぎがしたのだ。足早にホールを横切れば、隅に見えた黒ずくめの集団。そこに見ない後ろ姿。向かい側にいた名前の表情が、泣きそうに見えた。


気付けば怒鳴り上げて名前の元に歩み寄っていた。ちらりと名前を盗み見ると、先程の表情が嘘のように普段の表情を浮かべているではないか。


「一体何だってんだぁ」

ベルによれば、あの優男はビナオッチと言い、フリーの殺し屋らしかった。招待状を持っていたし身元はしっかりしているのだろう。しかし、だ。名前の学生時代を知らねえベル達は気付かなかっただろう。あの場に跳ね馬が居たのなら、顔を真っ青にして名前の元へすっ飛んで行ったに違いない。


名前は俺たちの前で笑ったり拗ねたり呆れたり、ちょっと怒り気味になったり割と感情に素直だ。未だにあいつが怒り狂うのを見たことはないが、元々感情を表すのが苦手な部類だったのを知るのは学生時代を知る俺と跳ね馬、本人から話を聞いた者ぐらいだろう。

無表情に周囲を見渡し、感情の籠もっていない声を発する。興味がない、と言われているようなそれに周りの人間もあまり近付きたがらなかった。加えてあの黒い影から躊躇ない攻撃を受けるのだ。無理もなかった。

そんな名前は今、柔らかい笑みと感情の籠もった声で周囲と接している。殺しという選択を放棄すれば平々凡々な一般市民と変わらない程に。大抵の人間は一度染めてしまったこの感覚からは逃れられず堅気に戻るのは無理だ。けれど名前なら可能なのではないか、寧ろそちらが名前の居るべき世界なのではないのかと思わされる。錯覚もいいところだとあいつが自分の影で標的を引き裂く度に思うのだが。


何故あんなにも無表情だった名前が今のようになったのかは、誰も分からない。本人にしか分からない。まるで何かに解放されていくように少しずつ名前は笑みを浮かべるようになった。そうするのを自分から戒めていたかのように、驚くことに名前は感情を表すことが上手かった。どんな時に笑い、どんな時に悲しむのか。名前はよく知っていたのだ。

そんな名前が泣きそうに顔を歪めていたからといって、どうしたんだとベルは眉根を寄せそうだが俺からしてみれば事態は深刻だった。
名前の涙を見たのは後にも一回だけで、それは俺がテュールとの戦いで片腕を切り落としたときのこと。ずっと拒み続けた俺の思いを受け取ったのも、その時だった。



あいつは、心を許した者にしか涙を流さない。あいつは悲しくて泣くのではない。あいつは、俺を心から愛すると決めたときに涙を流したのだ。


20110727 杏里





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