何も言わず佇む彼は名前の視線に気付いて小さく会釈をした。黒スーツに赤のネクタイの優男。短い金髪にブルーの瞳、物腰柔らかなその人は私に向かい微笑んだ。その瞬間、頭の片隅にあった何かが、目の奥の視神経が、小さく爆ぜて背中のセルパイオがぶるりと震えた気がした。
「失礼、折角のパーティーなのに声を掛けないのは余りにも勿体無いと思ってね」
椅子の上に両脚でしゃがみ込んでいたベルは名前と目の前の男を見比べる。その隣に座っていたマーモンも「ム、」と小さく言葉を漏らした。
「何、知り合い?」
訊ねるベルに言葉を返せず、首を振る。何かを察してくれたベルは男の方を向き眉根を寄せた。
「悪りーけどそう言うの受け付けてねーから。諦めてね、オニーサン」
うししっと笑ったベルはいつものようにおどけた声色で男に話しかけた。前髪で隠れている目は、男を静かに見据えている。ニイッと歪められた口元、白い歯が見えた。
「俺、コイツの同僚。オニーサン誰?」
「ビナオッチ、フリーの殺し屋だよ」
「ふーん、フリーなんだ」
「君達は?」
「え、何オニーサン、俺たちのこと知らねーの?」
信じらんない、と両手を挙げて驚いたフリをしたベル。深く被ったフードの下から覗いた口元が少し驚きに開いたマーモン。手元の食べかけのマカロンが真っ白いお皿の上に一つだけ残っていた。
「はは、冗談だよ。ヴァリアーのプリンス・ザ・リッパーに強欲な赤ん坊だろう?殺し屋やってて知らないなんてよっぽどの馬鹿か、もう死んでる奴さ」
軽く笑った男、ビナオッチはベルとマーモンを見た後、私へ視線を向けた。再び巡ってきた男と目が合う。薄い色素の瞳が名前を見つめていた。
「初めまして、セルパイオ・レディ」
名前が男の瞳を見つめ返せば、またあの微笑みを見せた。ああ、やはり見れば見るほど似ている。顔がではない、彼が纏う雰囲気や表情の一つ一つが限りなく、似ていた。
「だーかーらー、駄目だってばオニーサン」
名前の目を覆い、ビナオッチに向けて白い歯を剥き出しにして笑うベルは相変わらずおどけた様子で語りかける。しかしその声色には、先程にはなかった殺気が含まれていた。
「コイツ口説いちゃ駄目」
いつものようにナイフを取り出そうとしたベルの手首を、慌てて掴んだ。驚いた顔をしたのはビナオッチではなく、ベルだった。
「仕舞って、ベル。招待客を傷付けたら任務違反だよ」
腕に手を乗せて首を左右に振る。今此処で任務以外の殺傷事件なんて起こされたら間違いなくヴァリアーは謹慎処分へ逆戻りだ。チッと舌打ちしたベルは首の後ろに手を組み、そっぽを向く。隣にいたマーモンはホッとしたように息を吐いた。私も、安堵の溜息を付いていた。
「すみません、折角のパーティーだというのに不快な思いをさせてしまって」
「ああ、気にしなくていいよ。暗器は向けられ慣れてるしね、それに切り裂き王子も君を思ってしたことだろうし、寧ろ悪いのは俺だし、責めるなんてお門違いだと思ってる」
ビナオッチはまた特徴的な微笑みを浮かべて肩をすくめてみせた。するとその顔が急にきょとんとなって、ニヤニヤと意地悪な笑みに変わる。
「何、惚れた?」
「…は?」
「そんな見惚れたような顔されちゃうとこっちまで照れちゃうな」
「別に見惚れてませんけど…」
「ちょっとくらい挙動不審になってくれてもいいのにまさかそんな真顔で返されるなんて思わなかった」
がっくりと気落ちしてみせるビナオッチに名前は慌てふためいてしまった。
「え?あの?」
こんなときにどう返していいか分からず後ろを振り向くと未だに拗ねているベルが目を逸らした。マーモンは「僕にも分からないよ」と囁いた。ビナオッチに向き直る。彼は何故か爆笑していた。
「冗談だ冗談。気にしてないからそんな謝んないでいいって」
ベルとマーモンはお互いに顔を見合わせて肩をすくめている。全くもってビナオッチの行動が理解できないというご様子だ。それもそのはず、名前でさえ困惑している。
ヴァリアーの幹部たちを困惑させるなんて、この男は一体。
ビナオッチは呟いた後、ピクリと何かに反応して「あちゃー」と苦笑した。途端に上がる聞き慣れた濁声の怒号にベルは「おせーよカス鮫」と溜息を付く。少し離れた場所からツカツカと歩んでくるのはやはり、スクアーロだった。
「ゔお゙ぉい!!誰だテメェ、そこで何してやがる!」
「ん、通りすがりの殺し屋だ。ちゃんと案内もらってるから安心してくれ」
爽やかに笑うビナオッチが差し出した招待状を油断無く見つめ、突き返した。「な?」と笑うビナオッチをスクアーロは問答無用で睨み上げて低い声で呟いた。
「今の俺は機嫌が悪い、さっさと消えた方が身のためだぁ」
そうそう、と相槌を打つベルにマーモン。暗に言えば邪魔するな、さっさとこの場から立ち去れカスである。申し訳ないことに。
「そうするよ、まだ俺死にたくないし」
けれど言葉に隠されている意味ごと受け取っているだろう彼は相変わらず笑みを浮かべたままだった。ビナオッチはあくまで紳士的な御辞儀をした。漂う気品はとても上品で、彼は顔を上げる。
「また、いずれ何処かで」
パッチリと合った目がゆっくりと逸らされる。彼は颯爽と去っていった。スクアーロはその背中を見つめたままで、広いダンスホールからビナオッチの明るい金髪が隠れると私を振り向いた。
「名前」
「ん?」
「アイツに何言われたんだぁ」
「えっ?」
スクアーロはいつも釣り上がっている眉をほんの少し垂らして問うた。
「お前、泣きそうな顔してたぞぉ」
20110627 杏里