その深緑の目は、常に真実を捉え慈愛に満ちていた。


リリー・エバンスという少女は実に聡明で誠実で、人の美点を見つけて優しく微笑んでくれる人物だ。決して他人を裏切ることを良しとせず伸ばされた手を取ることを厭わない人。
しかし彼女と言えども、嫌悪感を感じる存在がいるらしい。私はそれをよく知っていた。




リリーの中でポッター像がどん底より更に地に落ちたのは言うまでもなかった。
恐らく、いや絶対的にタイミングが悪かったのだ。あの日の彼女は"秘密"を知ってしまったポッターをいつも以上に敵視していたのだから。


「でも自業自得だわ」

「うん、まあ確かにね」


辛辣な言葉を言ってのけたセラーテム・サマンダの髪はサラサラと風に流れ艶やかに揺れて、澄んだアクアブルーの真ん丸い瞳が静かに煌めく。



あの朝食の一件から数日後。
私は彼女と共に中庭の小さな木陰で、大広間から持って来たサンドイッチに齧りついていた。古城は徐々に茜色に色付いてきたし陽気な日差しの下で食べる昼食は格別だ。小瓶に入れておいた甘いかぼちゃジュースに一口だけ口付けて、ほっと息をつく。


私達の隣にリリーはいない。スラグホーン先生に呼ばれて遅くなるので、別々に食事を取ることになったのだ。従って今日はセラと二人きりだった。
午前中の授業は魔法生物飼育学だったが魔法薬学で使う材料の栽培について聞かされた為あまり楽しくなかった。私の苦手科目の頂点に君臨する魔法薬学を彷彿させる授業なんてトロールと顔を付き合わせているようなものだ。



「そういえば変身術のレポートの締め切りって明後日までだったよね」

「えぇ。でも私、今夜くらいから始めないと間に合わないわ」



手元にある糖蜜パイを啄みながら朗らかに微笑む碧眼はとても美しい。絹のように金色に輝く髪とコバルトブルーの瞳のコントラストにみとれない者は居ないだろう。
前にそれを告げたことがあった。すると照れたように自分のような人間は五万と居ると返されたのを覚えている。でも決して、彼女とまったく同じ人間は居ないのだと「その中で一番きれいだよ」と呟けば顔を真っ赤にさせていたのを思い出した。



今夜あたり私も談話室の机に張り付いておかなければならなくなるのだろうなと思い溜息をつく。マクゴナガル先生の宿題は提出期限に関して厳しい上に、たんまりとレポートを書き上げないとならない。
それなのに物事をのんびり考えている私たちを赤毛の友人が見ていたなら「今すぐ始めなさい」と言われていたに違いない。


「今年はまだ温かいな」


イギリスの冬は日本とは比べものにならないくらい厳しいのは身を持って知っている。それを目前にしていながらも未だに気候は穏やかだった。
玉子サラダの入ったサンドイッチを頬張りながら、甘くてホカホカのかぼちゃパイも取ってくればよかったと後悔した。




ふと視界の右側から誰かが駆けてくるのが見え無意識に目で追っていると、それは真っ直ぐと此方へ向かって来る。


「あれ、レローナじゃない」


同じグリフィンドールのレローナは私達を見つけるなり嬉しそうに近寄ってきた。急いで来たらしく息が弾んでいる。私はすかさず手元にあった二本目のかぼちゃジュースを勧めた。「ありがとう」と笑顔で受け取り飲み込んだ彼女は溜息をつき、ゆっくり口を開く。


「セラ、あなたを呼んでる人が居るの」

「私?」

「ええ、あなたよ」


セラは不審そうに眉を顰め、手元の糖蜜パイをランチボックスに戻した。


「誰なのか分からないの?」

「私は知らない人なんだけど…。でも多分、上級生かしら」


取り敢えず付いて来て頂戴、とレローナはセラの腕を優しく取る。が、「どうしても行かないと駄目?」と納得がいかないようだった。
困った視線を向けるレローナの為に「待ってるから行っておいでよ」とセラに言い聞かせると、今まで抵抗していた彼女はすんなりと立ち上がり「さっさと済ませてくるね!」と微笑んだ。
それを見て「なんてガリオンな子なのかしら、」とレローナは溜息をついた。






セラがレローナによって連れて行かれた後、私はひとりでのんびり湖を眺めながらサンドイッチを平らげていた。
湖に住む大イカが水辺で遊ぶ生徒に向かって自身の体を水面に叩きつけ、びしょ濡れにさせている。この場所にいてよかったと思った。


ふと視界の端に黒い影が映り込む。あぁ、ローブの色だ。先程のレローナと同じく、でもゆっくりとその人物は近付いてきた。


「こんにちはスネイプ」

「苗字、一体どうしたんだこんな所で」

「昼食を取ってたの、セラも一緒にね。でも誰かに呼ばれて今は居ないの」

「そうか、あー…エバンスは?」

「リリーはスラグホーン先生の所だよ」


はにかみながら言えばスネイプは少し残念そうに眉を下げた。彼はリリーの幼馴染みで、スリザリン寮の生徒だ。でもリリーにはとても優しくて、そのよしみで会話をするようになったのだけれど。


「何か言付けでもしようか?」

「いや、構わない。邪魔したな」

「ううん、そんな事無いよ」


友人はゆっくりと湖へと歩いていった。


小さく息を吐いて秋晴れの空を眺める。空は繋がっているというのだから祖国にいる彼等もこの空を眺めているのだろうか。イギリスは間もなく冬へ突入する。先程も述べたように日本みたく緩やかな冬ではない、寒さが凍てつく冬だ。
毎年の事ながら比較的温暖な地域に住んでいた私はイギリスの冬が苦手だった。その度に炬燵を引っ張り出して寝ころんでいたのを思い出す。今となってはグリフィンドール談話室の暖炉とアイリスの家の暖炉が炬燵代わりのようなものだけど、ちょっぴりカルチャーショックを覚えてしまう。



「苗字?」



ハッとしてみれば、目の前に陰が降りていた。目を何度かパチクリさせると薄灰色の目と視線がぶつかる。整った顔、黒髪、涼しげな薄灰色の瞳。言わずもがなシリウス・ブラックである。


「こんな所で何してるんだ?」

「え、えぇと…昼食、とってる」

「一人で?」

「セラ、今呼ばれて居なくて、リリーはスラグホーン先生と、」

「そっか」


腰掛けていたベンチがギシリと軋む音がした。隣には今まで目の前にいた男が座り込んでいて、足を投げ出し背もたれにだらりと倒れ息を吐いている。
私の頭はパニックだった、なんせこの男は私の秘密を知っているんだし良い噂を聞かないものだから警戒せずには居られない。


「さっきスニベルス来ただろ」

「え?」

「…スネイプだよスネイプ」


嫌悪感を丸出しにして呟いたブラックは不機嫌そうに吐き出した。スネイプとブラックのが犬猿の仲なのは周知の事実だ。そして、彼は私とスネイプが話すそれを見ていた。さぁっと血が地面へと引き戻されるような感覚がして、頭を重くさせる。
スネイプの事が嫌いなわけではないしこれからも仲良くできるならしていきたいのだけど、ブラック達はスネイプを目の仇にしている。つまり、私は大誤算を犯してしまった。私を敵に回して秘密をバラ巻く口実を与えてしまったのだ。


「う、うん」

「仲いいのか」

「…程々に」


かと言ってスネイプを悪く言うことなんて私には出来なかった。だって彼は誤解されやすいけどいい人なんだ。そんな人を自分の保身のために貶すなんて人間としてどうかと思う。意を決して真実を述べればブラックは「そっか」と腑抜けた返事を返しただけだった。これは意外だった。


「お、サンドイッチがあるじゃん」

「あ…、いる?」

「いいのか?」

「ブラックがいいなら、」


話をすり替えるかのように私の昼食を見つめた彼をブラックと呼んだ瞬間、ピクリと反応した。微妙に眉根を寄せて、所謂顰めっ面をしたのだ。


「俺、ブラックって呼ばれるの嫌いなんだ」

「ご、ごめん」

「でもまあ苗字だから許してやるよ。その代わりシリウスって呼んでくれ」

「えっ!」


男の子らしく軽快な笑顔を見せるブラックは今とんでもないことを口にした。私が、ブラックを、そんな。慌てふためいていれば彼は悪戯が成功したみたいに意地悪く笑った。


「俺も名前って呼びたい」

「えぇっ!!」


さっきより大きな声だったのだと思う。ブラックはその様子を見て我慢できないとばかりに笑い声を上げた。最後らへんは引き笑いになるくらいツボにハマったらしい。今のどこに笑いの要素があったのか、英国人の笑いのツボが分からない。大分収まった頃、彼は満面の笑みで此方を見た。


「ほんと、面白いな名前は」


早速名指しで呼ばれ親しい友人にしか呼ばれないものだから思わず顔を俯けてしまった。絶対顔が赤い。辛うじて絞り出した言葉は「あ、ありがとう…」と何とも情けない声だった。





一日の授業が終わり、ブラックと入れ違いになる様にして飛んで帰ってきたセラと午後の授業で合流したリリーで談話室へ向かう途中、私たち以外誰も居ないと思っていた廊下で悪戯仕掛け人達と出くわした。どうやら彼等も談話室へ向かっているようで、瞬間、バチリと音がしそうなくらいブラックと目が合ってしまい軽く微笑まれた。


「お疲れ、名前!」


ギョッとしたのは私だけではなく、あのポッターでさえリリーに構わず「あれ?そんな仲だっけ?」と呟いた。すると脱兎の如く友人達に手を引かれ女子寮へ。
戻ってからというものの昼の件を知らない二人はブラックが何を企んでいるのかと口早に話し合っていた。私が弁解しても「騙されちゃ駄目よ名前!」と一喝。確かに完全に彼等を信じるのは迂闊かもしれない。頭では分かってはいるのだが、ブラックの眩しいくらいの笑顔は偽物じゃなかったような気がした。


それは、初めてリリーの深緑の瞳を見つめた時の安堵感に似ていたから。








20110123 杏里






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