1971年9月1日。
イギリスのしっとりした夏が終わり暖色へ色付けを変える季節の中、キングス・クロス駅はいつもより人で溢れ返っていた。
英国全土から子供たちをホグワーツへ向かわせる為マグルに扮した魔法使いたちがこぞって集まるからである。


新入生は焦燥と不安を抱え、同時に希望と期待を抱きその敷地を跨ぐ。在校生は慣れ親しんだ友人たちと新たな一年間に胸を躍らせるのだ。





その日、現存する全ての純血魔法族と血縁関係にある名家、ブラック家の長男がグリフィンドールに組分けされた事は瞬く間に世間に知れ渡った。
彼の友人には名家であるポッター家の長男、人狼であることを隠し入学した男子学生が居る。

名家の長男が二人も居る上に容姿が申し分ない彼等は否応無しに目立つ集団だった。その後ろをひっそりと劣等感を抱えブラックとポッターを崇める少年が一人居たのもまた過去の話。



彼等は問題児でありながら同時に天才として扱われ、多大な才能を発揮し自らを悪戯仕掛け人と名乗っていた。
広大な敷地と城内を駆け回る二人、それを歩いて追う監督生に小柄な男子。軽快な笑い声と爆発音は今でも私の口元を緩ませる。



そう、彼等と私は奇妙な巡り合わせにより引き合わされた同級生だった。













ぶかぶかだったローブも採寸を繰り返すようになり4年目の季節がやってきた。
見慣れた紅の車体を包む蒸気が風に流れて消えてゆく。キングス・クロス駅から出発したホグワーツ特急はゆっくりと加速して線路の上を走り、鉄橋を渡り山を越えてイギリスの広大な土地の奥地へと姿を消していく。





夏休み休暇が終わり友人達と学び舎に帰ってきた。
足を踏み入れたその瞬間から笑顔で手を振ってくれる肖像画達の絵の具の匂いや、大広間に入ると同時に見える天井の夜空が眩しい程に煌めいた。

歓迎会が始まり、新入生が組み分けされる。私が座っているグリフィンドールの席にも何人もの一年生達が駆け込んできた。



「懐かしいね」



私の右隣に座っていたリリー・エバンスは新入生に拍手を送りながらニッコリ笑って頷いた。彼女の赤毛が天井の蝋燭の光を浴びてキラキラと輝き、綺麗に反射した。
くいっとローブの裾を引っ張られて意識が引き戻され、振り返れば金色で艶やかな髪に碧眼が私を見つめていた。セラーテム・サマンダ、彼女もリリーと共に私の一番の友人だ。



「どうしたのセラ?」

「もう夕食出てきたよ、食べないの?」



セラの言う通り、目の前にあった金の器やゴブレットには目を見張るほどのご馳走が所狭しと並んでいる。肉汁がほとばしりそうなローストチキンから、甘くてとろけそうな糖蜜パイまで様々だ。



「名前の好きな糖蜜パイ、沢山取っておいたからね!」

「わあ、ありがとうセラ」

「あら名前、ちゃんと他の食事も摂るのよ?」

「はーい」



三人でクスクスと笑いながら、お皿に食事を取り分けてフォークに突き刺す。リリーから渡されたミートパイが口の中でふわりと香り、喉へ嚥下された。



ふと教員席の方を見れば、マグコナガル先生の隣でワインを飲もうとしていたダンブルドア先生と目が合った。星空みたいにキラキラしたブルーの瞳が笑みで細められたかと思えば茶目っ気たっぷりにウインクが送られて来る。
照れたように曖昧に笑みを浮かべるしかできなかった私に『乾杯』と呟いて掲げたゴブレットに口を付ける先生は実に愉快そうだ。
ぐるりと賑やかな広間を眺め、今年ものんびりと過ごしたいなと切り刻んで食べやすい大きさにしたミートパイを咀嚼しながら、思った。











談話室に戻り、ふかふかのソファーの上で微睡んでいると可愛らしく栗色の髪を束ねた監督生が「眠たかったら寝室へ行った方がいいわ、ここで寝過ごしたら風邪を引いてしまうから」と微笑んだ。
御礼を言って、自分の手元にあった本を指し「もう少し読んでからにします」と返せば先輩は笑顔で頷き去って行った。






年代物だと感じさせる表紙には『レプラコーンと妖精図鑑』と書かれている。小さな帽子を被った老人の小人妖精が少し古くなったページを捲る度に文字と挿し絵をすり抜けて私の目線の先までやって来る。そして、面白おかしく妖精の説明してくれるのだ。
談話室には数える程しか生徒は居ない。リリーとセラはとっくの昔に女子寮に上がって温かい毛布にくるまれ眠りについているはずだ。
図鑑を閉じようとすれば小人妖精が「また聞きにおいで」と笑った。頷いてパタンと閉じると先程までページの上にいた妖精は表紙に戻っていて小さく手を振ってくれた。











まだ起きているみんなの様子を窺ってこっそりと『太った婦人』の肖像画を潜り抜けると消灯時間間近に開いた扉に婦人は『こんな時間にどこに行くの?』と訝しげだった。

「ちょっと先生に呼ばれてるんです」

その答えに婦人は「あら、そうなの」と表情を緩め、私は軽く微笑んで夜のホグワーツへ繰り出した。










古代ルーン文字の教室に向かい、扉を開けば中に明かりが灯っていた。正確には奥の教授室の明かりなのだが。



「やあ名前、迎えに行く前に来ちゃったのかい」

「うん。だって待ち遠しくて」



教室に足を踏み入れると奥から誰かが出て来た。すらりとした長身に鳶色の髪、ハニーブラウンの瞳。特徴的な笑みを浮かべる古代ルーン文字学の先生、アイリス・キーン先生だ。



「初日はどうだった?」

「マクゴナガル先生がレポート三メートル出しちゃって…」

「あはは、ミネルバらしいな」



アイリスの部屋に入り込むと内装はグリフィンドール談話室に似ていて赤と金色の壁紙に真紅のソファーが置いてある。
「座っていいよ」と促されシングルソファーに腰掛けると目の前にティーカップが現れた。



「何がいい?」

「うーん、ラテ」



そう呟くとティーポットから温かい液体が注がれる。こぽぽ…とカップを満たしたかと思えば、ご丁寧にふわふわの泡をスプーンでハートマークにしてくれた。
ふう、と少し冷ましてから口を付けると、ほんのり甘い味が口の中に広がり体がポカポカする。アイリスはダージリンを飲んでいるようだった。



こんな夜にこっそりと先生に会うのには理由がある。決して恋人だとかそんな甘い関係ではない。
私達は未完成のパズルのように不完全な疑似家族だった。血の繋がりはないけれど、アイリスは私の父親の友人で、同時に名付け親でもあり後見受け人だったのだ。





始まりは彼が入学許可書を持ち、日本にやってきた日。魔法の"ま"の字さえ関与せずに育った私は自分の両親が魔法使いであったこと、二人が既に亡くなっている事、そして、11年間私を育てていたのは"育ての親"だったということを知った。
幼かった私が、それをどう受け取ったかは容易に想像できるだろう。
その結果とホグワーツは日本から通うには遠すぎる距離にあるという理由から、今はアイリスの家に身を寄せている。


『家族にならないか』


しどろもどろに告げてきたアイリスが緊張した顔つきで私の返事を待っていたのは、もう4年前の話になる。
彼の言葉を承諾して以来、家族に成り切れない隙間を埋めるように時間と接触を繰り返し、お互いの生きる糧になろうとしてきた。
アイリスには家族がいない、そして私にはアイリスしかいない。寄せ集めのピースを少しずつはめ込んで、限り無く本物に近い家族になろうと藻掻いている。





しかし、この事実は周囲にバレてはいけなかった。ホグワーツの教師が生徒の保護者的存在にあるだなんて知れたら、贔屓だの何だの理事会が五月蝿い上に他の保護者から苦情のふくろう便が一体何羽来るか分かったものではない。
最初から公言していたら何かしら措置をとれたかもしれないが、後の祭りだ。教職員は事情を知っているので構わないそうだけど、生徒にはバレないようにしなければならなかった。


アイリスは皆の教員であって、私だけが独占していい人物ではないのだから。


その埋め合わせにこうして夜にこっそり会って、くだらない話に花を咲かせる。親子みたいに出来る時間の大半がホグワーツにある私達だからこそアイリスもその気持ちを汲んでくれたようで、このような形に落ち着いているのだ。


「あぁ、もうこんな時間だ」

「ほんとだ」


アイリスは部屋にある砂時計を見て言った。この砂時計は必要な時間を知らせてくれる魔法がかかっていて、今のように私が帰るべき時間になれば砂はごく僅かになる。

「寮の近くまで送ろう」

「え、いいよ」

「見つかったらどうするんだい、罰則は目に見えてるよ」

「それ教師の言う台詞?」

「いや、親が子を心配する心境かな」


私が吹き出すとアイリスは「失敬な」と拗ねたように眉を顰め、二秒後に私と同じように吹き出していた。



二人で夜のホグワーツをグリフィンドール談話室に向けて歩き出した。「Lumos」と呟いたアイリスの隣を闇に慣れていない瞳で見つめる。暫くして階段を上り一枚の肖像画の前へ辿り着いた。


「じゃあ、この辺でいいかい?」

「うん。ありがとうございました」

「礼には及ばないよ。じゃあ、また明日」

「また明日、おやすみなさい」



アイリスは『太った婦人』の前で踵を返し軽く手を振り去って行く。
それを見ていた婦人は『アイリス先生だったのね』と語り掛けてきた。私は「はい」と頷いて、肌寒い廊下から逃れようと合い言葉を呟くべく口を開いた。

のだが、『太った婦人』が発した言葉に呑まれてしまった。



『私はてっきり貴女とポッター達で夜の校内を徘徊するのかと思ってたんだけど』



同じ頃に出て行ったものだから、と続いた婦人の言葉に痺れにも似た警報が全身を駆け巡る。繰り返された言葉を整理して理解したとき、背後から笑い声がした。
突発的に後ろを振り向けば、ベールが溶けるかのように靡き人影が現れる。



「やあ苗字、こんばんは」


クシャクシャの黒髪と眼鏡は闇夜に溶けてよく見えない、でも笑っているのは分かった。その隣で涼しげな薄灰色の瞳が私を捉え、友人と同じ黒髪は窓からの月夜に輝いて見えた。

彼等が誰かと問うのは、ホグワーツの校長が誰なのかと聞くのと同じ程に愚かな話で。



かの有名な悪戯仕掛け人、ポッターとブラック。



二人を視界に映した時、息を呑み同時に激しく後悔した。彼らに見つかれば最早口止めなど不可能に近いことを私は知っていたからだ。
考えてみれば今までバレていなかったことが奇跡に近いのではないかと思った。






そこからは覚えていない。

気付けば女子寮の自分のベッドの上に居た。息が荒い、途中で呼び止められた気もするが、あの二人から、あの薄灰色の瞳から逃げて来てしまったようだった。






20101028 杏里







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