もう何も知りたくない
「最近、可笑しくねぇ?」
『……え?何が?』
「なんかボーッとしてんじゃん。何かあった?」
珍しくマイキーが学校に来て、その帰り道をふたりで歩いていると、両手を頭の後ろで組んだマイキーが前を見ながらそう言った。
「なんか元気無い」
『そんな事無いけど…、夏バテかな』
「夏バテって…、まだ6月だぞ」
『暑くなってきたから』
そう言って私が笑うとマイキーは足を止めて両手で私の頬を柔らかく包み込んだ。
「名前がどうしても話したくねぇって言うならオレは聞かない。けど、話したくないならオレは聞きたい」
『……話したくないのに?』
「オレは名前の全部を知っておきてーの」
マイキーはそう言うと、私の首裏に腕を回して抱きしめた。暑いって言ってるのに。でも、今はそれくらいがちょうど良かった。
『マイキー、ここ道の真ん中…』
「誰も見てねぇよ」
『…本当に何でもないよ』
「何でもないなら抱きしめてもいいじゃん」
『………マイキー、』
思ったよりも震えた声が出て、少し恥ずかしくなった。けどマイキーは腕の力を強めて私の頭を撫でた。こういう所はお兄ちゃんだと思う。
「帰るなら送る。帰りたくねぇならこのまま歩いてもいいし、バイクでどっか行ってもいいよ」
『……バイク、乗りたいかも』
「うん。じゃあオレん家に取りに行こ」
私の手を引いて歩くマイキーの手を握り返すと、その分マイキーも握り返してくれた。
「ほい、ヘルメット」
『……今日は、ヘルメットしたくない』
バイクに跨っているマイキーの後ろに乗って頬をマイキーの背中に当てると、じんわりと暖かくて何故か涙が出そうになった。情緒不安定なのかな。
「だーめ。名前はちゃんとヘルメットして」
『…自分はしないくせに』
「万が一にも無ぇけど、名前には怪我して欲しく無ぇの。オレの可愛い男心を汲み取ってよ」
マイキーは体を捻って私にヘルメットを被せると満足気に笑った。これじゃあどっちが年上か分からない。自己嫌悪に陥った時、バイクがゆっくりと走り出した。
『……………』
言ってしまおうか。本当は、私はこの世界の人間じゃないんだよ。この世界は漫画の世界なんだよ。
私は、ここに居ちゃ、いけないんだよ。
「名前」
名前を呼ばれて顔を上げると、信号で止まったマイキーが振り返って、お腹に回していた手に触れた。
「オレはどんな名前でも好きだよ。嫌いになれって言われても無理だし」
『………………』
「オレがこんなに大切にしてる子、名前だけなんだけど」
『………マイキー、』
「オレは名前を信じてるから」
それだけ言ってマイキーはまた走り出した。東卍の総長は読心術でも使えるのか。なんで私が欲しい言葉を言ってしまうの。そんなの、狡いじゃんか。
『……マイキー、』
「んー?」
『…ありがとう、』
バイクの音と風の音で聞こえてないかもしれないけど、マイキーは少しだけ笑ったような気がした。
∵∵
「とうちゃーく!」
『……ここ、』
「そう!クリスマスに名前を連れて来た、オレ達のキススポット!!」
意味の分からない事を言っているマイキーを他所に、遠くに見える東京の町を見下ろす。きっとあそこら辺が渋谷だ。マイキー達が仕切ってる場所。
『……あのさ、マイキー』
「なに?」
『…もし、私が当然居なくなったらどうする?』
街を見下ろしたままそう言うと、少しだけ風が吹いて髪を揺らした。マイキーは私の言葉を聞き終えるなり、すぐに口を開いた。
「探す。探し出して、そこから名前を連れ出す」
『……この世界に居なかったら?』
「それでも探し出す。ぜってぇに」
顔をマイキーに向けると、彼は目元を細めて柔らかく笑っていた。大人びた笑顔に唇から息が漏れて、次々と瞳からは涙が溢れる。
『…わ、たし、……マイキー、…わたし、』
「うん」
『……本当は、……ほ、んとうは、』
怖い。言ってしまったらマイキーは私から離れてしまうんじゃないか。私はマイキー達を騙してる。きっと、嫌われる。
『わ、たし、…わたしは、』
「名前」
下を向いてしまっていた私の頬に手が当てられて、優しく上を向かされる。マイキーは私と額を合わせると、時間をかけて唇を重ねた。
「言っただろ。オレはどんな名前でも好きだって」
『……マイキー、』
「もしも名前が居なくなってもオレが絶対に探し出してやる。いくら名前が逃げようと、逃がしてやらねぇ」
この人が幸せになるところを見届けたい。幸せになって欲しい。何としても、どうしても。独りになんてならないで。幸せになって。
『……本当は、私、…この世界の人間じゃないの』
「……」
『似た様な場所だけど、全然違う世界から来た。本当の私は中学生じゃなくて、成人してる。…なんでこの世界に来たのか、自分でも分からない…。気が付いたらここに居て、中学生になってた』
鼻声で話す私の言葉は、行ったり来たりしていて、多分半分も理解出来なかったと思う。それでもマイキーは時々静かに頷いて話を聞いていた。
『……だから、私はみんなを騙してる、』
「………そっか」
数時間前まで暑かった筈なのに、私の手足は氷のように冷たくて、血が通った感覚がしなかった。服の袖で頬を流れる涙を拭うと、マイキーがいつもの様に、ゆったりと口を開いた。
「でも、名前は名前なわけだろ?」
『…え、』
「騙そうと思って来たわけじゃねぇし、騙したくて騙してるわけじゃねぇんだろ?」
『そう、だけど…、……こんな話、信じるの?』
「え?なに。嘘なの?」
『嘘じゃ、無い…、』
「なら、オレは名前の言葉を信じる」
ペチンと小さな音がしてマイキーの手が私の頬を包んだ。マイキーの手の温度が移って、自分の体が冷えている事に気が付いた。
「話したくても話せなかったんだろ。なら仕方ねぇよ」
『……でも、』
「この話、オレ以外にもした?」
『ううん…、マイキーにだけ、』
「そっか!」
子供のように笑ったマイキーは、私の両手を取ると自分の体温を移すように、私の手を包み込んだ。
「オレと名前だけの秘密だな」
『………なんか、子供みたい』
「いいじゃん!オレら子供だし!」
『……私は、子供じゃないんだけど、』
「オレが知ってる名前は子供だから良いんだよ」
ケラケラと楽しげに、子供が秘密を共有して喜ぶ様に分かったマイキーにつられて笑うと、彼はまた少し笑った。
「よし!やっと笑ったな!」
『……ありがとう、マイキー』
「お礼は名前でいいよ!」
『よし、じゃあ帰ろうか』
巫山戯始めたマイキーを無視してバイクに跨ると、唇を尖らせたマイキーがブツブツと文句を言いながらエンジンをかけた。
「ちょっとくらい乗ってくれてもいいのになぁ…」
その姿が拗ねている子供のようで吹き出して笑うと、マイキーは眉を寄せて振り返り、私の頬を摘んだ。でもその手が優しいから、余計に笑ってしまった。