泣いたことが分かるよ
『逃げたって、何の話?』
「今日居なかっただろ。隣に」
『……朝の話してるの?』
「他に何があるんだよ」
マイキーが言ってる、逃げたって言うのは朝起きた時に一緒に居てくれなかった事を言っているらしい。だってあの行為は同意では無かったし、学校もあるんだから仕方が無い。でも今のマイキーの雰囲気ではそんな事では許してくれなさそうだ。
『……話はちゃんと後でするから、今は逃げよう』
私の手を掴んでいるマイキーの手を引いても動こうとせず、据わった瞳で私を見続けた。本当にこのままじゃ警察が来てしまう。
『マイキー、』
「オマエは何を見てんだよ」
『……は?』
「オレを見るフリをして全く見てねぇじゃんか」
『見てるよ、見てるじゃん今だって、』
「違ぇよ。オマエは何も見てねぇよ」
私はちゃんとマイキーを見てる。今だって視線が交わっているのに。マイキーの言いたいことが全然分からない。今にもサイレンが聞こえてくるんじゃないかと視線だけで辺りを見回す。
「ずっとそうだ。周りから距離取って、誰の事も見てねぇ。なのに人の中にはズカズカと足を踏み入れる」
『ま、マイキー、警察来ちゃうって…、』
「……オレを見ろ」
顎を掴まれて、マイキーと視線が合わさる。またその言葉だ。私はマイキーを見ているのに。
「ちゃんとオレを見ろ」
『だ、から、見てるってば、』
「……オマエはオレを何だと思ってんだよ」
何だと思ってるってなに。マイキーはマイキーだし、暴走族で、不良で、強くて、でもオムライスの旗にテンションが上がるような子供で、我儘で、横暴で、でも憎めない、数年前に私が読んでいた漫画の登場人物で、
『……あ、』
マイキーの言いたいことがやっと分かった。これだけ一緒に居たのに、私はまだみんなのことを漫画の中のキャラクターとしてしか見てなかった。
『…マイキー、』
右手を伸ばしてマイキーの左胸に当てると、当たり前だけど、彼の心臓は動いていた。…そうだ、当たり前なんだ。
『……ごめんね、マイキー』
右手をそのままに額をマイキーの胸元に当てる。そりゃマイキーも怒るよ。私はずっと、彼らの事を漫画の登場人物としてしか見れてなかったんだ。私を友達だと思ってくれて居た優しい人達なのに。
『……ありがとう、マイキー』
「………」
マイキーが何かを言おうとして息を吸った瞬間、遠くからサイレンの音がして慌てて顔を上げる。ドラケンは三ツ谷君のバイクに跨り、私達に目配せすると走り去って行った。
『マイキー、逃げないと、』
「…分かってる」
マイキーに手首を引かれて、サイレンの音とは反対に走り出す。今マイキーが見つかったら完全に逮捕される。
『ごめっ、マイキーっ、もうっ、限界ッ、』
数十分走った頃に私の体力は限界を迎えた。機嫌が悪いマイキーも流石に細い路地裏に入り、足を止めてくれた。
『はぁっ、ッ、はぁ、』
立ち止まっても私の手を離さないマイキーに、息を整えて顔を上げる。
『…逃げないから、離して』
「嫌だ」
即答をして私を睨むマイキーの瞳をちゃんと真っ直ぐに見つめ返す。マイキーはマイキーだ。私の友達のマイキー。登場人物でも何でもない、マイキー。
『……私、ずっとはマイキーと一緒に居られない』
「………は?」
『いつか突然マイキーの前から、みんなの前から姿を消すんだと思う。それが明日なのか今なのか、それとも数年後なのか、分からない』
マイキーも最初は私が巫山戯始めたと思ったのか眉を寄せたが、表情を変えない私を見て更に眉を寄せた。
「…オレが逃がすと思ってんの」
『逃がす、逃がさないの話じゃないんだよ。どう頑張っても、…もしマイキーが私を監禁したとしても、変えられない事実だよ』
「何だよそれ、」
本当に言ってしまっていいのか。言ったらすぐにでも私の体は消えてしまうんじゃないのか。そんな不安が頭を占める。
『…けど、突然消える事を私はしたくないから。だから、マイキーにはちゃんと話しておきたい』
「…………」
『信じられないような話だろうけど私は、』
「どうでもいい」
『……え?』
「そんなことどうでもいい。オレの前から消える事は許さねぇ」
ハッキリとそう言ったマイキーに私は思考が止まった。こいつ、話聞いてない。横暴だとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。
「手足を切ってでも逃がさない。名前が壊れても、オマエはオレの物だ」
『……いやいやいや!聞いてた!?話!どう頑張っても留まることは出来ないんだって!』
「知らねぇよ。オレが居ろって言ってんだから居ろ」
『だから!それが無理だって言ってんの!そもそも!何でマイキーは私に拘るわけ!?』
私の質問にマイキーは少しだけ首を傾げ、何言ってんだこいつ、みたいな顔で私を睨んで口を開いた。
「は?そんなの名前が好きだからに決まってんだろ」
『………………無い無い無い、マイキーが私を好きだなんて、そんな訳…、いやまぁ、私だってマイキーの事は好きだよ?友達だし…、』
「オレが言ってんのは女として」
視線を右往左往させながら冷や汗が止まらない自分に驚く。だってマイキーだよ?喧嘩とバイクと仲間達の事しか考えてないマイキーだよ?無い無い無い。
『マイキー、それは恋じゃなくて、ただの執着心だよ。面白い玩具を手離したくないっていう』
「違ぇよ。名前だって知ってんだろ。オレの性格。興味無ぇ奴にオレが構うと思ってんの?」
『だからそれは友達として私の事を気に入ってくれてるだけで、』
「ならオマエはオレはケンチンや場地を抱くと思ってんの?」
『ドラケンと場地君は男の子だし…』
視線を逸らした私の手首を軽く引いて視線を合わせるマイキーの瞳は巫山戯ている様には見えなかった。
「オレは名前が好きだ。だから居なくなるんじゃねぇ」
『ち、がうって、それは異性の友達が私以外に居ないから…、』
「童貞じゃねぇし、女とヤった事だって何度かある。それぐらいの違い分かってる」
鞄からゴムが出てきた時点で何となく察しはついてたけどマイキー、童貞じゃなかった。私だって本当は処女じゃないけど。
『……ドラケンから、聞いた。…お兄さんの事』
「………」
『今のマイキーには支えてくれる人が必要なんだと思う。それで近くに居たのが、たまたま私だっただけだよ』
我ながら酷い事を言っていると思う。けど、ここで突き放さなければ。私はいつか消える。ずっとこの世界に居る訳にはいかない。なら、早くみんなから離れるべきだ。
「……なら、三ツ谷のバイクに乗ってる名前を見て苛立ったのは何でだよ」
『それも自分の物が取られた執着心だよ』
「…オマエが他の奴と笑い合ってるのを見て、それを壊してやりたいと思うのは何だよ」
『………マイキーは、寂しがり屋なんだね』
「は、」
私の手を掴んでいるマイキーの手に掴まれていない自分の手を重ねる。同年代と比べて低い背丈なのに、手はガッシリとしていて、所々に傷が見える。
『…マイキーは独りになるのが怖いんだよ。だから誰かを求めるんだよ。でもそれが普通だし、当たり前。それにマイキーには東卍のみんなが居るじゃん。やっぱり、私は必要無いよ』
「……東卍の奴らと、名前は別だろ。何で分かんねぇんだよ」
『マイキーが私に抱いてるのは、やっぱり執着心だよ。それは好きとは違う』
マイキーはグッと奥歯を噛み締めると、掴んでいる手首に力を込めた。痛いのに、マイキーの手が震えているから何も出来ない。
「……名前を抱いてる時、名前が他の奴に抱かれたのを想像して腹が立った」
『……』
「…名前がオレ以外の奴の隣に立っているのを想像して殺してやりたくなった」
『…マイキー、』
「名前がオレから離れるって言った時、どんな手を使ってでもオレの隣に縛り付けたくなった」
俯いて表情の見えないマイキーの声はどこが強い意志が感じられた。でもそれが怖かった。もしかしたらマイキーの感情は執着心や、恋愛感情なんかでは片付けられない何かがある様な気がして。
「…もし、名前がオレ以外の奴を選ぶなんて言ったら、オレは自分でも何をするか分からない」
『………』
「……オレは、オレが怖い」
これは本当に執着心だけなのだろうか。いくらマイキー達をちゃんと見ると言っても、私はこの世界には居られない。もし私がこの世界に留まったとして、漫画の話はどうなる。私のせいで変わってしまうんじゃないのか。そしたら、みんなは一体どうなってしまう。
『…マイキー、私は、……』
何を言えばいいのか分からない。いつか消える私が何を言えるのか。みんなを見捨てる薄情な私に何を言えるって言うんだ。
『……私は、マイキーと仲直りしたいよ』
「………」
『マイキーは自分が居なくなっても私は変わらないって言ったけど、私は悲しくて、多分、泣いちゃうと思う』
「……」
『昔から私は何かに熱中する事が苦手で、人間関係もそれなりでいいや、って思ってたし、今も思ってる。来る者拒まず、去るもの追わずって言うのかな…。仲良くしていた友達が離れて行っても、気にしなかった』
「…………」
『…でもマイキーが居なくなったら、私は悲しいし、嫌だよ。だから、マイキーと仲直りしたい』
自分でもよく分からない文章になってしまった。でもマイキーと仲直りしたいのは本当だ。喧嘩した覚えは無いけど、やっぱり前みたいに話したいし、笑い合いたい。
「……オレは名前の事、友達としてはもう見れない。名前が欲しい。オレだけのモノにしたい。それでもオマエはオレと一緒に居たいって思うの」
『もし、私がマイキーと恋人になったとしても、私がいつか居なくなる事には変わらない。私はマイキーを苦しませるし、悲しませるよ』
「………オレは、」
マイキーの手を離して、ゆっくりと両手を繋ぐと彼の手が小さく震えた。安心させたくて力を込めると、マイキーの肩から力が抜けた気がした。
『…ねぇ、マイキー』
「……なに」
『私達の関係に名前付けるの止めよう』
「………」
『私はマイキーの事が大切だし、特別だと思ってる。今はそれだけでいいんじゃないかな』
マイキーはどこが納得していない顔で眉を寄せ、唇を尖らせながらそっぽを向いてしまった。けど少しは機嫌が落ち着いたみたいで安心だ。
『またマイキーと一緒にどら焼き食べたり、たい焼き食べに行ったりしたいな』
「……………仕方ねぇな」
そっぽを向いていたマイキーはゆっくりとジト目で私を見て、いつものように明るく口を開いた。
「言っておくけど!オレは納得しねぇからな!」
『うん』
「けど、名前がどうしてもって言うから、仕方なく…、」
『うん。ありがとう、マイキー』
マイキーは不満気ながらも少しだけ笑ってくれた。いつか離れ離れになってしまう日が来ても、その日まではこの人の隣に居たいと願っている私の方が、マイキーより余っ程、我儘で子供で、強欲だ。