旅人のパレット





「面倒だから嫌だ」

『ですが、決まりですから…』




外は晴れているが空気が凍てつくように冷たくなった冬。どうやら御三家の集まりがあるらしく、俺は高専を休み、参加する事になった。けれど、坊は気分が乗らないのか、部屋の中でダラーって寝そべっていた。






『ほら坊、行きますよ』

「行かねぇ」





このままでは本当に時間が間に合わなくなってしまう。そもそも何故俺が呼ばれたのかも分かっていない。予想では坊のお守りかな、と勝手に思っている。もうすぐ俺も高専3年だ。将来の事を色々考えて参加しておくのも良いと思った。





『……悟』

「…………」

『俺も行くから、行こう』






寝そべっている悟に向かって右手を伸ばすと、意外にも坊は俺の手を握って立ち上がってくれた。流石の我儘な坊も時間が無いことを分かってくれた様だ。





「あれ?悟君や!」

「今日の晩飯、あれにしろよ。この間出した…、何だっけあの料理の名前」

『…あの、坊、』

「なんか、肉とよく分かんねぇの混ぜたやつ」





禪院家に着くなり、俺達の前には次期当主と名高い禪院直哉様が現れた。だというのに坊はガン無視だ。本当に鋼メンタル。





「悟君!」

「うっせぇな。誰だよ」

『禪院直哉様です!過去に何度もお会いしてますよ!』

「はぁ?俺が知らねぇっつったら知らねぇんだよ」





小指で耳を掻く坊に慌ててしゃがみ込んで説明する。直哉様の方へと体を向けて謝罪する為に軽く頭を下げる。





『申し訳ありません!坊も本当は分かってるんですよ!ただ恥ずかしさというか…、』

「いやマジで知らねぇんだよ」

『坊…!』





本当に黙っててくれと睨むも、坊はツーンとそっぽを向いてしまった。このままでは俺の首が飛びかねない。比喩じゃなく本当に。





「なんや自分。雑魚に話しかけとらんねん。大した術式も無いくせに偉そうにすんなや」







どうやらこの子もこの子でませている様だ。可愛らしい顔をしているのに残念な言葉遣い。まぁ、直哉様や坊に比べて雑魚で大した術式が無いのも本当だし、苛立ちも無い。






「………おい。誰のもんに偉そうな口聞いてんだよ」

『…坊?』

「つーか、誰が名前に話しかけていいっつった?」





子供らしい高いはずの坊の声から地を這う様な低い音を出た。俺はギョッと見やると、少し遠くで何かが壊れる音がして慌てて視線を向ける。





『直哉様ぁあぁぁあ!!』






直哉様が蹴り飛ばされていた。しかも襖に体を突っ込んだせいで、障子やら何やらが壊れた。俺は冷や汗を流しながら駆け寄り、反転術式をかける。






『坊ッ!何してるんですかッ!?』

「ソイツが悪いだろ」





傷が治った直哉様を横抱きにして抱えると、坊が目を見開いて声を張り上げた。





「はァ!?なんでそんな奴…!」

『坊が蹴ったせいで気を失ってます!医務室に連れて行きます』

「放っておけばいいだろ!!」







直哉様を抱えたまま坊の目の前に膝をついて顔を覗き込む。坊の顔は酷く歪んでいて、今にも怒りだしそうだった。





『俺が以前言った言葉覚えてますか』

「………」

『人を傷つけちゃ駄目です。ましてや直哉様は悪い事も何としてません』

「……………だろ、」

『坊…?』

「……もういい、」






坊はポツリと零すと、背を向けて去ってしまった。俺は呆然としながら、とにかく今は直哉様を運ばないと、と医務室を目指した。





∵∵





『坊、帰りましょう』





集会が終わり、坊に声をかけるが、坊は俺とは視線を合わせず部屋を出てしまった。後を追って歩いていても、坊は口を開かなかった。





『どうしました?体調悪いですか?』

「…………」






何も答えない坊に溜息が出そうになるのを慌てて飲み込む。坊は他の子供達に比べて、一般的な子供らしさは少ないと思う。それすらも子供らしいといえばそうなんだけど…。
けれど、産まれた環境が子供を子供にしてくれない。ある意味、地獄に無理矢理身を置かなければいけないんだ。





『……坊、』





優しく手首を掴んで地べたなんて気にせずに膝をつく。少し前まで膝をついて同じくらいの目線だった、とか、ちょっと前まであんなに小さかったのにな、なんて思いながら、柔らかく口を開く。






『坊と話せないのは寂しいです』

「…………」

『どうして直哉様を蹴ったのか、聞いてもいいですか?』

「………………アイツが、…名前の事、悪く言うから、」

『…え?』





不貞腐れたように口を開いた坊の言葉は思ってもみない言葉だった。頭が追いつかなかった俺はひとつひとつを噛み砕いて、ようやっと理解した。






『……俺の為に怒ってくれたんですね』

「………」

『ありがとうございます』






やり方は間違っていたけれど、坊は俺が悪く言われたから怒ったんだ。俺は坊の髪を撫でてもう一度頬を緩める。




『俺の為に怒ってくれて、ありがとう、悟』

「…………ん、」

『けど、蹴飛ばすのは無しな。あの子、禪院家次期当主だしさ』

「…分かった。次からはバレないようにやる」

『………そうじゃない』






どうして坊はこうも血気盛んなのか。男の子はこれくらいが丁度いいのか?





『今日は坊が話してたお肉にしましょうか』

「あのよく分かんねぇやつか!」





子供らしく瞳を輝かせた坊に自然と頬が緩み、立ち上がって膝を手のひらで叩く。
この地獄で坊はきっと、誰よりも強くなって、やがて独りになっていく。だから俺が世話係をやれる間くらいは、ただの子供で居て欲しい。
ただの凡人の俺が願うには、あまりにも強欲な願いだけれど、この人のこれから歩む道の一部になれたら、それで…。



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