夏は傷みやすい





『……私に許嫁、ですか?』

「そう。名前君も22歳だから、もうそろそろ結婚もいいんじゃないかなって」

『少し早い気がしますが…』

「そんな事ないわよ!男の子も女の子も若い内が花よ!?」

『あ、あはは…』





22歳の夏、俺は実家に帰って来ていた。特に意味も無いが、何となく帰るか、なんてそんな軽い気持ちで帰って来たらこれだ。俺は結婚願望が少ない方だと思う。それに子供もあまり望んではいない。
きっと自分の根本にある、呪術師という世界で生きて欲しくない、という表れだと思う。





「それに当主様達もお孫さんの顔、見たいと思うわぁ」






呪術界に人が必要なのは分かってる。それでも自分の大切な人に身を置いて欲しくないという自己中心的な我儘。
この女中だって、間違った事は言っていない。けれど、俺はどうしても、呪術界という地獄が嫌なんだ。




∵∵∵





『…結婚、……結婚ねぇ…』






その日の夜、俺は布団に寝転がり天井を見ながら考えた。自分が女性と結婚して子供を産んで、五条家に仕える未来。それも結局は呪術師に関わる仕事だ。

そして五条家は良くも悪くも御三家のひとつ。恨みを買う事も少なくない。

なんて色々思ったが、単純に結婚に興味が無く、子供が別段好きなわけでも、欲しいと思っている訳でもない。






『やっぱ、向いてねぇよなぁ…』





仰向けになっていた体を横に向け、眠る体制を取ると、廊下からペタリと裸足で歩く音がして体を起こす。
その足音は俺の部屋の前で止まり、動かなくなった。文字にすれば恐怖だが、相手はわかってる。





『坊?どうかしました?』

「……………」







声をかけても動こうとしない坊を変に思い、立ち上がって襖を開ける。






『…………坊?』







坊は少し虚ろな瞳で俺を見ると、数十秒もかけ、ゆっくりと俺を抱きしめた。





『……とりあえず、部屋に入りましょう』






それでも動こうとしない坊に、少しだけ目を細めて、いつもよりも少し頼りない背中に腕を回す。






『……最近の夜は、少し肌寒いですね』

「………」

『夏も終わりかもしれません』

「…………」

『秋になったら紅葉でも見に行きましょうか。きっと綺麗ですよ』

「………………」

『冬になったら焼き芋でも焼いて…、炬燵に入ってアイスでも食べましょうか。きっと楽しいですよ』






小さく笑いながらそう言うと、俺の背中に回った坊の腕が強まった。それに応えるように俺も腕の力を込めると、坊の口から言葉が零れた。






「………何も聞かねぇんだな」

『……坊は聞いて欲しいことは言いますから。言わないって事は聞いて欲しくないんですよね?』

「………」

『良いですよ、言わなくて。誰だって言いたくないことはあります。無理矢理聞き出さなくたって、俺は俺の出来ることをするだけですから』





俺よりも高くなった背に、俺よりも大きくなった背中に、どれだけの重さが、苦しみがのしかかっているのだろう。きっと俺なんかじゃすぐに潰れてしまうような重さだ。





『だから俺は、坊の荷物を一時でも一緒に背終えればいいよ。それだけで、俺は幸せだから』






坊は俺の肩に顔を埋めると、カシャンと何かが落ちる音がした。きっと坊がつけていたサングラスだ。今度新しいのを買ってあげよう、なんて思いながら坊の言葉に耳を傾ける。





「……俺、…約束破りそうになった」

『…うん』

「死にそうにもなったし、……一般人を殺そうとも思った」

『…………うん、』






周りは坊を天才と呼ぶ。俺だってそう思う。けど、悟はまだ17歳の男の子で、まだ子供なんだ。産まれた環境が少し違うだけで、ただの子供なんだ。





『…いいよ』

「………」

『俺は悟の味方だ。悟が俺に言ってくれるってことは、ちゃんと俺との約束を覚えてたって事だろ?それに、そう思ってしまう何かがあったんだろ?』

「…………」

『俺は、悟を肯定する。俺は何があっても悟の味方だよ』





悟の髪を撫でながらゆっくりとそう言うと、悟は顔を上げて俺の目を見た。少し疲れた顔をしている悟の頬を撫でると、悟は目を細めて顔を寄せた。





「……名前、」







悟の手が伸びかけの俺の髪を耳にかけて優しく頬を包むと、そのまま唇が重なった。外では耳が痛くなる程鈴虫が鳴いていたが、この時だけ世界が無音だった。



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