見ず知らずのひかり
「最近機嫌が良いようですが…、」
「あ、分かる〜?」
任務に向かう中、伊地知に珍しく声をかけられた。コイツ何故か僕に怯えてるから話しかけてくることはあんまり無いんだよな。
「最近僕ね、猫飼い始めたの」
「猫?」
「そう。ずっと探してた猫でやっと手に入ったんだ」
「へぇ…」
「でも気性は荒いし、愛想は無いし、僕に爪立てるの」
「………それは、命知らずですね」
「そこが可愛いんだけどさぁ!見てよ!昨日も引っ掻かれちゃって!」
「運転中なので見るのはちょっと…」
「ちぇっ」
長袖を少し捲って蚯蚓脹れに近い傷を見る。あまりの快楽にあの子は僕に爪を立てる。後半なんてほぼ意識無いしね。そこがなんとも言えない可愛さだ。背中にも引っ掻き傷がついている。ピリつく度ににやけそうになる。
「ふふ〜」
「嬉しそうで何よりです」
あー、早く帰りたい。早くあの子に触れて癒されたい。あの細く小さな体に僕のを埋め込んで快楽に溺れさせたい。必死に自我を保とうと苦しげに寄せられる眉がなんとも興奮する。けれどすぐにグズグズになって僕に甘える姿が甘美だ。
「……伊地知もっと飛ばして」
「えぇ…!?」
「早く可愛い猫ちゃんに会いに行かないといけないから」
耳に付けていたイヤホンから聞こえる愛しい叫び声。スマホを取り出して何度か操作すると画面に現れる扉にしがみつく愛しい背中。なんとも頼りない背中が愛おしい。けれど、
「それは良くないなぁ…」
「えぇ…!?」
伊地知が小さく悲鳴をあげたけど無視だ。それよりも今は可愛い僕の反抗期猫が問題だ。自分以外に助けを求めるなんて。そんなの許せるわけが無い。どんな時だって求めるのは僕だけでいい。傷つけるもの、救うのも、僕だけだ。
∵∵
「何かを欲しいものある?」
『……あるって言ってたら、どうするんですか?』
「え?普通に買い物行こうよ」
前にお金はあると言っていたから何でも買ってきてくれそうだ。深く溜息を吐きながら隠すこと無く棘のある言い方を返した。五条さんは私の隣に腰を下ろしてもう一度言った。
「必要なものがあるなら買い物行こう」
『はいはい。じゃあ適当に日用品を、…え?』
「だから買い物行こうよ」
『…その言い方だと、まるで、私も行っていい、みたいな、』
「うん。だって名前の買い物だからね」
『い、行っていいんですか?私も?』
「行きたくないなら僕だけで買ってくるけど」
『行きます!行かせてください!』
小学生の様に右手を上げて足早に答えた。約1ヶ月振りの外だ。この機を逃す訳にはいかない。
「でも僕から離れちゃ駄目だよ」
『分かりました!』
外に出られるならそれも甘んじて受け入れよう。仕方ない。もういい加減、私は外に出たい。いくらカーテンを開けられると言っても、それとこれとは別だ。
「あとこれ」
『……スマホ?』
「うん。ネットは使えるよ」
操作すると、インターネットは問題なく使えた。けれど電話やメッセージを送れるものは無かった。
「それ僕には連絡できるようになってるから」
『……無駄な機能ですね』
「酷いっ!」
ネットと一つだけ入っていたアプリをタップすると、確かに五条さんの連絡先だけが入っていた。まぁ、もう何でもいい。とにかく暇さえ潰せれば。
「はい、それじゃあ買い物行くよ〜」
『はい!』
立ち上がって上着を羽織る。今着ているものは五条さんの服だけど、いい感じに大きいからワンピースとして着れる。どうせ外に出れる機会なんて無いのだ。なんだっていい。でも、こうして五条さんと一緒、という縛りがあっても外に出られのなら洋服も欲しい。
『洋服買ってもいいですか?』
「いいよ」
心の中でガッツポーズをして靴に足を通す。この靴も五条さんが買って来てくれたものだ。ここ最近まで靴すらなかった。どうせ玄関の扉は開かないのだから靴があってもいいものだ。まぁ、出られないのだからあっても仕方ないのだけれど。
『そ、外だァ!!』
久しぶりに感じる爽やかな風と太陽に恥ずかしげもなく両手を広げてしまった。久しぶりの外。久しぶりの風。久しぶりの地面。
「さてと。どこから行こうか」
『ここってどこら辺なんですか?』
「えー。内緒」
『…………』
目隠しではなくサングラスをした五条さんは可愛らしく人差し指を唇に当てて首を傾げる。それを無視して歩き出すと、五条さんは私の後に続いた。
「名前はどこに行きたい?」
『場所によります。東京なら普通に渋谷とか、原宿とか…、』
「ならとりあえず渋谷に行こうか」
そう言って五条さんは大きな道路に出ると、タクシーを停めて乗り込んだ。そこから1時間弱くらい経って、渋谷に辿り着いた。車でこれだけの時間がかかるという事は逃げるのは難しそうだ。
『懐かしや、渋谷』
五条さんに構わず自分が行きたい場所を好きな様に回った。その間、五条さんは一切文句は言わないし、何なら荷物も持ってくれた。
『…あ、薬局に行きたいので待っててください』
「え。なんで?」
『女性には見られたくないものが一つや二つあるんです』
「やだ。僕も行く」
『逃げませんから。っていうか逃げられません』
「逃げる逃げないじゃなくて、僕が一緒に居たいの」
月に一度の女性の日用品を買いたいのに五条さんは頑なに自分もついて行くと聞かない。次第に苛立って眉を寄せる。すると五条さんは悲しそうに、少し怯えたように目尻を下げた。シュンとした表情に何故か私が悪い気分になった。
「……ついて行くだけ。何を買ったかは見ないから」
『………嫌です』
「………名前、」
五条さんは手を伸ばして私の小指だけを弱く掴むと、今にも零れそうなほど涙を浮かべた。その事にギョッとすると、彼は小さく消えてしまいそうな声で言った。
「……名前まで居なくならないで、」
『…………』
まるで今までに誰かを亡くした様な言い方に自分の良心の乗った天秤が傾いてしまった。小さく溜息を吐いて、半ば諦めて小さく頷く。
『分かりました…。ついてきても良いですけど、何を買ったかは見ないでください』
「うん!分かった!」
子供のようにパァっと花が見えそうな程嬉しそうに笑った五条さんに何とも言えない気分になった。五条さんは私に財布ごと手渡すとちょこちょこと私の後をついてきた。
『……うん、これで全部かな』
「買い物終わり?」
『はい。ありがとうございました』
自分を監禁している相手にお礼を言うのも可笑しな話だが、お金を払って貰った事もそうだし、自分では買えない金額の化粧品、美容グッズを買ってしまったのも事実だった。
「お礼は今日の夜でいいよ!」
『晩ご飯は何にしましょうか』
「ねぇ!無視しないで!」
今日分かった事だけど、五条さんは私が逃げようとしなければ普通にいい人だ。ムカつくこともあるけど、こうして冗談を受け流して終わる。
「ねぇねぇ名前」
『はい?』
「手、繋いでもいい?」
『……ご勝手にどうぞ』
「やった!」
こうして求められる事も、そんなに悪くないと思ってしまっている自分が居ることにも、本当は少しだけ気付いていた。
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