白と黒のジオラマ 下



「…苗字さん、やはり五条さんに、」

『駄目です。五条先生も忙しいでしょうから』

「でも…!」

『……大丈夫、』





自分の事のように怒ってくれる伊地知さんに苦笑を浮かべて、車から降りる。





『……ありがとう、伊地知さん』

「……お礼なんて、止めてください」





グッと唇を噛む彼に、酷なことだと分かりながら遺言を頼む。





『伊地知さん、お願いがあるんですけど』

「…何でしょう」

『真希達に…、私の部屋に入る様に言ってください』

「………分かりました」





部屋を出る前に、私は机の上に遺言書を残しておいた。きっと真希は怒るだろうな。パンダはそんな真希を宥めて、棘はきっと、静かに涙を流してくれる。みんな、優しい人達だから。





『……よろしくね、伊地知さん』

「はい。必ず、お伝えします」

『…うん』





私が笑うと、伊地知さんは帳を下ろした。辺りが真っ暗になって、伊地知さんが帳を出る前に、小さく言った。





「……ーーーーー」





その言葉に、勝手に笑みが零れた。本当に優しい人だな。伊地知さんが謝る必要なんて無いのに。





『………』





帳が下りた途端、四方八方から感じる呪力に肩の力が抜ける。やっぱり、三級の私に、一級の任務なんて、無理だ。

前に読んだ漫画であるキャラクターが言っていた。


この世の不利益は全て当人の能力不足


全くその通りだ。私が弱いからこんな事になった。私がもっと強ければ、こんな事にはならなかった。私がもっと、




『……けど、仕方ないじゃん』





私は弱いから。ずっと守られて今まで生きてきた。百鬼夜行の時だって、何の役にも立たず、真希に、パンダに、棘に、…憂太くんに助けられた。私はただの足でまとい。なのにみんなはそんな私に優しくしてくれた。役立たずの落ちこぼれの私を仲間だと言ってくれた。




『……みんなに、会いたいなぁ』





そういえば伏黒君を含む1年生には何も遺言残してないや。でも粒揃いな1年生だ。きっと私なんかを気にせずに強くなってくれる。なんの心配も要らない。




『………大好きだよ、憂太くん』





自分で言うのも少し恥ずかしいけど、私だって里香ちゃんに負けないくらい、君の事が大好きで、愛してるよ。





『……どうか、笑顔で、』




呪術師に悔いの無い死など存在しない。そうだとしても、彼は、彼だけでも、どうか笑顔で、

そう願って顔を上げると、私の目の前には、大きな口が迫っていた。




∵∵∵





『…っ、…はぁっ、…はっ、』




右腕を抑えながら木に凭れかかって座り込む。数が多すぎる。しかもその殆どが二級以上の呪い。火事場の馬鹿力だろうか。ここまで祓えたのが奇跡だ。




『はぁっ、…ハッ、』




血を流しすぎて思考が上手く回らない。感覚が無い。痛いのかもよく分からない。制服もボロボロだし、顔なんて殆ど血で覆われてる。左目は血で潰れたし、もう、見えない。




『……術師に悔いの無い死は無い、か…』





本当にその通りだ。悔いなんて死ぬほどある。こんな事ならもっと好き勝手にやれば良かった。真希の大切に取っておいた高いケーキを食べたり、パンダの毛並みをモフモフしたり、棘の顔に落書きしたり、憂太くんにもっと好きだって言っておけばよかった。





『……クソ〜…、』





泣きそうだ。みんなに会いたい。何が遺言書だ。上層部の連中全員、呪ってやるからな。悲惨な死しか遂げられないように呪うからな。





『………死にたくない、なぁ、』





とは言っても体に力は入らないし、視界は段々と狭くなって、暗くなる。





「アサゴハン、まだですかァァァァァァ!!」






背を預けた木がベギッと潰される音がして、すぐ後ろで呪霊の声が響いた。死ぬ間際に聞くのがこんな声か。叶うなら憂太くんの優しくて温かい声を聞いてから死にたかった。




『………弱くて、ごめんね、…愛してる』





瞼を閉じると、一筋の涙が伝った。彼の姿を思い出すと勝手に口角が上がった。ほんの少しの間でも、彼の特別になれたことが嬉しかった。すると突然浮遊感に襲われて、大好きな香りに包まれた。





『…………憂太、くん、』

「……言っておくけど、僕怒ってるから」




私を抱きかかえて刀を構える憂太くんはそう言って、視線は交わらなかった。彼の表情は苦しそうで、けれどもやっぱり怒っていた。




『ゆ、憂太、くん、』

「お説教は後で」




呪霊から少し離れて木の麓に私を下ろす腕は、酷く優しかった。憂太くんは私の頭を一度だけ撫でると、スっと呪霊に視線を移した。




「少し待ってて。すぐに終わらせる」




それからは早かった。一級呪霊と特級呪術師なのだから当たり前だけど。憂太くんは呪霊を祓うと、私の体に触れて反転術式をかけてくれた。




『あ、ありが、』

「名前ちゃん」

『え、あ、なに?』

「僕、怒ってる」




憂太くんの視線は私のお腹にある傷を見ていた。怒っているのは、分かってる。雰囲気がいつもと違うから。でも憂太くんが怒るのも当たり前だ。突然、勝手に別れを告げたのだ。その後は着信拒否、ブロック。私だって怒る。




『…ごめん、なさい、』

「それは何に対しての謝罪?」

『…え、…自分勝手に、別れるって、言ったこと』

「僕が怒ってるのはその事じゃない。…いや、その事もそうだけど」





反転術式をかけてもらった事と戦った疲れが相まって眠気が一気に襲ってきた。頭が働かない中、必死に彼が怒っている理由を考える。




『えっと、…、』

「……どうして、」

『…え?』

「どうして、こんな無茶したの?」

『…だ、だって、任務だし、』

「どう考えても名前ちゃんの等級と今回の任務は差がある」

『……けど、』

「事前に貰った資料で可笑しいと思わなかった?」





責める口調で話す憂太くんに、段々と心が沈む。私だって分かってた。でも、任務から逃げる事なんてできない。





「……分かってて、ここに来たんでしょ?」

『…………』

「…どうして、一言も、何も言ってくれないの?そんなに僕は頼りない?」

『ちっ、違うっ…!……違う、よ、』






グッと手のひらを握ると、さっきまでの怪我は無くなっていたけど、破れた制服は戻りはしない。憂太くんなら一瞬で祓える呪霊も、私には手も足も出ない。私が、弱いから。





『……ごめんね、』

「………何が?」

『憂太くんの、足を引っ張って、』

「……名前ちゃん、」

『やっぱり、私には無理なのかな…、呪術師として生きていくの、』





眠さのせいか、勝手に零れた言葉。ずっと心の奥に仕舞っていた、本音。




「…正直、僕は名前ちゃんに呪術師を辞めて欲しい」

『…………』




彼の言葉にグッと唇を噛む。私には無理だったんだ。同期が成長する中、私だけが進めない。成長してない。涙が零れそうになった時、憂太くんの手が私の両手を包んだ。





「でもそれは、名前ちゃんが弱いからとか、そんな事じゃないんだ」

『……なら、どうして、』

「だって、好きな子には怪我なんてして欲しくないし、危険な目にあって欲しくない」

『だから、それは私が弱いから、』

「違う」





ハッキリとした声に思わず顔を上げると、憂太くんの瞳が真っ直ぐ私を見つめていた。





「弱くても頑張ってる名前ちゃんが好き。強くなろうって、みんなの為に頑張ってる名前ちゃんが好きだよ」

『……ゆ、うたく、』

「…でも、その反面、怖いんだ、」





憂太くんの手は少しだけ震えていた。黒翡翠の様な瞳の奥には、恐怖が浮かんでいた。





「……いつか、失うんじゃないかって、…怖い、」

『…憂太、くん、』

「勿論、守る。……けど、」





呪術師には時に過酷な選択が迫られる。一般人と術師。どちらを救うべきか、と問われたら、答えは前者だ。きっと憂太くんが言ってるのは、その事だ。





『……いいよ』

「………」

『私は、強くて、優しくて、かっこいい憂太くんに惚れたんだもん』

「………僕は、…それじゃ、嫌だよ、」





そう言って憂太くんは俯いてしまった。誰よりも優しい人。誰よりも、強くてかっこいい人。





『ありがとう、憂太くん、』

「なんで、お礼なんか、」

『助けてもらったんだもん。当たり前だよ』

「………名前ちゃん、」






憂太くんは私の頬を包むと、グッと眉を寄せて唇を開いた。でも彼が音を紡ぐ前に、言葉を吐き出す。





『ごめんね、』

「っ、」

『私は、いつか死ぬって分かってても呪術師でいたい。みんなと一緒に胸を張っていたい。…守られるだけじゃ、嫌だよ』

「………」

『弱いくせに一丁前な事言ってごめんなさい。…でも、私は憂太くんに守られるお姫様じゃなくて、一緒に戦える術師になりたい』

「………君の、強くて、頑張り屋さんな所が好き、」

『…うん、』

「でも、そこが少し、嫌い…」

『……………うん、…ごめんね、』






憂太くんは奥歯を噛んで苦しそうに眉を寄せた。私がヘラリと苦笑を浮かべると、憂太くんは目を見開いて、ゆっくりと瞼を閉じると、息を吐き出した。





「名前ちゃんって、頑固」

『憂太くんも頑固でしょ』

「……呪術師辞めてくれないの?」

『うん。辞めない』

「……即答かぁ」





憂太くんは瞼を持ち上げると、少し呆れた様に、でも嬉しそうに笑った。





「……やっぱり、好きだなぁ」





その笑みに安心して、意識が遠のくのが分かった。意識を失う直前、唇に温かいものが触れた気がした。





「……おやすみ。続きのお説教はまた今度ね」





優しい声に私は小さく笑って意識を手放した。





∵∵∵





「…………」





名前ちゃんを抱えたまま、上層部が集まっているであろう集会場所に足を踏み入れる。僕の姿を確認した途端に辺りはザワザワと騒がしくなった。





「……今回の事は、僕や五条先生への嫌がらせなんでしょうね」






自分で言うのもなんだけど、僕は問題児らしい。それに五条先生も上層部からは嫌われているようだし。家を出たとは言っても真希さんは禪院家で、パンダくんは突然変異呪骸、狗巻君だって狗巻家の末裔だ。手っ取り早く一般家庭出の名前ちゃんを殺して嫌がらせをしたかっただけだろう。




「五条先生の出張任務もわざとですか」






何も答えない上層部に腸が煮えくり返りそうになった。とういうか、既に煮えくり返っている。



「今回の采配ミスは、どういうことですか」



思ったよりも呪いの乗った言葉にやり過ぎたか、と思ったけど、それくらい僕は怒ってる。

呪術師に迫られる天秤なんて知らない。なら最初から天秤なんて壊せばいい。選択が迫られる前にどちらも助ければいい。どちらも救えるだけの力があればいい。






「僕は任務に戻ります。今回のような“采配ミス”は無いようにお願いします。もしまたこんな間違いをしたら、……潰しますよ」





僕は、僕が生きていていいと言ってくれるみんなが大切だ。こんな僕を受け入れてくれたみんなが大好きだ。





「…またこの人に何かすれば、僕がそちら側につくことをお忘れなく」




僕をかっこいいと言ってくれた彼女を愛してる。だから僕は、その人を救えるのなら、誰が相手でも容赦はしない。みんなが居てくれれば、この人が居てくれればそこが僕の居場所だから。

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