『………また来たのか禪院の小童』
「だから俺は禪院じゃねぇ」
『五条の小童の言うことを信じているのか知らんが私に食べ物は必要無い』
「食えない事は無いんだろ」
『……甲斐甲斐しく老婆の面倒を見るのならこの拘束を外して欲しいものだがな』
「それは無理だ」
この伏黒と名乗った餓鬼は何が楽しいのか私が居るこの地下に何度も通っていた。
『知っているか?』
「何がだよ」
『吸血鬼には異性を虜にする香りがあるんだ。あまりここに通っていると骨抜きにされてしまうぞ』
「へぇ」
『……………』
つまらん反応をする餓鬼に眉を上げて目を細める。餓鬼は嫌いだ。
「オマエこの前は後ろで拘束されてなかったか?」
『後ろで拘束されているなら腕に足を通せば前に移動できるだろう』
「できるか…?……………まぁ、出来ない事も…、…いや無理だろ」
頭を捻り考えている禪院の小童は私の前にコトリと湯気立つお椀のような物を置いた。
『だから不要だと言っている』
「なら俺が食う」
『…………勝手にしろ』
本当に食べ始めた餓鬼は視線だけをキョロキョロと動かし、部屋の中を眺めていた。
「気味悪いなこの部屋」
『なら出て行ったらどうだ』
「ここ電波あるんだな」
これが餓鬼の嫌いなところだ。話を聞かん。酷く腹立たしい。この拘束具さえ無ければすぐにでも殺してやるのに。五条の小僧が憎いたら無い。
「そういえばアンタって特級なんだろ」
『特級…?……あぁ、そんなくだらない等級もあったな』
「五条先生の方が強かったのか」
『巫山戯るな。私があの程度の小僧に後れを取るわけが無いだろう』
「なら何で地下に居るんだ」
『…ペラペラと五月蝿い餓鬼だな。答えるのが面倒だ』
体を起こしている事も面倒になり横にバタリと倒れる。ただボーッとしていると目の前に手のひらが翳されて揺らされる。
「おい聞いてるか」
『………これだから餓鬼は嫌いなんだ』
「餓鬼じゃねぇ」
機嫌を害したのか小童は眉を寄せ私を睨んだ。けれどどうでもいい。退屈で欠伸が出る。
「呪霊って眠くなるのか」
『……オマエは五月蝿いな。目障りだ』
「五条先生の時はもう少し愛想無かったか?」
『あの小僧は面白いからな。呪力を見ているだけで笑える』
五条家の餓鬼にしては中々面白い。がアイツの態度は鼻につく。白髪坊主の首を取った暁には宝石の様な瞳を部屋に飾っておいてやろう。
『クヒッ…』
「笑い方気持ち悪いなオマエ」
『ならさっさと帰ればいい』
「俺は面白くないのか」
『禪院の餓鬼なんて大体同じ様な者だ。血や術式に縛られた醜い穢れた血だ』
五条・加茂・禪院。御三家の中でも一番最悪なのが禪院だ。ここ数年の事は知らんが大して変わってもいないのだろうな。
『小童、いつまで居座るつもりだ』
「駄目なのか」
『ここは餓鬼の来る場所では無い。それに私も不快だ。消えろ』
「まだ来て数分だろ」
『時間の問題では無い。私の気分の問題だ。何故オマエは居たがる』
「…………暗闇は、心地良いから」
そう言って小童は蝋燭で出来た淡い自分の影をなぞる。この小童がどんな道を歩んできたのかなんて知らん。関係無い。
『なら箪笥の中にでも膝を抱えて籠っていろ。私を不快にさせるな』
「……分かった」
小童は立ち上がると部屋を出て行った。慣れた静寂が戻って来て瞼を閉じる。眠るわけじゃない。ただする事も無いからそうするだけだ。
『……………飯の時間だ』
どれくらい時間が経ったか分からないが、体内時計がそう告げていた。もしかしたらあの小童が帰ってから3日は経っているかもしれない。
「…し、失礼、します」
『……男か』
扉を開けて現れたのは三十路位と見られる男だった。今の私の気分は女だったんだがな。五条の小僧が女を連れて来た事は無い。
『…そんなに怯えるな』
「は、はい、」
『オマエ五条の小僧に捕らえられた呪詛師か』
無意識に喉が鳴って唇を舐める。久方ぶりの食事だ。それこそ10年振りの。
『こっち来い。悪い様にはせんよ』
男を寄せて拘束されている手を伸ばす。すると男は無意識に私の腕を掴む。大した呪力も無い術師だ。私に逆らえるわけもない。
『すぐに終わる。なに、痛みは無い。オマエが望むなら快楽を与えてやってもいい。痛いのは嫌だろう?』
怯えている瞳と視線を合わせて甘く囁くと、男の瞳は虚ろへと変わる。男の膝の上に跨いでそのまま首筋に唇を寄せて息を吸うと、酷く甘い香りに口角が上がる。
『…私も久しぶりの食事だ。ゆっくり味合わないといけないな』
男の首筋に歯を立てると舌に甘く痺れる様な甘美な香りと温かさが広がった。耳元では男の快楽に溺れた声が響く。
「うっ…、ぁ、」
10年振りの食事に夢中になっていると扉が開かれてゆっくりと視線を向ける。
「………なに、してんだ」
『私は、食事の邪魔をされるのが嫌いなんだ。さっさと失せろ。人間風情の餓鬼が』
禪院の小童の手にはいつもと同じ様に盆の上に一つだけ汁物が乗せられていた。そんな物よりコッチの方が余っ程美味だ。
『……聞こえなかったか?失せろと言ったんだ』
「………オマエ、」
口元を拭うとベトリと温かい物が付いて見てみると男の血だった。思ったよりも腹が減っていたらしい。目の前のご馳走にかぶりついてしまった。
「……オマエ、…人を食うのか」
『初めに五条の小僧に言われただろう。私は吸血鬼だ。生き血を啜り生きている』
「呪霊は、人を食わないだろ」
『それは先入観だ。呪霊は人を食う事も出来る。まぁ好みだがな』
「…殺すのか、その人」
『久しぶりの食事だからな。むしろこの男一人では足りないくらいだ』
「………」
『コイツは呪詛師だ。死んだ所で問題は無い。それともオマエはくだらない正義感で私を祓うか?この男はオマエにとって大切な何かだったのか?…なぁ、呪術師』
何も答えず俯く小童を無視して目の前の首筋に噛み付く。あまり美味くは無いが、腹が減ってれば何でも美味く感じる。断食もたまにはいいかもしれんな。
「…がっ…、っ、…あ゛、」
快楽と苦しさに溺れた様な声を上げて男は息する事をやめた。腹八分目といった所か。口元を拭って手についた血を舐めとる。
『……おぉ、まだ居たのか。呪霊とはいえ、女性の食事をまじまじと監視するのは感心しないが』
「……人を食う時、いつも殺すのか」
『そんな事は無いさ。ただ今日の食事は10年振りだったからね。餓死寸前だったから私も貪りついてしまっただけだ。3日に1度…、長くて2週に1度血を飲めれば少量で足りる』
「…………そうすれば、オマエは人を殺めるのをやめるのか」
『この見た目のせいで忘れているかもしれないが、私は呪霊だよ』
俯いたまま低く言葉を発している小童の相手をするのが心底面倒になり適当に頷く。
『あーそうだな。そうすれば殺す程は飲まんかもな』
「…………分かった」
亡骸になった男の体に触れるとパラパラと砂の様に崩れた。その砂を拘束された手のひらから呪力で吹き飛ばすと部屋の空気中に散らばって眉を寄せる。
「………なら俺が血を与えます」
『…………理由は?』
「…俺が、そうしたいと思ったから」
『…………』
よく分からんが悪くない申し出だ。これである程度の間、食事の飢えが凌げる。それに小童から持ち出した話。五条の小僧も何も言えないだろう。
『……良いだろう。その申し出を飲んでやる』
どうせただの暇つぶしだ。人の一生なんて一瞬だ。人間なんて私にとってはただの食事。
『よろしくな。禪院の小童』
「伏黒恵だ」
『伏黒恵か。まぁ何でもいい』
食事の名前など何でもいい
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