絡まりたゆたう花片の下


『五条の小僧』

「君から僕に話しかけるなんて珍しいね」

『私だって用が無ければオマエになど話しかけん』

「で?何の用?」




着物を引き摺りながら扉を閉じて五条の小僧を見てゆっくりと口を開き言葉を続ける。





『…私を祓え。小僧』

「…………どうしてそんな気分になったのかな」

『強いて言うならば……疲れたんだ』





退屈を潰す事も、ありもしない幻想を追うのも、アイツの影を探すのも、……孤独に耐えるのも。




ーー「ひとりは寂しいですから」






ひとりにしたのは何処の何奴だ。勝手に私から孤独を取り上げておいて。勝手に置いて逝く薄情な男。…私が、殺した愛し子。





「……恵は知ってるの」

『知らんよ。あの小童は私に惚れているらしい』

「だろうね」

『知っていて許したのか』

「可愛い教え子の初恋だから」

『ケハッ、初恋が呪霊の老婆か。実に愉快』




深入りしていない今が好機。私は宿儺とは違い、人間には友好的な呪霊だと自負している。私は人間が嫌いだ。けれどあの子は人間を愛していた。





『……長過ぎるほど生きた。もう充分だ。それに上の連中も私が自由に身動きが取れていることに気付き始めているのだろう?』

「よく知ってるね」

『若造達が考えそうな事だ。それにここにある文書全てを読んだが、やはり人の蘇生方法は無いらしい』

「宿儺は悠仁の心臓を治したみたいだけど」

『それはあの少年が受肉体だからだ。時間も経っていないし、…何より肉体がある。肉体を一から創るのは叶わんらしい』

「随分と惚れ込んでいるんだね」

『……惚れた、か…。……それよりも罪悪感の方が強いのだろうな』

「罪悪感?呪霊の君が?」

『私は元は人間だ。少しくらい人間らしさがあっても可笑しく無いだろう』




違うな。本当は人間のフリをしたいだけだ。アイツと同じ、人間だと。





『……呪霊になったばかりの私が見たら大笑いしそうだな』

「まぁ呪霊である君を祓う事は賛成だ」

『なら、早くしてくれ』





もう思い残したことは無い。あの世に逝ってあの子に一言謝ろう。…きっとあの子の事だ。苦笑を浮かべて許すのだろうな。悪すら肯定し、許してしまう善人。





『何故惚れたのか甚だ疑問だな』

「それは僕も同感。恵は君のどこに惚れたんだろうね」

『お互い似たもの同士なのかもしれんな』





類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。自虐的な笑みを浮かべるとあの子の笑みを思い出した。そういえばあの子は最後にあの言葉を言った後、何かを言っていた気がする。




『それもついでに聞いてみるとしよう』

「それじゃ祓うよ」

『あぁ』





瞼を閉じると真っ暗になって心地良い感覚に陥る。やっぱり私にはコッチが合っている。




『ぐぇっ…』

「汚ぇ声」

『………何をしている。禪院の小童』





私の首根っこを掴んでいる餓鬼を見上げると頭に拳骨が落とされた。呪霊だから痛みを感じないわけではないのだ。





『なっ、…にをする!!』

「オマエの面倒を見てるのは俺だ」

『だったらなんだ!』

「俺の許可なく祓われるな」

『呪術師とは呪霊を祓うものだろう!』

「あぁそうだな」

『ならば私を祓えばいい!』

「惚れた女を簡単に祓えるわけねぇだろ。馬鹿か」

『ばっ、馬鹿…!?』





何を当然の事を、と言わんばかりに顔を歪ませる禪院の小童に眉を寄せて睨みあげる。





「というわけで君の死刑執行人は恵に任せるね」

『五条の小僧!』

「ばいばーい!」




五条の小僧はヒラヒラと手のひらを振りながら出て行き、私は首根っこを掴んでいる禪院の小童を払い離れる。





『……オマエは呪術師には向いていないらしいな。童』

「俺自身も俺が呪術師に向いてるとは思ってない。呪霊に惚れてるんだ。向いてるわけないだろ」

『余程、女の趣味が悪いと思える』

「そうかもな。それでも俺は名前が好きだ」

『……薄っぺらい言葉だな。オマエには中身が無い』





童を馬鹿にして鼻を鳴らす。歩み寄り首裏に腕を回し顔を覗き込み甘く言葉を吐き出す。





『そんな事を言わなくても相手くらいしてやる』

「……オマエは、本当に何も分かって無いんだな」

『…なに?』

「俺はオマエの体なんて要らねぇんだよ。なんで分かんねぇんだよ」

『また綺麗事か。随分と綺麗好きな様だ』




笑みを消して童の首元を緩めて指の腹でなぞる。傷が無いのは反転術式のおかげか。高専にも使える者が居るようだ。





『オマエは見たのだろう。私に血を吸われて死んでいく者を』

「見た」

『あの快楽の顔が忘れられなかったか?気持ち良く死ねるのだ。求めても仕方ない』

「知らねぇよそんなの」

『言えば何度だってその快楽を与えてやる』

「だから要らねぇんだよ。そんなくだらねぇもんは」






童はゆっくりと右手を上げると私と少し距離を取って、私の胸の上に手を置いた。





「俺はオマエの心が欲しい」

『……クッ、…クククッ…、アハハッ!』




嘲笑を浮かべると童はただ無表情に私を見ていた。何ともまぁ薄っぺらい。数年生きただけの餓鬼だ。





『そうかそうか!見た目とは違い随分と女誑しのようだ!よいよい!』






ポンポンと肩を叩き顔を寄せて唇を重ねる。何度か啄みゆっくりと離す。





『心など存在しないよ。私は呪霊だ』

「でもこうして言葉も交わせるし、元人間だろ」

『元人間だからといって甘く見ていると今に痛い目を見るぞ童』

「何度も見た。俺だって惚れるなら人間が良かったよ」

『ならそうすればいい』

「したくても出来ねぇのは、オマエがよく分かってるだろ」

『さぁ。何の事かな』





首を傾げて童から離れ、窓枠に腰を下ろす。空を見上げると皮肉な程晴れていて目を細める。






「いつまで過去を見てんだよ」

『よく分からんな』

「ならハッキリ言ってやるよ」

『…童』

「いつまでその男の影を追ってるんだよ。そいつはもう死んでる。生き返ることも無い。オマエが追ってるのはただの想い出の中の幻想だ」

『……老人は過去の栄光に縋ると言うだろう』

「そうやって茶化して逃げんなよ」

『…私を祓う祓わないの話だった筈だが』

「俺はオマエが好きだ。だから祓わない」

『私に殺される事を望むか』

「俺はまだやる事がある。死ねない」





進展しない話に自分の機嫌が下がっていくのが分かる。これだから餓鬼は嫌なのだ。自分の意志を貫こうとする。こちらの話など聞きはしない。




「今までオマエが何人の人を殺してきたのかなんて知らねぇ。オマエは紛うことなき呪霊だ。でも俺はオマエの過去を見てきたわけじゃない」

『知らないから私の罪は消えるのか。都合のいい事だ』

「ならこれからは俺に力を貸せ。高専で呪霊を祓え」

『……なるほどな。結局行き着く先は、私の力が目当てだった訳だ。初めからそう言えばいいものを』





腕の力を抜いてダラリと垂れる。呪霊の存在価値などそんなもの。呪術師とは、呪霊を祓う者でしかない。それならば安っぽく薄いだけの言葉など要らぬというのに。





「……オマエ、怖いんだろ」

『私に怖いものなど無い』

「ひとりになるの、怖ぇんだろ」

『………は?』





童の言葉に目を見開いて首を動かして童を見る。何を言っているのか。私が何百年もの間ひとりだったか知らないのか。






『私がひとりになってどれだけの時間が経っていると思っている』

「ひとりになるのが怖ぇから、誰とも関わらずに過去に縋ってるんだろ」

『……筋の通っていない話だ』

「通ってるだろ。ひとりになるのが怖ぇから、最初からひとりになろうとするんだろ。また自分を置いていくんじゃねぇかって」

『オマエの中で私は可愛らしい乙女の様だ。女といえど呪霊。馬鹿を言うのも休み休みにしろ』

「ならどうしていつも外から見える場所に居る」

『…理由など無い』

「ひとりが怖いから誰かに見つけて欲しいんじゃねぇのか」

『夢見がちな餓鬼だ。そんなわけがないだろう』

「ならどうして逃げない。五条先生が居るからか?オマエ位の呪霊なら難なく高専から逃げられるだろ」





淡々と言葉を吐き続ける童に眉を寄せ窓枠から降り、睨む。これまた見た目と反してお喋りが好きな様だ。太陽が隠れたのか辺りは少し暗くなっていた。





「戦うのが嫌か?流石に特級とはいえ五条先生相手は厳しいか」

『喚くな。あの程度の餓鬼、私の足元にも及ばん』

「なら何で逃げなかった」

『暇つぶしだよ。ただのな』

「捕まったのも暇つぶしっつったよな。…違ぇだろ。ただひとりになりたくなかっただけだ」

『……呪霊が、人を求めるとでも?』

「呪霊がどうかは知らねぇ。けどオマエはそうなんだろ」

『私を甘く見ている様だ。元人間といえど呪霊だ。あまり調子に乗るなよ禪院風情の小童が』

「俺は伏黒恵だ。……オマエ知らねぇだろ」

『何の話だ』






小童はその日初めて口元を緩めて、甘やかに微笑んだ。その瞳はまるで、






「俺がオマエを見つけると、安心した様に笑うんだ」

『………………は、』

「いつだってオマエは自分をひとりにしない存在を求めてたんだろ。長すぎる時間を少しでも埋めてくれる者を」

『………』

「求めておきながら、ひとりになるのが怖いオマエは自分の心を埋めてくれるであろう人間が現れるとすぐに逃げる。特級呪霊は酷く臆病らしい」

『なに…?』





挑発的な物言いに腸の辺りが煮えくり返る。ペラペラと話しおって。




「ひとりが嫌なら俺を使えばいい」

『人間風情が何を言っている。たった数十年しか生きられんオマエ達に何が出来る』

「何も出来ない。けど俺はオマエと居てやれる」

『誰もそんな事は望んでいない』

「オマエにとってたった一瞬でも、オマエの孤独を埋めてやる事は出来る」

『…聞こえなかったか。そんな事は望んでいない』

「オマエこそ聞こえなかったか」





童は強い眼差しで私を射抜いてその瞳を緩やかに細めた。





「俺は名前が好きだ。一緒に居たい。…俺と一緒に幸せになろう」

『………』




ーー「……ごめんなさい、」




ーー「…どうか、…幸せになってください、…師匠」





あぁ、そうだ。アイツは最後に笑ってそう言ったんだ。馬鹿な奴だ。私に幸せなんて無いのに。オマエが居ないと私は…、





『ッ…、』

「名前」

『五月蝿い。私を呼ぶな。欲深く醜い人間が』

「あぁ。俺は欲深い。だからオマエのそばに居たいと思うし、オマエの愛情が欲しい。名前の唯一が欲しいんだ。一緒に居たい」

『…黙れ。すぐに死ぬくせに。言葉だけ吐いて、すぐにオマエ達は死ぬ』

「ましてや俺は呪術師だ。いつ死ぬか分からない」

『私はオマエの様な餓鬼が大嫌いだ』

「餓鬼はオマエを置いて逝くからか?」

『……そうだ。私から孤独を奪っておいて、簡単に私を置いて逝く。…それならば、最初から独りの方が楽だ』

「なら何で逃げなかった。本当は誰かと一緒に居たかったんだろ。だからいつも窓枠に腰を下ろして待ってたんだろ。誰かに見つけてもらえるのを」

『違う。…違う。私は、』

「死んだアイツの影を追いながら独りじゃないって思い込みたかっただけだろう。惚れていたとか言ってオマエは独りになりたくないだけだ」

『黙れ』

「偉そうに構えてもオマエは独りが寂しいだけの甘えたがりだ」

『黙れ…!』

「惚れてなんかいなかった。ただ初めて自分のそばに居てくれた男に依存しているだけだ。そんなのは恋愛でも愛情でも無い。…それこそただの自己満足の玩具だ」

『五月蝿い…ッ!!』





大きな音を立てて窓硝子が割れると私の体に降り注いだ。けれど私の体には傷一つ無い。当たり前だ。私は呪霊なのだから。




「図星突かれてキレるなよ」

『調子に乗るな。高々数十年生きて来ただけの小童が』

「その小童に本心バレてちゃわけないだろ」





表情を崩さない童のすぐ横に呪力を込めて切り付ける。頬から薄らと血は流れ後ろの壁は切り刻まれた。





「寂しがりだから、わざわざ五条先生に祓えって言ったんだろ。死ぬ時には誰かに居て欲しいから」

『余程死にたいと見える』

「寂しいなら寂しいって言えばいいだろ。誰かにそばに居て欲しいなら俺が居る」

『人間の言葉など信じるわけもない』




それに人の一生など、私にとっては瞬きの間に終わる。そしたらまた私は、





「オマエは独りになるのが怖いんだろ。なら俺と居ればいい」

『…五月蝿い。どうせオマエもすぐに死ぬ。私を置いて』

「そうだな。俺はオマエを置いて死ぬよ」

『ッ、』

「でもオマエにとって一瞬の間でも、光が過ぎる様な速さの中でも、…ほんの一刻ひとときの間でも、俺はオマエと一緒に居たいよ」

『五月蝿い…、巫山戯るな…、』

「だから、」





胸を抑えて小童を睨み付けても、此奴は優しく笑って右手を差し出し酷く残酷な言葉を紡いだ。





「束の間だとしてもいい。…俺と幸せになろう、名前」

『……残酷な事を、言うのだな』

「すぐに死ぬ俺と一緒に居てくれ」





気付いた時には涙が流れていた。ポタポタと地面に落ちて小さなシミを作っていった。手のひらで顔を覆って嗚咽を飲み込む。





『…私はっ、また独りになるのかっ、』

「そうかもな」

『またこの苦しみを味わうくらいならっ、ずっと独りの方がマシだっ、』

「俺はオマエを苦しめるけど、一緒に居たい。少しの間でも名前の孤独を埋められる」

『偽善だっ、オマエの自己満足だっ、』

「あぁそうだ。名前の為だと言いながら、本当は俺の為だ。俺が名前の事を好きだから一緒に居たいだけだ」

『そんなのはまやかしだっ、信じられるわけが無いっ、』

「信じなくてもいい。ただ俺は名前のそばに居たい。オマエが泣きそうな時に抱きしめてやれる存在になりたい」

『死ぬくせにッ、…置いて逝くくせにッ、』






溢れ出てくる涙は手のひらで抑えきれない程流れる。顔を覆ったまま抱き寄せられ優しい香りと温もりに包まれる。





「俺が死ぬまで、ふたりで居よう」

『…オマエ程っ、残酷な人間を、私は知らないっ、』

「特別になれるなら、それもいいな」

『最低だッ、…人間のくせにッ、私を独りにするくせにッ、』






頭と背中に感じる温もりに崩れ落ちそうになる。死ぬのならどうして私を独りにしない。死ぬのなら、いずれ私を置いて逝くのなら、知らない方が、





「死に別れるまで、一緒に居よう。俺と幸せになってくれ名前。人間の俺の為に」

『……呪霊なんかよりっ、余っ程、狡猾だ、』

「ただ必死なだけだろ。可愛いガキンチョの精一杯の告白だ」

『…これだから、…餓鬼は嫌いなんだ』






いつの間にか背中には太陽の温もりを感じてふと視線を下に落とすと、割れた硝子が反射してキラキラと輝き、まるで水面に散った花のように美しく、瞼を閉じた。



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