青褪めてざらざらの眼差し
「苗字!!」
ダラリとコンクリートの壁に背を預けて力無く項垂れる苗字に頭が真っ白になった。
「………死んだら恨むからなッ!!」
コースは絞った。呪力なしであの時の宿儺並のスピード。恐らくコイツは真希さんの完成系だ。目で追うなタイミングだ。
タイミングを外せば死ぬ。
タイミングを外せば死ーーー
「ッ!」
よし!ずらした!
そのまま呪具を男の腹に突き立てる。
クソッーーー!
なんでこれが避けられんだよ!
「どうするかな」
やるしかないのか…!?でもここには苗字がいる。出血は多いが気を失ってるだけだ。どうする…。
「オマエ、名前は」
「……?」
突然言葉を発したと思ったら訳の分からないことを言い出した男に頭が一瞬思考を止めた。
「伏黒………」
「……………禪院じゃねぇのか」
男はそう言って持っていた呪具を自分の頭に刺し、その瞳は黒ではなく、白くなっていた。そして少し笑いながら言葉を紡いだ。
「よかったな」
そして倒れた男に近づくと顔が変わっていて、自害した理由も分からない。頭には甚爾≠「う名前とよかったな≠ニ言った男の顔が浮かぶ。
「…ッ、……………苗字、」
腹に痛みが走り慌てて抑えながら苗字に近付き、体を抱き上げる。浅いが息はしてる。早く家入さんの所へ。
「……………ッ!?」
「これこれこーいうのよ!!こーいうのがむいてんのよ!」
どうやら俺は苗字に殺される事は叶わないらしい。
∴∴∴
痛い。体が痛い。喉も痛い。頭も痛い。全部が痛い。息をするのも億劫だ。瞼なんて石のように重い。
『………ゴボッ、』
勝手に出た咳は水気を含んでいた。口を伝ってダラリと腕の辺りに落ちた気がした。瞼を持ち上げると見たことの無い呪霊とその奥に血を流して倒れている伏黒くんがいた。
『…………ふ、じぐろ、ぐ、』
まだ私から奪っていこうとするのか。もう充分奪ったじゃないか。まだ足りないのか。私から母を奪って、神様を奪って、愛情を奪って、更には私を愛してくれた人すら奪おうというのか。
『…………ハハッ、』
喉で引っ掛かるような声が出てボタボタと口元から血が流れた。でもそんなのどうでもいい。なんだっていい。
『…………オマエか。……伏黒くんを、傷つけたのは、』
顔から羽を生やした呪霊に赤ん坊の様に据わらない首が勝手にグラグラと揺れる。地面に手をつこうとしても体に力が入らず前に倒れ、顔を打つ。けれど痛みなんてない。どれが顔をぶつけた痛みかなんて分からない。
『…その人を殺すのは、…私なんだよ、なに勝手に、横取りしてんだ。……殺すぞ、』
「ふざけんなよ!こんな…!クッッソ!起きろよ!クソ術師!」
『……うるせぇ。…頭に響く…、』
定まらない焦点で1歩ずつ呪霊に近づく。そして胸の前で手のひらを合わせ、祈る様に指を絡める。
全ての呪力を捻り出せ。死んでも。私の大切なものだけを守れ。救え。とにかく殺せ。私から奪っていこうとする者を。ひとつ残らず。全て。
『……領域展開 我爲祇開闢』
ゆっくりと瞬きをして開くと辺りは真っ暗でたったひとつだけ真上に光が射していた。
『………アンタに耳にあるのか知らないけど私の術式を説明しておくよ、』
さとるくんが現れて呪霊に襲いかかる。すると向こうも反撃に出てきた。でもさとるくんは心が読めたのか避けるとまた襲いかかった。
『私の術式はさとるくんの能力、まぁ簡単に言うと読心術だけど、本当は他にもあるんだよね、』
血がポタポタと流れるけど気にせず口を開く。喉に血が絡んで気持ち悪い。出血が多すぎて頭が回らない。
『さとるくんの能力は術式の一時的なコピーとあともうひとつ』
血のついた右手を広げると携帯が現れて耳に当てて口を開く。
『……さとるくん、さとるくん、さとるくん。おいでください』
そう言って携帯を呪霊に向かって投げる。まぁ携帯なんてただの形でなんの意味もないんだけど。
『アンタ運悪かったね。私の領域との相性最悪だよ』
するとさとるくんは呪霊の後ろに移動して両手を伸ばす。人語を話せない呪霊で良かった。質問なんてなんでもいい。
『………あなたの名前は?…ひとつ言っておくけど答えられないとアンタの存在すら全てを消し去って連れ去るよ』
答えられない呪霊にさとるくんが手をかけようとした時、ガラスを破ったような音がして顔を上げる。
『………虎杖くん?』
違う。あれは、
『…………がァっ!』
宿儺と視線が交わった瞬間、お腹に激痛が走って傷口を抑える。領域は崩れていって膝から崩れ落ちる。
『な、んで、宿儺が…、』
どうして私の領域に入って来たのか分からない。睨んでいると何故か宿儺は伏黒くんに反転術式をかけていた。
『………どうして、』
視界が定まらなくなる中、宿儺は呪霊と交戦を始めたようだった。膝を強く打ち付けたのに痛みがない。でも今は好都合。地面に手をつくと大量の血がお腹から流れた。まだこれだけの血液が残っていた事が驚きだ。
『……ふ、じぐろ、く、』
殆ど言うことを聞かない体を引き摺って彼の前に時間をかけて辿り着く。まるで一日中歩き回った様な気分だ。
『ふし、ぐろく、』
彼の前に辿り着いた時には私の足の力は抜けて無様にも両手が地面に着いていた。重たい頭を持ち上げると左頬が温もりに包まれた。
「………苗字、」
『ふしぐ、ろくん、』
彼を見ても瞼は重たく閉じられていた。もしかしたら意識はないのかもしれない。それでも、なんでもいい。
『……………す、くな、』
後ろで大き過ぎる音がしたと思ったら夥しい呪力を感じて振り返らずにその呪力の元の名を呼ぶ。
「貴様は伏黒恵のなんだ」
『………私は、伏黒くんの、何なんだろうね、』
「…まぁいい。オマエの様な小者に用はない。死のうとどうでもいい」
宿儺はしゃがみ込み伏黒くんの体を抱えると立ち上がった。
『……どうして、…伏黒くんだけを、助けるの、』
「それは自分も助けろという意味の無い懇願か?」
宿儺は大口を開けて嘲笑すると、さっきまでの笑い声が嘘だったように低く唸った。
「貴様の様な穢れた紛い者の命など知らん」
『…………そうだね、』
自虐的な笑みが浮かんで思い知った。私は人間でも無ければ呪いにすらなれない。本当に、呪霊よりも有害な人間。
「……オマエ、伏黒恵に呪いをかけているのか」
『…………伏黒くんを助けて、何をするつもり、』
「不快だな。オマエごと消して呪いを帳消しにするか」
宿儺は私の目の前で手のひらを構えると小さく「死ね」と呟いた。どうやら私は死んだ後も呪霊になって伏黒くんに祓ってもらうことすら許されないようだ。……当たり前か。私のような人間でも呪霊でも無い汚い穢れた紛いモノには。
「………なんだ」
『………………伏黒くん?』
意識が無いはずの伏黒くんが虎杖くんの制服を掴んでいた。まるで止めろとでも言わんばかりに。もしかしたら私の都合のいい勘違いかもしれないけど。人間の無意識の反射なだけかもしれない。だとしても、それでも、
『……………本当に、馬鹿なんだから、』
こんなに嬉しいんだったら、このまま勘違いしておくのも、いい。
「………チッ、……まぁいい。どうせオマエは放って置けば死ぬ。時間の問題だ」
『……宿儺が伏黒くんを使って、何をするつもりか、知らないけど、……その人は、私のだ、……神様を好き勝手にさせない、』
「何も出来んさ。オマエのような穢れた化け物にはな」
『…………す、……くな、』
視界が揺れて体が前に倒れる。手を付きたくても体が動かずに頬と体を打ち付ける。倒れた体で右手を伸ばしても宿儺には届かなかった。
『………わたしは、』
右手が地面に落ちて視界が真っ暗になった。その中で分かったのは、私は呪霊よりも余っ程化け物≠ニいう事だ。