壊れたら胸にしまって



高専に通って2年目の夏になりかけた春の頃。私は初めて人を殺めた。



「……呪術を持たない、人間など、…この世には、要らな、」





そう言って呪詛師は息絶えた。初めて人を刺した感覚が抜けない。人だったものから視線が逸らせなくなって、息の仕方が分からなくなった。吐く息だけが耳に響いた。





『……………』





温かいはずの体温が段々と失われていくのが触らなくても分かる。だって顔が青白くなってるから。辺りには血溜まりが出来ていて、私の頬にはこの人に流れていた血液の一部が付着していた。それをゆっくり拭うと近くにいた男の人が安心とはかけ離れた笑みで嬉しそうに笑った。



「ようやっと死んでくれた!ありがとうございます!」

『…………っ、』




吐き気に襲われて手のひらで必死に覆って飲み込む。喉が痛い。心臓が痛い。お腹が痛い。手が震える。
色々な感情を抑えて崩れ落ちそうな膝に力を入れて歩き出す。




「お疲れ様です!高専までお送りします!」

『………』




笑みを浮かべてそう言う補助監督の人が信じられなかった。呪詛師とはいえ人間だ。なのに、どうしてこの人は笑ってる。




「長期任務って疲れますよね…、でも良かったです!呪詛師は存在してはいけないですからね!」

『………』




良かった…?…なにが?人が死んでるのに良かった?存在してはいけない?呪詛師は殺していいのか。その理屈で言ったら人殺しを殺しても犯罪じゃないってことだ。




『…………ありがとうございました、』

「いえ!お疲れ様でした!」





高専に着き、ボーッとした頭で建物内を歩いて自室を目指し、何も考えずにシャワーを浴びる。その時に排水溝に目を向けると少し赤くてグッと奥歯を噛む。




『……………』





眠ることもできなくてベッドの上で膝を抱えて座り込む。時計は12を超えていた。真っ暗な部屋の中でただボーッと壁を眺めていると控えめに扉が叩かれて重たい体を持ち上げて開くと少し疲れた顔をした彼がいた。





『………夏油くん?』

「……少し、いいかな」





どこか元気の無い夏油くんを部屋に招き入れると彼は恐る恐る私の体を抱きしめた。突然のことに驚いたけど、でも今はその温もりが酷く安心した。





「………怒られると思ったんだけど」

『いつもなら、怒ってたかもしれないですね』





ベッドに移動して胡座をかいた夏油くんはその上に私を横抱きにするように乗せて片手を背中に回すともう片手で私の手を握った。やけに冷たい手に不安になって、その手を温めるために両手で握るけど私の手も冷たくて意味がなかった。





「何も、聞かないんだね」

『…聞いて欲しいなら、聞きますよ』

「……いや、あまり聞かれたくないかな」

『なら、聞きません』




いつも縛られている髪が解かれていてサラリと前に落ちた。その髪に触れるとまるで絹のようで目を細めた。




「苗字さんは、何があったの」

『………』

「…聞いて欲しくないなら、聞かないよ」

『…………初めて、人を殺しました』





そう言った自分の声は酷く震えていた。夏油くんは何とも思わないかもしれない。彼は私よりずっと強いから。何度か経験していることかもしれない。





『……仕方ない事だって、分かってるんです、…それでも、本当にこれが正しいのか、分からないんです、』

「………呪詛師は、悪人だよ」

『分かってます…、でも悪人だからと殺せばそれで終わりなんですか…。その人が犯した罪はどこにいくんですか、』

「………それの報いが、死なのかもしれないね」

『死ねば万歳三唱するような悪人でも心臓は動いていて、血は流れてる、』

「……」

『……でも、私は、…人が死んでる喜んで笑っている人達の方が余っ程狂気的で、気持ち悪い…』





夏油くんは何も言わずに背中に置いていた手を頭に移動させ、私の頭を自分の胸元に寄りかからせた。夏油くんの胸元辺り耳が当たって瞼を閉じるとトクトクと脈を打つ音がして目の奥が熱くなって眉を寄せる。





『…私は死刑制度に反対するような人間でもなければ、悪人を受け入れられる善人でもない…、自分の手を汚したくないだけの酷く醜い自分が、何よりも気持ち悪い…、』

「…………」




頬に熱いものが伝って涙だと気づいた。私に涙を流す資格はない。呪詛師を見逃そうと思えば見逃せた。けれどアイツは紛うことなき悪人だった。目の前で何人もの一般人が殺された。そして、私が殺した。




「……人の命は呆気なく終わる。それが手の届く範囲にいても守れるかどうかは分からない、」

『……夏油くんにも、守れないものって、あるの、』

「………あるよ。……目の前でひとりの女の子が死んだんだ。…普通の、ただの女の子だったのに、」






夏油くんの声はいつもと同じはずなのに、どこか自分を責めるような声色に胸が痛んだ。私が痛む権利も無いというのに。




「人が死んで喜ぶ人間は、本当に人間なのかな…。人を殺すのが罪なら、それを笑うのは罪じゃないのか…。喜んでいる時点で、それは殺めた人間と同じではないのか…」

『…死んだのが、悪人なら、…笑っても許されるの…?』

「どうだろうね…。少なくとも自分で望んだわけじゃないのに勝手に業を背負わされたただの女の子が死んで喜ぶのは、私にとっての悪だった。…そして気色悪いと感じた」

『………私達がしてることは、正しいのかな、』

「それを決めるのは私達じゃない。だからこの世には法律という分かりやすい線引きが引かれているんだ」

『…なら、悪人を殺した私は人殺しじゃないの…?どうして私は罪に問われないの…、』

「………」

『あの人は、非術師はいらないって言ってた…、だから殺したって…、』





夏油くんは呪術師は非術師を守るものだと言った。それは本当に正しいのかな。人が死んだのに嬉しそうに笑っていた人達。そんな人達を守る為に私達は存在しているの。





「………分からなくなったんだ、」

『…夏油くん?』





小さく零した夏油くんの声は初めて震えているようだった。彼らしくない不安げな声に顔を上げると夏油くんはただ真っ直ぐ前を見ていた。でもその目が酷く虚ろだった。





「………頭があまり働かない。考えることが疲れた」

『…そうだね』





夏油くんはそう言って私の体を抱きしめてベッドに潜り込んだ。肌寒くて少し擦り寄ると彼も寒かったのか抱きしめてくれた。



『……夏油くん、』

「…なにかな」

『………起きても、ここに居てくれる?』

「…うん。居るから安心して眠っていいよ」

『………ありがとう、』




優しい香りに瞼を閉じるとあの光景は出てこなかった。額を彼の胸元に擦り付けると腕に力が込められて少し泣きたくなかった。


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