ファンファーレ君となら



それから全てがおかしくなっていった気がする。五条くんはあまり笑わなくなったし、任務に没頭しているようだった。硝子ちゃんもどこかつまらなそうな顔をするようになって、私は呪術師を辞めた。




「今日は任務について行ってみようか」

『…はい』




呪術師を辞めたからといってすぐに放り出されるわけじゃない。私には術式もあるし、呪力もある。だから補助監督になる道を逃げた選んだ




『……………』




ボーッと仕事と学校をこなして、お風呂に浸かって髪も乾かさずそのまま眠る。この数ヶ月はこの繰り返し。少し前まで感じていた任務への恐怖も感じなくなった。恐怖だけじゃない。食べ物の味も寒さも暑さも、色彩も。全てが作り物のよう。




『…………起きても、ここに居てくれるって、言ったじゃん』





何度も眠って、何度も目が覚めて隣をみても誰も居なかった。当たり前だ。これが当たり前なのだから。彼に言ったのだってたった一度だけ。その約束はしっかり果たしてくれていた。どこにも落ち度はない。





『……………寒い』





ベッドの上で膝を抱えて膝を埋めると冷たい空気が部屋に流れ込んできて身を縮こませる。それでも寒くて窓を閉めるために顔を上げた。





『……………なに、してるの』

「迎えに来た」




開け放たれた窓には夏油くんが腰を下ろしていた。高専の制服とは違う真っ黒な僧侶のような服装。高専の時とは違った髪型。そして、変わらない優しい声





『………』

「……初めて目が合ったね」

『…………………』




柔らかく目尻を下げる彼にグッと息を飲む。初めて真っ直ぐ見た彼の瞳は黒に深緑を混ぜた様な深く綺麗な瞳で見惚れてしまった。




「私と一緒に来てくれないか」

『……私が一緒に行って、…迷惑じゃないの…』

「迷惑?」

『きっと足を引っ張る…』

「私がそんな事で後れを取るとでも?」






鼻を鳴らして自信ありげに微笑む彼に目を細める。すると窓枠から降りるとベッドの前にしゃがみ込んで右手を差し出した。




「一緒に逃げよう」

『…………そしたら、起きた時、隣に居てくれる?』

「……名前が望んでくれるなら喜んで」




そう言って優しく微笑んだ彼の右手に左手を乗せるとそのまま引かれて腕の中に閉じ込められる。




『………傑くんの世界に、私を逃がして』

「勿論だ」




力強く抱きしめられて、瞼を閉じて傑くんの背中に腕を回す。あの頃と変わらない温もりに止まっていた心臓が動き出したような気がした。




∴∴





『かっ、隠し子…!』

「ははっ、殴るよ」

『ごめんなさい…』

「左が枷場美々子、右が菜々子。双子だよ」

『苗字名前です。よろしくね』

「………」

「…………」

『…怖いよね、ごめんね』





ふたりは傑くんの後ろに隠れると小さな体を震わせていた。すると彼は少し驚いたように瞬きをするとすぐに目を細めた。




「私と目が合ったのはついさっきなんだけど?」

『………子供だからね』

「………………」





ジト目で責めるように私を睨んで見下ろす傑くんに苦笑を浮かべると、後ろにいるふたりからお腹の音が聞こえて傑くんは彼女達の頭を撫でた。



「ご飯にしようか」

『え、傑くんの手作り?』

「これからは名前も手伝うんだよ」

『はーい!』




傑くんは一度奥の部屋に入るとラフな格好で台所に立った。私も隣に移動して袖を捲る。




「時間が無くて最低限の荷物しか持って来れなかったから今度買い物に行こうか」

『え、いいよ!ある程度は持って来れたから』

「服はどうするの?」

『傑くんのおさがりでも貰えれば…』

「……………買いに行こうか今度」





傑くんは長い無言の後にそう言って冷蔵庫から卵を取り出した。そんな彼の姿を眺めていると不思議そうに首を傾げられてしまった。




「そんなに見つめられたら恥ずかしいんだけど」

『……なんか、かっこいいなって』

「え?」

『料理する男の人ってかっこいいよね』

「…高専に通ってれば大体の人は出来るだろう」




少し早口で答える傑くんに胸の辺りが締め付けられた。そんな彼の隣にピタリとくっつくと傑くんはピクリと肩を揺らした。




『傑くんについて来て正解だった』

「……当たり前だろう」





傑くんはフッと口角を上げると卵を器用に片手で割ると容器に入れた。




∴∴∴




「名前ちゃーん!」

『なーにー?』

「こっち来てー!」




菜々子ちゃんに呼ばれてベランダに繋がる扉を開けて外に出ると傑くんが椅子に腰おろして菜々子ちゃんと美々子ちゃんが彼の髪をいじっているようだった。





「夏油様にはどんな髪型が似合うと思う?」

『え?髪型?』

「そう。名前さんはどんな髪型がいいと思う?」

『私の好みを聞いてどうするの?』

「夏油様と名前ちゃんをもっとラブラブにしようと思って!」





そう言って菜々子ちゃんはニッと笑った。そんな彼女達を見て成長を感じてしまった。…私も歳かな。叶うなら母親では無く姉として扱って欲しい。まだ三十路前だから。お願いします。




『んー、』

「私も名前の好みは気になるね」

『でも傑くんってどんな髪型にしても前髪が変だから…』

「なにかな?よく聞こえなかった」

『え、こわい…』




傑くんは笑っていない目で私を見ると手招きをした。警戒しながらジリジリ近寄ると腕が掴まれて引っ張られる。強く瞑った瞼を開くと傑くんの膝の上に乗せられていた。




「どんな髪型が好きなのかは夜じっくり聞こうかな」

『……年頃の女の子の前で言うことじゃないよ』

「ふたりは大人だから大丈夫だよ」





傑くんは私の頬を撫でると楽しそうに笑った。その表情に唇を尖らせると顎が掬われて唇が重ねられた。




「キャー!」

「ラブラブ…!」

『傑くん…!』

「私達はラブラブだから仕方ないね」





顔を赤くして両手で顔を覆い指の間から私達を見ている菜々子ちゃんと美々子ちゃんにカラカラと声を上げて笑う傑くんの姿に自然と笑みが零れた。


∴∴



『明日のイブはどうするの?』

「クリスマスイブか…、少し出かける用があるんだ」

『……そっか、クリスマスも?』

「ごめんね」




ベッドで布団を足にかけて上体を起こしたまま部屋に入ってきたばかりの傑くんに聞くと寂しい答えが返ってきてしまった。仕方ない。菜々子ちゃんと美々子ちゃんの3人でパーティーかな。





「ちなみにふたりにも手伝ってもらうことになったから」

『……私だけ仲間外れ』

「ここで待っていてくれ」





傑くんはベッドに腰を下ろすと私の額にキスをしてポンポンと子供を宥めるように頭を撫でた。





『……起きても、隣に居てくれる?』

「……あぁ、勿論だ」





そう言って傑くんはもう一度唇を重ねると私の足にかかっている布団を剥いで優しく私を押し倒した。







『…………………意地悪、』







次の日、目が覚めると隣には傑くんの姿はなくて、温もりすら残っていなかった。


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