たどり着いたあなたの心
『5月になったのに私達しか1年生居ないねぇ』
「まぁこんなもんだろ。呪術師なんて」
『…確かに呪霊見えるなんて言ってる人見たことないしね』
「だろ」
伏黒くんと五条先生の到着を教室で待っていると、突然伏黒くんがおかしな事を言い始めた。
「オマエ五条先生のこと好きなのか?」
『え?』
「暇さえあればずっと五条先生の事見てるだろ」
『あれだけ背が高い人がいたら見ちゃうでしょ?』
「本当にそれだけか?」
『本当にそれだけだ』
「ふーん」
伏黒くんは興味無さそうに相槌を打つと机から教科書を出していた。私もつられて教科書を取り出すと、また伏黒くんが口を開いた。
「でも五条先生はあからさまに苗字を贔屓してるよな」
『贔屓?どこが?』
「いっつも苗字の隣歩いてるし、距離が近ぇ。それになんつーか、…目が違ぇ」
『目?…五条先生はいつも目隠ししてるよ?』
「じゃあ眉毛」
『じゃあ眉毛?』
意味のわからない伏黒くんの言葉に首を傾げると彼は私に目線を向けないまま口を開いた。
「なんか、下がってんだよ。眉毛とか目が」
『…タレ目ってこと?』
「違ぇよバカ」
『バカ!?サラッと悪口!』
「それにオマエが呪術師になったのって金とか呪霊が見えるからじゃねぇだろ」
『お金と見えるからだよ』
伏黒くんは呆れたように大きく溜息を吐くと、うざったそうに私を見た。
「……面倒臭さ」
『え!?酷い!』
「お待たせー!授業始めるよー!」
伏黒くんに言い返したかったけど、五条先生が教室に入ってきた事で何も言い返せなかった。
「それじゃあ僕はこれから任務があるから。お土産は期待するな」
「なんか食べ物でお願いします」
「話聞いてた?」
授業が終わるなり五条先生は任務に向かう為に教室を出て門へと向かって行った。私達が使っている教室から門は丸見えで何となく視線で追うと、門の前には一人の女性が立っていた。
『五条先生の彼女かな?』
「呪術師じゃねぇの」
『門の中には入れないみたいだから違うと思う』
「別にどっちでもいい」
心底どうでもよさそうに答える伏黒くんに苦笑を浮かべながら、2人を眺める。
『五条先生ってもう28歳でしょ?結婚しないのかな?』
「知らねぇ」
『五条って御三家のひとつでしょ?そういうのうるさそうなのにね』
「……そういえば前に家入さんが言ってたけど五条先生には許嫁がいるらしいぞ」
『許嫁…?』
「俺も聞いた話だから詳しくは知らねぇけど」
『凄いねぇ。今どき許嫁なんて本当にいるんだ…』
私とは全然違う世界の話に驚いていると伏黒くんは帰るのか教室から出て行ってしまった。彼の背中を見送って視線を門に戻す。
『……許嫁かぁ』
そんな時代遅れなこと守る必要なんて本当にあるのかな。
∴∴∴
「名前」
『あ、五条先生!任務終わりですか?お疲れ様です』
「こんな時間に何してるの?はいこれお土産」
『ちょっと歩いてました。ありがとうございます』
何となく眠れなくて高専の中庭を歩いていると五条先生に名前を呼ばれた。お土産本当に買ってきてくれたんだなって思いながら袋を開けるとケーキが入っていた。
『……ケーキ?』
「うん。好きじゃない?ケーキ」
『まぁ、普通に、好きですけど…』
ケーキって何となく誕生日とかに食べるイメージがあるから、素直にどうして?って疑問が生まれてしまう。
「誕生日祝えなかったからね」
『…私誕生日じゃないですよ?』
「うん知ってる」
五条先生は薄らと笑って肯定すると私の髪をゆっくりと撫でた。いつもと違って撫でるっていうより髪を梳くって感じだ。
「…名前は生まれ変わりって知ってる?」
『生まれ変わり、ですか?』
「そう。僕は意外と信じてるんだよね」
『私はあんまり信じてないかなぁ…』
だって死んだ後なんて誰にも分からない。死んだ人の感想なんて聞いた事ないし。
「名前っていま何歳?」
『え?…15ですけど…。というか高校1年生なんだから分かってますよね?』
「15ね…、僕と12歳差なわけだ」
『そうですね…?』
「死んだのは10の時。それから2年後に名前が生まれた。辻褄は合ってると思うんだよね。2年間あるわけだから」
『何の話ですか?』
「僕が12歳の時に名前が生まれたわけでしょ?」
『12歳差なので、そうですね』
五条先生は私の髪をサラリと梳くとゆっくりと重たく口を開いた。
「名前」
『はい?』
「呪術師やめてよ」
『………え?』
「呪術師なんて危ないこと、やめようよ」
『なんで、そんなこと、』
先生はフッと小さく笑うと目隠しを下にズラした。宝石みたいな瞳がキラキラと輝いていて思わず見惚れてしまった。
「僕と結婚しない?」
『…………………………はぁ?』
「名前はお金が欲しいんでしょ?僕の貯金全部あげる。好きに使っていいよ」
『……………いや、…いやいやいや!何ってるんですか!?』
「だからその代わり僕の目の届く範囲にいてよ。僕の帰り待っててよ」
『任務で何かありました!?頭打ったとか!』
「それで名前の誕生日を祝わせて。僕に」
意味のわからないことを言い始めた五条先生に本格的に頭が混乱してきた。先生が壊れてしまった。おかしな事を言い始めた。
「僕のこと好きじゃなくてもいい。それでも僕は名前を幸せにする自信がある」
『…い、意味が分かりません…』
「呪術師なんてやめて普通に幸せになろうよ。普通の幸せを手に入れよう。僕と」
『五条先生には、許嫁がいるんですよね…?駆け落ちってことですか…?』
伏黒くんから聞いた許嫁の話を出すと五条先生は僅かに瞼を震わせた。
「……覚えてなくても、いいよ。…それでもいいから、僕に守らせてよ」
『…守る?』
「名前を、守らせて」
五条先生の瞳は真剣で思わず頷きそうになってしまった。けど必死に首左右に振る。
『…それは、…私が弱すぎるからですか?』
「ううん。強いとか弱いとか、そんなことじゃないよ」
『それなら…、どうして、』
「……言葉にすることは出来るよ。簡単にね。でもそれだけじゃないんだ。僕の根っこは、……俺の根っこは、もっと深くて汚くて醜悪なんだ」
『…五条、先生?』
「………違うね。もっと単純だ。僕がただ名前の隣に居たいだけ。…幸せになりたいだけ。ただ普通に」
五条先生の言いたいことがよく分からない。言ってることが2転3転してる。呪術師じゃ普通の幸せは無理的なこと言ってなかった…?
『あ、あの…、家入さんの所行きましょ?診てもらった方がいいですよ…』
「名前」
『は、はい』
「僕を幸せにして」
『………はい?』
「それはいいってこと?OKってこと?」
『聞き返す意味のはい?です!』
突如、暴走し始めた五条先生に向かって距離を取る為に両手を伸ばす。
「でも今確かにはい≠チて言ったよね?」
『聞き返す為に言っただけです!肯定の意味は無いです!全く!』
「名前…」
五条先生は伸ばしていた私の両手を包み込む様に取るとあざとく腰を折って私の顔を覗き込んで掴んだ両手を顎の辺りまで上げて首を傾げた。
「……名前、」
『そっ、そんな甘えたな声出しても駄目ですからね!』
「……お願い」
『その顔をすれば私が言うことを聞くと思ったら間違いだから!』
「……幸せにして?」
『私にはもうその顔聞かないから!私だって成長してるんだから!』
「…………え?」
『もうその顔に騙されないから!その顔に騙されて何度嫌な事を押し付けられてきたことか!そのせいで私が悟の代わりに先生に怒られた事だってあったし!』
「…名前…、オマエ」
『自分の顔がいいの分かってるのがタチ悪い!私がその顔に弱い事を分かっててやるのも!でももうそんなの効かないから!』
「……………なるほどね」
『……え?』
ゆらりと上体を起こした悟は瞳からハイライトが消えていた。………ん?私、悟って言った?
「………前の記憶があるのに黙ってたわけね」
『ちっ、違っ、違うっ!』
「なにが?何が違うの?言い訳くらい聞いてあげるよ。聞くだけだけどね」
『聞いて許してよ!』
「やっぱり記憶あるんじゃん」
『……今のはズルくない!?』
「ズルくない。で?本当に記憶あんの?」
『…………』
「この期に及んで嘘言ったら監禁する」
『監禁…!?冗談でしょ…?』
「…………」
『コイツ目が本気だァ!!』
逃げようと思っても手を掴まれてて無理だった。力が強すぎる。多分コイツ手のひらで呪霊の頭潰してる。
「記憶は?」
『………………………あります』
「最初から?」
『生まれた時からです………』
「何で僕と会った時に知らないフリしたの?」
『……だって、……流れ的に…』
「はァ?」
だっていきなり私あの時に死んだ貴方の許嫁です!なんて言ったなら不審者だ。それに悟が私の事なんて忘れてたら恥ずかしくて死ねる。久しぶり会った友人に「久しぶり!」「……え?」ってなるやつだよ!
なんて理由をつけてみたけど、本当は私の術式が特別じゃないから。
「……まぁ、それはいいや」
悟は片手を離してガシガシと掻くと眉を寄せて私を少しだけ睨んだ。やっぱり悟の瞳は酷く綺麗だ。
「…なんで呪術師なんかになったんだよ」
『なんで…?』
「………呪術師は呪霊だけじゃない。呪詛師とも闘う事になる」
『…………』
「怖くないのか」
『……怖いよ』
「ならなんで…!」
『呪術師になれば悟に会えると思ったから』
今の私になって物心がついた頃、一番最初に思ったことは私≠フ術式についてだった。
『…私の術式はお世辞にも強いとは言えない。それが嫌だった。……特別な術式が欲しかった』
「そんな術式を持ったらオマエはまた…!」
『それでも良かった』
「は……」
『なんの取り柄もない私には術式しかなかったから。術式だけでも特別じゃないと悟に会えないと思った』
「……そんなこと、」
『気づいてもらえなくても一目見れればそれで良かった。そう思って呪術師を目指したのに先生やってるんだもん。びっくりしたよ』
先生として現れた悟に驚いて名前を呼びそうになってしまったことを思い出す。先生なんて柄じゃないくせに。でも意外と似合ってる事にも驚いた。
『それに話し方どうしたの?僕って…、笑いこらえるの大変だったよ』
「……三十路が近づけば人は丸くなるんだよ」
『そっか…、もう三十路か…ジジイ』
「殴るよ見た目クソガキ」
『精神年齢はほぼ悟と同じでも私見た目はまだピチピチのJKだよ。若いって素晴らしいよね』
「なに馬鹿なこと言ってんの」
悟は弱く私の額を小突くと長めに息を吐いて言葉を続けた。
「記憶があるってことは僕と結婚してくれるって事だよね?」
『え?しないよ?』
「………はァ?」
『怖っ!』
瞳孔を開いて目を見開いた悟が怖すぎて思わずそのまま声に出してしまった。何人か殺った後の顔してた。
「なんで?」
『だって私に特別な術式は無いんだよ』
「だから?」
『五条家が許すわけない』
「それで?」
悟が3文字しか発さなくなった。しかも全部疑問符が付いてるけど語尾が下がってるから多分聞くつもりない感じだ。
『えっと…、特別な術式を持ってない私との結婚は無理で…』
「なんで?」
『だから…、五条家は強い子が欲しいから前の時に私と婚約を結ばせたわけで…、』
「だから?」
『今の私には特別な術式はなくて…、五条家は強い術式を持った子が欲しくて…、だから私との結婚は無理で…、』
「五条家なんて僕が黙らせるよ」
『黙らせるって…、』
「それに僕の子供が弱いわけないでしょ。いくら名前の術式が雑魚でも僕の遺伝子が負けるわけない」
『き、気が早すぎるし雑魚って…!』
「で?あとは?なにが不安?」
『…え?…えっと、あと…、あとは…、』
「ないならもういいよね?」
フッと口元を緩めて悟は顔を寄せる。私は慌てて喉を反って距離を取る。すると悟は不機嫌そうに眉を寄せた。
「なに?なんで避けんの?」
『駄目だって!』
「だから何で?」
『私はただの一般家庭出の呪術師だよ!?術式だって特別なものじゃない!』
「本気で僕がそんな理由で諦めると思ってるの?」
『諦めるとかの話じゃないよ…、許されないって話だよ…』
「だからそれも言ったでしょ?僕が黙らせる」
『……………』
グッと唇を噛むと悟は目を少し見開いて顔を離し距離を取って不安そうに顔を歪めた。
『……それって、悟の気持ちは、どこにあるの…』
「……………………はい?」
『私はもう、死んでるんだよ?家から言われた婚約を守る必要なんてどこにもない…』
首を小さく左右に振りながらゆっくりと顔を上げると悟はゴミを見るような…、信じられないとでも言いたげな顔で私を見下ろしていた。
『…え、…な、なに?どういう感情の顔…?』
「…………名前が馬鹿なのはよ〜〜く分かってたつもりだったけど、想像以上で怒りを通り過ごして引いてる」
『なんで!?』
悟ははぁ〜っと大きすぎる溜息を白々しく吐き出すと1歩私に近づいた。元々近かったのに長すぎる足のせいで殆ど距離が0になってしまった。
『さ、悟…』
「馬鹿すぎて本っ当に困るよねぇ」
『ば、馬鹿…?』
そう言って悟は私の首裏にゆっくりと撫でるように手を回して首を少しだけ傾けた。
『ちょ、ちょっと、…悟っ、』
「まぁ、馬鹿な子ほど可愛いっていうからね」
息が唇にかかって思わず息を止める。少しでも動いたら唇が触れてしまう。
「俺はガキの頃からずっと名前が好きだよ」
『……………さと、』
飲み込まれるように唇が重ねられて名前を呼ぶことが出来なかった。でもそれが嬉しくて受け入れるように瞼を閉じると、悟が小さく笑った気がした。