明るみでできないことばかりして
「名前……」
『…恵っ!』
瞼を持ち上げた瞬間立っていた筈の恵が倒れるから慌てて抱きとめる。体のあらゆる所から血は出ているし今だってほとんど意識も失いかけてる。
「……祓った、」
『……っ、』
恵の言葉にグッと唇を噛んで目を見開いて涙が流れないように力を一生懸命堪える。これでやっと、津美紀ちゃんが救われた。津美紀ちゃんが目覚めるのを安心して待てる。………津美紀ちゃんに会える。
『…っ、…おかえりっ、恵…、』
「ただいま…、」
涙を堪えたせいで酷く震えた声だったけど恵は小さく笑って答えるとゆっくりと瞼を閉じて体重を私に預けた。でも私が消えないってことは浅い眠りで半分は意識があるって事だ。良かった、死んでない。
『……ゆび?』
地面に膝をついて恵の頭を乗せて髪を撫でていると彼の手の中に指が握られていた。それを腕を伸ばして自分の手のひらの中で広げた。
『……………宿儺の指』
虎杖くんが飲み込んだと言っていた両面宿儺の指。呪霊の王の指。虎杖くんは呪力が無かったのにこれを飲み込んで呪力を得た。なら私は?呪霊の私がコレを飲み込めばどうなる?
『……強く、…なれる、』
強くなれれば、私だって役に立てる。そして虎杖くんは両面宿儺の指を全て取り込んだら死刑だと言っていた。つまり私が飲み込んでしまえば、彼は死刑にならないんじゃないか。
『…私が、飲み込めば、』
全ては上手くいく。恵とこれからも一緒にいられるかもしれない。それに呪霊の私なら受肉するのはきっと簡単だ。リスクも低い。両面宿儺の力を、取り込んで私は…、
「…名前…、」
『………』
名前を呼ばれて視線を下げると恵の瞼は下がっていた。多分、寝言だ。恵はまだ眠ってる。やるなら今しかない。
『…………ごめんね、恵、』
∴∴∴
「「ふっ…伏黒?」」
「おっ、戻ったか。良かった無事で」
『みんな無事で良かった』
「ビッ、ビビったーっ!」
「死んでんのかと思ったー!」
「名前が居る時点で生きてるだろ。声量落としてくれ」
恵は片手で顔を覆いながら上体を起こすと頭を抑えた。二日酔いみたいで少し笑った。
「宿儺の指持って寝こけるなよ」
「なんで指のこと知ってんだよ」
「それ聞く余裕ある?」
「ねぇ。応急で封印してもらわねぇと」
結局、両面宿儺の指を食べることは叶わなかった。きっと恵は私を信用して指を持ったまま眠ったから。恵の信頼を裏切ることは、出来なかった。少しでも心が揺らいだ自分が許せなかった。
「俺食べようか?」
「残飯じゃねーんだよ」
「でも一番元気そうなオマエに渡す。念を押すが食うなよ」
虎杖くんが受け取ろうとした時、手のひらに口が現れてパクっと勢いよく飲み込んだ。その瞬間、みんなで慌てたけど、すぐに新田さんの怒鳴り声が聞こえて顔を上げた。
「クラァッ!オマエらぁ!」
「あ、新田さん」
「ブチ切れてるわね」
「じゃ、帰るか」
立ち上がって恵に合わせて立って少しだけ裾を引くと、彼は振り返って首を傾げた。
「どうした?」
『ごめんね、』
「は?何がだよ」
恵はキョトンと目を少し開いて更に首を傾げた。知らないだろうけど、私は恵の信頼を裏切ろうとしたんだよ。
『…恵、私…、』
「なんか知らねぇけど、謝ったからもういいだろ」
『…でも』
「……オマエ俺が寝てる間に落書きしたんじゃねぇだろうな」
『ちっ、違うっ!』
「ならいい。帰るぞ」
そう言って恵は私の手を取って歩き出した。その度に砂利が音を立てるから少しだけ瞼を閉じて最後にもう一度謝った。
『…ごめんね』
「もういい。別に何もされてねぇし」
『おんぶしようか?』
「ふざけんな。要らねぇ」
繋がれた手に少しだけ力を入れたら、恵も応えるように握り返してくれた。そんなことなのに、何故か涙が出そうになった。
∴∴∴∴
『はやく!早く行こう!恵!』
「病み上がりなんだから労われよ」
『もう治ったって言ったのは恵でしょ!』
ゆっくりと歩く恵の手を掴んでグイグイ引っ張ると鬱陶しそうに眉が寄せられてしまった。でも私は早く行きたいのだ。
『早く津美紀ちゃんに会いに行こうよ!病院閉まっちゃう!』
「病院が閉まるってなんだ。面会時間だろ」
『あ!何か買ってく!?』
「そんなすぐに目覚めねぇだろ」
少し早足で病院に向かって彼女の病室の前に辿り着いた。多分まだ目覚めてない。1年間も眠り続けている体と脳は呪いが解けてもすぐに目覚めることは無いだろう。でも、それでも津美紀ちゃんは生きてるし、呪いだってもう無い。
『は、入るよ…』
「さっさと入れよ」
『入るからね!?』
「はいはい」
『本当に入るよ!?』
「わかったって」
『本当の本当に入るよ!?』
「しつけぇな!早く入れよ!」
『恵ここ病院。大声出しちゃ駄目だよ』
「オマエまじで殴るぞ」
『キャー』
棒読みで悲鳴を上げながら扉を開けると、変わらず彼女は眠っていた。でも心做しか顔色が良くなっている気がする。気の所為かもしれないけど。
『津美紀ちゃーん!来たよ〜!』
「オマエだって声でかいだろ」
『ちゃんと恵も連れてきたよ!反抗期の弟を持つと大変だね…』
「無視すんな」
丸椅子に腰掛けたら後ろから片手で頭が掴まれたけど、でも私は周りには見えないし聞こえないんだから大声出したって困るのは恵くらいだ。
『そういえばね、病院に来れない間色々あったよ。津美紀ちゃんに聞いて欲しいことが沢山できた。ひとつは私が人間じゃなくなったこと』
「…………」
『でも楽しいし後悔はしてないよ。ふたつめは私に呪術師の友達ができたの。男の子と女の子のふたり。凄くいい人だよ。優しくて凄く暖かい人達』
「…………」
『みっつめはね、……恵に友達ができたよ。さっき言ってたふたりなんだけど』
恵は私の隣に丸椅子を移動させて座ると黙って話を聞いていた。友達じゃねぇとか前ならきっと言ってた。
『……幸せだよ、私』
「………」
『早く津美紀ちゃんにも会わせたいなぁ』
彼女の手に触れると動くことは無かったけど、それでも血が通っていることに安堵した。私は立ち上がると恵が不思議そうに顔を上げた。私は話し終わったから次は恵の番。
『病院の平和守ってくるね』
「は?」
『恵は津美紀ちゃんとお話してて』
「おいっ、」
『10分くらいで戻るからー』
病室を出て、フーっと息を吐いて歩き出した。恵だって津美紀ちゃんと話したいことがあると思うし。姉弟の水入らずを邪魔する訳にはいかないよ。
『どこ行こうかな…』
何となく歩いていると悪戯心に火がついてナースステーションに立ち入った。もちろん邪魔はしない。社会科見学ってやつ。お仕事を見てみたいなって。
「今日久しぶりに恵くん見たわね」
「最近来てなかったもんね」
恵の名前が聞こえて話をしている人達の近くに移動すると、彼女たちは津美紀ちゃんのカルテらしきものを持ってた。なるほど、担当なのかな。
「でも、恵くん可哀想よね」
『……え?』
「確かに。お姉さんは寝たきりで幼馴染の子も事故で死んじゃったらしいわね」
『………』
その言葉に勝手に視線が左右に彷徨った。楽しかった筈の社会科見学なのに、
「それからでしょ?恵くんが可笑しくなったの」
『恵は可笑しくない!』
「ひとりで喋ってるらしいわよ」
『私と話してるだけだよ!ひとりじゃないよ!』
「お姉さんも幼馴染も失ったんだもんねぇ」
「津美紀ちゃんまだ高校生なのに可哀想よねぇ」
「それに伏黒さん家ってご両親居ないらしいから」
「あら、そうなの?」
「誰も居ないのに、話しかけてるんですって」
「可哀想ねぇ」
『ちがっ、違うよ!恵は可哀想じゃないよ!』
看護師さんの間に入って慌てて口を開くけど、誰とも視線が合わなかった。誰も私の声を聞いてくれなかった。
『……恵は、可笑しく、ないよ、可哀想じゃないよ、』
震える声で言っても、誰にも届くことは無かった。
『………』
津美紀ちゃんの病室の前でゆっくり息を吐いて扉で手をかける。よし、大丈夫。
『お話終わったー!?』
「とっくに終わってる。戻ってくるの遅せぇよ」
『ごめん!じゃあ帰ろっか!』
最後に津美紀ちゃんの顔を見てそう言うと、恵は私の手首を掴んだ。なんだ?まだ居たいってか。仕方ないなぁ。
「なんかあったのか」
『え?なにが?』
「泣きそうな顔してる」
『してないよー?さっきまで社会科見学してた!ナースってやっぱり可愛いよね!』
「名前」
『白衣の天使って誰が考えたんだろうね!全くその通りだよ!』
「…名前、」
『そうだ!帰りに不二家寄っていこうよ!みんなにおやつ買ってこ!』
「名前、」
腕を引かれて立ち上がった恵に抱きしめられて小さく名前を呼ばれた。
「…約束しただろ」
『…あの約束は、私が恵にお願いしたんだよ』
「なら今俺と約束してくれ。隠さないで話してほしい」
『恵…』
「…隠されると、寂しい」
寂しいなんて言う柄じゃないくせに、何言ってんの。ていうかかっこよく抱きしめてるけど心臓の音凄いから。ばーか。
『………津美紀ちゃんに、聞かれたくない、』
「…分かった」
恵は私の手を取るとそのまま病院を出て広場にあるベンチに私を座らせて自分は飲み物を買うと私に1本渡した。
『…社会科見学してたら、看護師さん達の話が聞こえてきちゃって、』
まだ寒くないのに恵は私にホットの飲み物を渡してくれた。周りに誰もいなくて良かった。見られたら缶が浮いてるように見えちゃうから。
『津美紀ちゃんが、可哀想だ、とか…、恵がひとりで喋ってて、可笑しいとか、』
「………」
『津美紀ちゃんは、可哀想じゃないよね?違うよね?』
「………」
『嫌だよ…、津美紀ちゃんは可哀想じゃないよ、恵だって、可笑しくないのに…、なんでみんな聞いてくれないの…、ふたりに、酷いこと、言わないでよ、』
俯いたら缶にポタポタと涙が当たって小さな音を立てていた。ふたりは可哀想でも、変でも可笑しくもない。そっちこそ変なこと言わないでよ、酷いこと言わないでよ、
「……まあ、傍から見たら津美紀は可哀想だな」
『………恵も、そんなこと言うの、』
「でも俺達には津美紀が寝たきりの自分をどう思ってるかも分からねぇし、もしかしたら何も思ってないかもしれない」
『……私は、可哀想だなんて、思わない、』
「それは名前の感じた事だろ」
『なんでそんな意地悪言うの…、』
「本当のことだ」
淡々と答える恵に苛立った。なんでよ、自分のお姉ちゃんじゃん。私が聞きたいのはそんな言葉じゃないのに。
「俺だって周りから見たらひとりで喋ってる頭が可笑しいヤツだ」
『…………』
「今だって他の奴らにはそう見えてる」
恵が顔をあげるからつられて上げると、建物の中から看護師さん達がこっちを見ていた。あの人達が悪い人じゃない事くらい分かってる。だってあの人達には私が見えないから。
『……今の恵と、話したくない』
「名前」
『嫌だ。私戻る』
「聞けって」
『嫌だ!』
立ち上がった私の手首を掴む恵の手を払って俯く。まるでおもちゃを買ってもらえなくて拗ねてる子供だ。
『…戻して』
「嫌だ」
『恵と話したくない』
「俺はまだ話したい」
『今の恵は意地悪なことしか言わないからやだ。話したくない』
「本当の事だろ」
『ーっ、』
怒りで目の前がチカチカした。なんで、津美紀ちゃんは可哀想じゃない。だってもうすぐ目覚めるはずだもん。恵だって、…恵だって、
『私が消えれば、』
「名前」
『だってそうでしょ!?私が消えれば恵はひとりで喋ってるって言われなくなるじゃん!』
「違ぇよ」
『違くない!恵だって本当はっ!』
本当は、私の事、
『〜っ、…邪魔だって思ってるなら最初から言えば良かったじゃん!呪霊になった時に祓えば良かった!式神になんてしなければ良かったじゃん!』
「…名前、」
『私だって、』
私だって、叶うなら、
『呪霊になんてなりたくなかった!』
「ーっ、」
恵は目を見開いて、傷ついた様な顔をしていた。当たり前だ。恵はずっと私を呪霊にした事に罪悪感を感じてる。なのに私は、
『っ、』
「名前っ!」
私は、恵から逃げるように走り出した。…逃げるように、じゃない。私は逃げたんだ。